「光の情景」
作/こたつむり


〈第3章〉6
 
「そうね。本当に日本の男の人って、自分の奥さんを大事にしないと思うわ。私も向こうで生活していて、そう思う事が多いわ」
  さすがにアメリカ在住人らしい事を由有子は言った。その事を由有子は手紙にも書いて来ている。
  アメリカ人は、どこへ行くのにも必ず妻を伴って行く。又、妻のいない時にも、人前で妻の悪口などは決して言わない。悪口など言っても恥にしかならない。むしろ誉める事が良とされるそうだ。
「でも、そういう意味では、関沼はアメリカ流にやっているだけなのよ。家では、ああしなさい、こうしなさいって注文が多いのよ」
「あら、亭主関白ね」
「そうでもないんだけど、やっぱり私がお子様だから」
「口うるさいの?」
「気難しいのよ。でも、私のお父さんって、私には甘かったから、ちょうどいいのかもしれないわね。私ってどちらかというと、お母さんに口うるさくされて来た方でしょう? 今度は口うるさいお父さんが出来たって感じだわ」
  そう言って、イタズラっぽく笑う由有子は、やっぱり、昔のままの面影を残している。
「でも、ひさの手紙を見た時には、びっくりしたわ」
「ああ、入沢君の事?」
「健ちゃんの事って?」
「入沢君が美樹さんと結婚する事でしょう?」
「ああ、それもびっくりしたわ。でも、ひさに電話で聞いてたから……それより、ひさの事よ」
「私の事?」
「そうよ。柿崎円子のアシスタントだなんて」
「ああ、その事?」
  もうだいぶ前の事だ。
「私達って、よく柿崎円子の漫画読んでたじゃない? あの人のアシスタントだなんて……もう、ひさは、私なんか寄り付けない人になっちゃったって感じがするわ」
「そんなバカな……」
  思わず苦笑してしまう。私の方こそ、由有子が教授夫人になってしまって近寄りがたいと思っていたのに、たかが漫画家の……しかもアシスタントごときを、彼女は一体何様と思ってくれているのだろう。
「そんな事ないわよ。スゴイじゃないのよ。私、『エンジェル・シャワー』読んだわよ。ひさは、あれのアシスタントもやったんでしょう?」
「え? 『エンジェル・シャワー』? ええ、やったわよ」
  それは、今連載中の柿崎先生の漫画の題名で、まだ、単行本にもなっていない。
「どうしてそんなの知ってるの? アメリカにはないでしょうに。日本の漫画雑誌なんて」
  連載が始まったばかりで、月刊誌に四回目が載ったばかりだ。入沢の結婚式に行く前、修羅場っていた締め切り分のが来月載ると、やっと単行本一巻分になる。それが実際単行本になるのは、半年くらいかそれ以上先の事になる。柿崎先生の載せてる雑誌の編集社は、他社に比べて単行本を出すのが遅い。私が先生の所にアシスタントに行くきっかけになった、例の広告も、連載ものを開始するので大急ぎで募集を打ったと最近聞いた。だから事実上私が先生の所のアシスタントをする事になったのは、まさにその、「エンジェル・シャワー」からなのだ。
「勿論送ってもらったのよ。ひさったら、送ってくれないんですもの」
「送ってもらった? 誰に?」
「お母さんよ」
「いやだ! 由有子、オバサンにそんな事言ったの?」
「当たり前じゃないのよ。お母さんだって毎月読んでるわよ。これのどこに久世ちゃんが書いてるの? って、私に聞くんですもの。お母さん、自分の分と私の分と必ず二冊買って、一冊を送ってくれるのよ。この前なんか、健ちゃんからのとダブって二冊来たわ」
「入沢君が? ちょっとやめてよ」
  忙しいから、とか言って、結婚式まで会ってくれなかったくせして、筆無精なくせして、なんだってあの男はそういう余計な事だけはするんだ。
「何が?」
「なんで入沢君が、あんな雑誌知ってるわけないのに……。由有子が教えたんでしょう?」
「あら、いけなかったかしら。でも、健ちゃんだって知ってたわよ。片桐のおばさんから聞いてたんだもの」
