「光の情景」
作/こたつむり


〈第3章〉5
 
 友人のスピーチでは、入沢が美樹に怪我を負わせた例の一件も出た。会場中、笑いの渦に巻き込みながら、「事件の真相」を語り、
「健治君と美樹さんが結婚なさるとうかがった時、僕は、やっぱりアレが原因か……とすぐに思ったわけです。しかし僕らの憧れの美樹先輩と結婚できるとは、全くうらやましい限りの事でして、僕もどっかで先輩を突き飛ばしておけば良かった、と後悔する事しきりであります。
  こうした所を見ても、健治君という男は、なかなか抜目がない、と仲間内ではもっぱらの評判でありまして、憧れの女性を橋から落っこどして、自分の存在をアピールするなんてのは、まことに高度なテクニックでして、今にして思えば、美樹先輩には、これが相当インパクトがあったわけであります。本日、彼の作戦は見事に功を奏し、お二人の愛が実を結んだわけであります」
  などと、悪友らしいひょうきんなスピーチをする。 由有子も私の腕をつつきながら、
「あの話しよ、あの話し……」
  と、爆笑しそうになるのを堪えながらささやいた。

  披露宴の後、私は由有子の泊まっているホテルに行った。
  実家に泊まればいいようなもんだが、先生の知り合いがホテルにたずねて来る関係上と、先生がすぐに大阪で開かれる学会に出席しなくてはならなくて、東京駅に近いホテルの方が便利だったのだ。由有子は先生が行った後、実家に泊まる予定だった。
  私は由有子と先生に誘われて、三人で夕食をとった。
「私もあんな結婚式にしたかったなあ」
  と由有子は、溜息混じりに言った。私もどちらかというと、入沢たちの披露宴の方が好感が持てた。
「でも、花嫁は由有子の方が奇麗だった」
  と、相変わらず、先生は臆面もなく人前でも妻を誉めた。
  もっとも先生は披露宴には出席していない。ぎりぎりまで出席できるかどうかわからなかったので、それでその前に祝いの品を夫婦から……という事で送って来たのだ。結局先生は由有子と一緒に帰国できたわけだが、そのスケジュールはやはりずいぶんと立て込んでいた。
「そんな事はないわ。健ちゃんのお嫁さんってスッゴク奇麗な人なのよ。ねえ、ひさ」
「本当に奇麗だったわねえ。でも由有子だって奇麗だったわよ」
  本音だ。披露宴に関しては、入沢の方のが楽しかったが、花嫁に関しては、私はちょっとだけ由有子に軍配を上げてしまう。
  しかし、公平に見たら、どちらが上とも言えないかもしれない。女友達が直接花嫁になるのと、男友達の恋人が花嫁をやるのとは、思い入れも違う。美樹の花嫁姿も相当綺麗ではあった。
  この日先生は、食事中に居眠りしてしまうほど疲れていて、私は、もうちょっと由有子と話したいと思ったのだが、ほどほどの所で遠慮して切り上げた。先生は、
「いや、疲れていないよ」
  と言って、引き留めてくれたんだが、由有子とは又後日会えるのだ。
  先生に別れを告げ、その後の健闘を祈りながら私はホテルを出た。九時か十時になっていたが、OLだった頃と違って、翌日の早起き、出勤の事を考えなくて済む分だけこんな時には楽だ。
  入沢と美樹は、由有子の時のようにハネムーンには行かなかった。入沢はすぐに勤めが始まる。休暇が取れたら……という事になっているらしい。
  そのかわり、医大仲間が中心になって二次会をやった。それには多数の高校時代の仲間も呼ばれたようだったが、由有子は関沼先生が一人でホテルに残っているので出席を断った。
  私も断った。高校時代の友人といっても入沢の友達だから男性が多い。由有子が行かないならつまらないし、翌日出発してしまう関沼先生にも一目会いたかった。
  家に帰る道々、私はいろいろな事を考えた。入沢の事も考えたが、久し振りに会う由有子に対しては、多くの思いがやはりあった。
  その日の由有子は、とても大人びて見えた。昔から、育ちの良さが感じられる人ではあったが、そこになんとも言えぬ気品が漂って、少し近寄りがたいムードさえあった。それでも話をすれば、以前と少しも変わらぬ、物事に素直な人柄が残っていた。
