「光の情景」
作/こたつむり
〈第3章〉1p
由有子が式を挙げる前に、私は予定通り退職した。
結構のんびりできたのは良かったが、なんというか、極めて自堕落になった、という気もする。
疲れがたまっている、という口実で、会社をやめてから一か月ぐらいは、毎日、グータラざんまい、寝てばかりいて、あっという間に夜型人間と化した。
だいたい昼ごろに起きるので、夜中になっても眠くならない。初めのうちは、それでも自由な身分がうれしくて、結構あちこちに飛び回ったものだが、そのうち外出するのも億劫になり、母親に粗大ゴミ扱いされながらも、就職情報誌一冊読むでもなく、世俗に無頓着になり果て、友人にダラダラ長電話をしかけたり、テレビを一日中見たり、我ながら呆れ返るような無計画な毎日を繰り返す事、なんと三か月。
ハッと気付くと冬になっていて、由有子が結婚するんだった、と結婚式に着て行く服を買いに、やっと重い腰を上げる、というオソルベキものぐさ人間になっていた。
こ……こんな事ではイケナイ!
ハタ、と気付いたのが、ようやくにして年が明けた頃で、そもそも私は、漫画を書きたくて退職したのではなかったか……と思い始めてはいた。全くもって信じられないのだが、時間的な制約を受けている間には、自由を求め、文化に憧れ、あれほど忙しかった我身にムチ打ち、恐るべきピッチで漫画を書いていたのに、何をやってもいいとなると、イキナリ何もしたくなくなってしまうものなのだろうか。
私の焦りに拍車をかけた出来事は次々と勃発した。まず、由有子の結婚だ。私の母親が何かと言うと、
「由有子ちゃんは偉いわねえ」
とプレッシャーをかける。かつて、由有子が就職活動もせず、大学生天国をしていた頃には、彼女の母親に、
「久世ちゃんは偉いわね」
などと言われていたものだが、世の母親というのは、みな他人の子供を見ては、自分の子供のふがいなさを、あげ足を取るように見咎めるものなのだろうか。
今や立場は逆転。由有子が就職活動をしていなかった事は、そのかわりに、関沼先生との結婚という実証によって言い訳できるものになったが、由有子の母親がかつて誉めてくれていた、私の社会的な身分は、今や自ら放棄してしまったため、今のバカさ加減については弁解の余地はない。
そして、次に親戚筋から降って沸いた縁談である。当時、私は二十三歳。私は母に反論する。
「ねえ、まだちょっと早いわよ。由有子はともかくとして、私の友達も、二十七歳の先輩だって、まだみんな独身なのよ」
と。私は焦りながら回避の姿勢を示すが、そんなひよっ子の意見など何にもならない。何しろいい年をして、親のスネをかじっているわけだし、親にしてみれば、その頃大学生だというのに、大学にろくすっぽ行かずに、音楽ざんまいしてて就職の意志すらないのが見え見えの例の弟に対し、姉がこうでは示しがつかぬ、という思いがある。
「二十三歳。今知り合って一年ぐらいで結婚の話がちゃんと決まるのが二十四歳。それから準備して結婚するのが二十五歳。一二年は新婚気分を味わえるものとして三年目に子供を産んでも二十八歳(ようもまあ、こういう計算だけはできるものだ)。だいたいアンタが見付ける相手なんて、どうせ大した稼ぎもないでしょうから(なんだ、その決め付けは)、初めの内は共働きだとして、結局三十歳……どう? いい事? 今、すぐに結婚の約束でもしてる人がいるなら、まだ『私は二十三歳』でも通用するけど、何もない二十三歳なんて世間では『あそこのお嬢さん、一体どういうつもりなのかしら』なんて絶対言われるのよ。だいたいあんたは真面目にお勤めすらしてないんだから、『ええ、ちょっと体をこわしましてね』なんて手を使えるのはそう長くはないんだからね」
などとキャンキャン言われてしまう。
そうかなあ。ちなみに私より早く会社を止めた先輩なんて、結婚する予定もなさそうだったし、再就職の話しも聞いた事ないけどなあ……。それに、今から子供を産むために準備するのなんかつまらないではないか、と思いつつも、口の中でゴモゴモ言うだけの私ではあった。
