「光の情景」
作/こたつむり


〈第3章〉3
 
「ところで、相談したい事っていうのは?」
「うん、実は俺の事なんだけど、結婚しようと思っているんだ」
「ええーっ!」
「由有子も行ってしまった事だし、俺もそろそろね」
  多少ショックではあった。むろん私は、由有子の後釜になろうなんて気はなかったが、それでも入沢が遠い存在になってしまうようでさみしかった。
「まあ、相談というより、報告したいと思ってね。前田に……」
「なんで私に?」
  この所、彼とはほとんど御無沙汰なのだ。
「なんでかなあ……」
  と笑いながら言うと、一瞬彼の目は宙に止まった。しかしすぐに、
「なんとなく、前田の許可が下りないと、落ち着かないしなあ……前田は、俺の姉貴か妹みたいな所があるし」
  と言って再びほほ笑んだ。彼が私の事をそんな風に思ってくれていたとは知らなかった。私も、
「相手は誰なの?」
  と、つい姉さん風を吹かして聞くと、
「前、連れて来た川上先輩だよ。覚えてる?」
  私は、彼が結婚を言った時から、なんとなくそんな気がしていた。
「前田の他にもう一人、姉貴が増えたって感じだな」
  彼は、自分の告白に照れたのか、私が聞く前に恋人の印象を漏らした。そんな入沢の様子に、私はさみしい反面、若干安堵した。彼がもし、いつまでも由有子への思いに沈んでいたとしたら、それはやはり、入沢に相談するより先に、由有子と関沼先生の結婚を賛成してしまった私にとってもつらい事だから……。
「ああ、それでなのね、良かったわ」
「良かったって?」
「うん。おめでたい事だわ」
「それでって?」
「ああ、あのね。入沢君の雰囲気がちょっと変わった感じがしたのよ。結婚する事になったからなんだなって思ってね。……違う?」
「俺? 変わったかな」
「そうねえ。なんとなくね。でも、入沢君って根っこは変わらないわよね」
  彼は、ちょっと考えるように上を向いてから、再びほほ笑んだ。
「変わりようがないさ」

  私は、いつもなら電話料金を気にしてかけない所なんだが、その日ばかりは由有子に国際電話をかけた。
  由有子も喜んでくれるだろう。私も今になると、由有子が、入沢にふさわしい伴侶を望んでいた気持ちがわかるような気がしてきた。いつか会った、あの美樹なら、確かに医者になろうという入沢にとって、これ以上は望めぬ立派な妻になるだろう。ところが由有子は、神妙に私の報告を受け、
「健ちゃんが? まあ、私ガックリだわ」
  と意外な事を言った。
「そうよね。私だって結婚したんだもの。健ちゃんだっていつかは結婚するハズよね。でも、こんなに早くに……」
  と、さみしそうに由有子は言うのだ。
「健ちゃんのお嫁さんになる人ってどんな人なのかしら」
  と、心配そうに尋ねられ、初めて私は、相手の名前を言ってない事に気付いた。
「川上美樹さんって覚えてる? 前、入沢君のうちで会ったわよね」
「え? あの人?」
  由有子の声は意外と高かった。
「わあ、あの人なの? ああ、良かった。じゃあ、恋愛結婚ね」
  と急に子供のように喜ぶ声を聞いて、私はホッとした。由有子は知らないだろうが、以前、入沢は、由有子と結婚したいと思っていたのだ。その由有子に反対されているのを知ったら、入沢はどんな複雑な心境に立たされるだろう。
「そうよ、あの美樹さんなの」
  と私が繰り返し言うと、
「やだ、健ちゃんって面食いなのね。あんな奇麗な人を射止めるなんて、さすがだわ。私、あの人は先輩だったから、思いつかなかったわ。じゃあ健ちゃんは姉さん女房を貰うのね」
  とはしゃぐように言うと、由有子はウフフと笑った。由有子は、入沢が両親か親戚に、お見合いでも無理強いされて結婚すると早とちりしたようだ。考えてみれば、大学を卒業と同時に結婚と聞けば、そんな想像をするのもやむを得ない。それが学生の頃のつきあいと知れて急に喜ぶのだから、由有子も無邪気な所がある。
「そうね、二才年上だって言ってたわね」
  私も、美樹については、入沢に、けっこう根掘り葉掘り聞いてしまった。
  美樹は、その時二十六才だった。二十四才の入沢がちょっと早いながらも、結婚に踏み切った理由は、その辺にもあった。男ならともかく、女の二十六と言ったら、私の母の言を借りれば、それこそそろそろなんとかしなくちゃイケナイ年頃なのだ。特に美樹というのは、元々地方のいわゆる旧家の人で、彼女の故郷では結婚適齢期(あるのだ、こんな死語が、今でも)が東京より三才は平均的に早い。つまり美樹は東京でいう二十九才くらいに見られている。来年まで放っておくと三十女扱いなのだ。
  それでも東京なら三十女の独身なんて、たいして珍しくもないのだが、彼女の田舎では年齢の高い独身女性を、
「キャリアウーマン」
  などとは見てはくれず、ズバリ、
「売れ残り」
  彼女の家族まで、
「特別な事情のある家」
  などと陰口をたたかれるというんで、美樹の両親も、美樹に相当圧力をかけていたらしい。
  去年、由有子の結婚した年に、美樹の二つ違いの妹が先に結婚した。それも当初、
「姉が先」
  と止められていたのに、妹思いの当の美樹が妹を応援し、結婚にこぎつけてやったのだ。そして、残った美樹の縁談に火が付いた。
  入沢より二年先に大学を終了した美樹は、大学院に進んでいた。博士過程である。不思議だが、美樹の家というのは、美樹が医者になる事にあんまり賛成ではないらしい。以前由有子の両親が、由有子がカウンセラーになりたいと言うのに反対してた事を思い出す。
  しかし女医とカウンセラーとでは、由有子が言ってたように、全然世間の見る目も違うように思えなくもない。女医なら立派なものだと言う気がするのだが、反対する理由がはっきりわからないんで、由有子と同じようには考えるわけにも行かない。縁談の障りになる……とかいった理由ではないのかもしれない。
  美樹は、医者になる、とハッキリ決めて医大に入ったワケでもなく、事実それとは別に、美樹自身も研究したい事があって大学院に進んだらしいが、大学院進学は両親の意向を重んじてでないのは確かだった。
 なのに、彼女が大学院にいるうちに、美樹の実家では美樹の縁談をせっせと進めるようになり、美樹はその事にはだいぶ頭を痛めていたらしい。
  だいたい美樹の家というのは、彼女の田舎では指折りの名家で、女の子しかいないので、養子を取る事に最初っから決まっていたという。まあ、医者になるのに反対する理由というのもそんな所にあるのかもしれない。だったら初めっから医学部になんざ入れなきゃいいようなものだが、その点、美樹は小さい頃から頭が良くて、学校の先生に医大に行く事を進められていた。ひょっとして、美樹の両親も内心、困った事になったと思いつつ、先生の勧めに従ったのかもしれない。何とも贅沢な悩みだ。
 

       

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