「ちょっとやめてよ」
「どうして?」
「ハズカシイじゃないのよ」
「何が?」
  柿崎先生の書いた漫画の、かけあみや椅子や窓が見られたのが恥ずかしいわけではない。自作の漫画ならともかく、人様の漫画の背景や小物など見られても、別にどうって事はない。私が書いたとわかる筈もないし、元々先生の書いたものに合うように指定されて書くわけだから。
  それより、アシスタントをやってるくらいで、大勢の人間に取り沙汰される事が恥ずかしいではないか。この先、漫画家になれる見込みでもあるのならともかく……。
「アシスタントなんて、たいした事じゃないのよ。誰にだってできるのよ」
  と、冷汗する思いで私はようやく言った。しかし由有子は、目を丸くして、首をブンブン振った。
「とんでもない。柿崎円子だったら、誰だって知ってる有名な漫画家だわ。私たちの学部にもファンの女の子がいたわよ。いくら私が疎くてもそれくらい知ってるわ。最近出て来た人のは知らないけど、あの人のは昔っから面白いのが多いし、昔っからいるのに今でも若い子に人気があるんだから、ただの流行作家じゃあないわよ。その漫画家のアシスタントになるっていうのは大変な事だわ。誰でもなれるものじゃないわ」
  そう言ってから、由有子は柿崎先生の作品で、何が好きで、どういう所が良かった、という話しをさんざんしてくれた。
  聞いてるうちに、だんだん満更でもない気分になってきた。
  確かに柿崎先生という人は、ある意味珍しいタイプの作家かもしれない。いつごろからか、漫画は多くのジャンルに分かれ、デビューするや、どのジャンルの書き手になるか、たいてい定まってきたものなのだが、彼女の場合、実に多種多様の世界をもっていて、簡単に色の決められないような所がある。
  色が決まってしまうのは、計画型の編集方針によるもので、一概に悪いとは決め付けられない。漫画家の側がはっきりと自分を主張する能力をもっていない現状では、編集側が、ひとつ大人にならざるを得ない。この事は、ひとつには、漫画書きが右も左もわからぬ学生上がりで、先生呼ばわりされて、いっぱしの作家となってしまう事にも原因がある。
  つまり、物を作るという事がよくわかってない。絵が書けるだけで、書く事を承認されてしまうからなのだ。何を書きたい、何を書くべきか、そういう事を意外と考えてない。漫画家になりたい、だけでデビューできてしまう。まあ、適性だけで生きて行こうと思えばそういう事になっても仕方がない。表現の世界に於いて、自分の主義主張を打ち出せないなんて、考えてみると、情けない気もするが、そこが漫画なのだ。読み手も感覚本位なら、書き手も感覚優先の人間が多くなるのはやむを得まい。
  柿崎先生もそうだった、と言う。
「だってさあ、私なんてそういう連中の最たるものだったわけよ。デビューがさあ、十八よ。何を書くべきかなんて分かる筈ないし、わかってたら驚異だよね」
  とは先生自身の告白である。
「ただし、何年も漫画家やってて、いつまでたってもそれだったら、そりゃバカというもんだよ。救われない。だいたい売れないよ、そんな奴」
  と付け足す。先生は、編集を押し切って漫画を書く時にはいつも、
「大丈夫、大丈夫、読んでくれるって。少女漫画の読者ってのは、作品より作家につくんだから、柿崎円子の名前で出せば、初めのうちは騙された気になって読んでくれるわよ」
  と担当以下を納得させるそうだ。
  しかしこれは単行本で売れるようになって初めて言えるセリフではある。先生がどんなジャンルに手を出しても、一定の読者がついて来てくれるからなのであって、読者が、
「話がわかんない」
「カッコイイ男の子が出て来ない」
  なんて事を言い出したら、通らない。
 

 

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