とにかく就職するなり、恋人をつくるなりなんなりして、世間の(というより親の)口を、取り合えず封じなくてはならない。
私は友人に相談した。大学時代、共に漫画同人誌を書いていた奴だ。
「え? プー太郎してるの? ラッキー。ちょっと来てくれない? もう猫の手も借りたいって所なんだよね」
と、呼び付けられたのが、友人がアシスタントに出入りしている漫画家先生のお宅である。私としては、社会見学はタテマエ、本音はあくまでもアソビに行ったのに、行ってみたら、とてもの事、
「ちょっとアソビに来た」
などとは、口が裂けても言えない、まさに締め切り前の地獄絵。この世界で言う所の「修羅場っている」現場そのものであった。
「ゴムかけくらいなら……」
とか言って、取り合えず座ったんだが、二日続きの徹夜の混沌としたムードの中で、知らず知らずのうちに、苦手の定規を握らされて、枠線引きをやらされ、ベタを塗らされ、僅かに上がりかけている原稿のトーンを貼らされた揚げ句、
「かけあみくらい出来るでしょう?」
と指定されたかと思うと、大ッキライな点描までやらされ、夜が明けて昼過ぎごろから、着の身着のままで、カップラーメンの積み重なる台所の隅にようやく安眠の場を求めた。
夕方に起こされ、僅かなお手当を握らされて帰ったんだが、これがきっかけで、私は取り合えず、アシスタントにバイトの道を見付ける事が出来たわけだ。
いつごろだろう。ひょっとすると、もうすでに、この初めの時からだったかもしれないが、少なくとも、夏になるまでには、やっぱり漫画家になりたい、と思い始めていたと思う。
ただこのように、ただ振り回されるだけで終わるのなら、あのまま社会人をやっているのと変わらない。先行きに安定性のない分だけ、むしろ今の方がよほど悪い。増してや、この時の仕事場で描かれていたのは成人マンガだった。この世界も見てみると、それはそれで、なかなか勉強になる事が多いのだが、独り立ちする気があるならいつかは少女漫画に転向するわけだ。私に今さら成人向け漫画を書けと言われても、ちょっと苦しいものがある。
私は投稿を決意しはじめた。それが夏の事。遅れ馳せながら一念発起し、私は自分の原稿に取り掛かった。
超シリアスもので、三十ページにおさめた。技術は多少進歩したと思うのだが、話があんまり面白くない。つじつま合わせがネームだけに頼ったこじつけで、ラストも一種の御都合主義的ハッピーエンド。投稿するために選んだ雑誌が、かなり無難な線だったので、辛くも佳作に潜り込んだが、あの程度の懸賞で佳作か……と、ちょっとガックリ来た。私としては、投稿でも目的にせねば完成させる気にもならなかっただけなんだが、
「漫画家なんて……」
とバカにしきっていたくせに、意外と変な期待をしていた私の母親は、雑誌の良し悪しもわきまえず、
「いいじゃないのよ。佳作なら立派なものよ」
と、恥ずかしく騒ぎ立て、高望みしないで、この雑誌でデビューするべきだとウルサイ。
「漫画家になるかどうか、まだわかんないわよ」
と言おうものなら、
「じゃあ、結婚しなさい」
と、増す増すプレッシャーをかける。
この母子のくだらぬ鍔ぜり合いに、増す増す拍車を掛けてくれたのが、このころすっかり御無沙汰になっていた入沢である。
なんと、結婚すると言う。女の私を差し置いて。
「今度は健治の番ね」
と片桐のオバチャンは言っていたが、入沢はまだ二十四歳だ。まあ二十四と言えば、確かにそろそろかもしれないが、女の私はともかく、男の二十四歳はまだまだいいようなもんだ。だいたい入沢は、来年やっと卒業だし、卒業したってまだ、とても自分で稼いで女房子供を食わしていけるほどになるには時間が掛かる。
しかし、そこは医者の世界だ。医者になる人というのは、親が金持ちのケースが多い。金持ちでなくても、医者になるという将来がほぼ決まれば、先物買いというヤツで、おのずとさる筋から娘を提供し、しかる後、
「養子に……」
というオイシイ話がついて来る事だってある。なんつったって遊ぶなら商社マン、結婚するなら医者か弁護士……というのが定説の玉の輿のパターンなのだから、娘を提供する方にちょっとやそっと無理を言っても勘弁してもらえる。