  先生と共にいる姿はとても堂々としていて、甘えているように見えて、どこか立派に先生を支えている印象があった。そこには背伸びをした様子はなく、ごく自然に大人の女らしさが備わっていたように見えた。先生との結婚を依存と考えず、自立した大人を目指した由有子の現在の姿を見て、私は感嘆せざるを得なかった。
  入沢は逆に、いつも人より大人びて見えた彼が、年上の美樹と結ばれる事によって、今までにはなかった安らぎを身につけたように見えた。なるほど結婚する事によって、男も女も大人になるのかもしれない。今ごろになって、母親の結婚論に賛成する気持ちが起きて来た。
  ただ少し気になったのは、高校生の頃の由有子と比べると、少し大人になり過ぎてはいないかな……という事だ。
  これは、彼女が短大に入ってからもちょっと感じた事なのだが、昔の由有子はどこか少年のような所があり、そんな所が同性の友達に愛された彼女の不可欠の要素だったのだが、現在の由有子からは、人妻らしい控え目さに隠れて、昔の彼女が持っていた剥き出しの快活さが前面に表れなくなっているような気がした。彼女に限って、決して所帯じみているとか、老けたとか、媚びや欺瞞的な演技といったものは感じられないのが、二十四才という年令の割りには、そして、十七才頃からの彼女の事を知っている私には、ずいぶん変わったように思えてしまう。
  私はだいぶ夜更けに自宅に到着した。家の前の通りにさしかかると、ふと、高校時代、入沢が由有子を自転車の後部座席に乗せて、私の家に送って来てくれた事を思い出した。
  入沢の話しでは、由有子が入沢医院で診察してもらった後、私の家に遊びに来たいと言ってたので、連れて来てやった……という事だったが、その時、由有子が来るのが遅いので、門の所に出て待っていたら、二人の姿が見え、入沢の後ろに乗っていた由有子が、私の姿を見付けるや、
「ひさー! 遅くなってゴメンネー」
  と明るく叫んで、後部座席でイキナリ立ち上がった。
「由有子、立つんじゃない!」
  と前で自転車を漕いでいた入沢が慌てて注意するうちに、二人は私のいる所まで来た。私もびっくりして、
「バカね。危ないじゃないの」
  と注意したもんだが、由有子はケロリとしていた。
  あの由有子、ちょっとおてんばなくらい活発だった由有子が、今ではすっかり大人になってしまったのだと思うと、彼女の結婚式の時ですらなかった感慨を今さらのように覚えた。一つは喜びの気持ち、もう一つは、やはり寂しさ。
  考えてみれば、入沢と由有子は同い年だったから、あんな幼なじみのような、闊達なつきあい方をしていたのであって、十八才も年上の関沼先生の奥さんになった由有子が、相変わらずあのままでいられる筈もない。しかも彼女は教授夫人なのだ。年令は若くても、社会をドロップアウトして、未だに漫画なんか書いている私などには、もうずいぶんと縁遠い存在になってしまったものだ。私はそんな風に思った。
  後日、由有子の家に行って、私は由有子がすっかり大人らしくなったと思った事を話すと、一人東京に居残っている由有子は、
「私? 全然違うわ。子供なのよ、まだまだ。関沼にもいつもお子様扱いされてるわ」
  と言って笑った。
「でも、先生は相変わらず由有子にベタボレね。入沢君の奥さんより、由有子の方が奇麗だって、ヌケヌケと言ってたじゃないの」
  私は冷かすように言った。
「いやあね。美樹さんの事は見た事もないくせにね……」
  と言って、由有子は肩をすぼませた。
「でも、いいじゃないの。自分の奥さんが一番だと思っている証拠だわ。きっと由有子は、先生の自慢の種なのよ」
  と私がうらやましそうに言うと、由有子は、
「そんな事ないわ。人前だから、あんな風に言っただけよ」
  と言い訳した。照れてるのかもしれないと思って、
「人前では普通、ああは言えないものよ。ほら、男の人って本当は奥さんが大事だって思っていても、人前では、とんでもない愚妻かなにかのように扱って見せるでしょう? そういう意味では先生は立派だわ。ちゃんと自分の奥さんに敬意を払ってる」
  と私は先生を誉めた。

 
   

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