「光の情景」
作/こたつむり


〈第2章〉13p
 
 ところで、先生がアメリカに行った後、由有子はどうするのだろう。
「じゃあ、先生は四月までに戻って来るのかしら」
「ううん、そうじゃないの。出発はまだまだ先なんだけど、向こうに行ったら。ずっと行きっぱなしなのよ」
「ええ! どうして? 由有子はどうなるの?」
「そうなのよ。でも私も本当はこの事は知っていたの。先生はずっと前からアメリカに行くつもりだったんですもの」
「私は知らなかったわ。ひどいじゃないのよ、由有子……」
「わあ、ごめんなさい。もっと先の事だと思ってたのよ私も。だから、そのうち言おうと思ってたの」
「ひどい。……でも由有子はどうするの?」
「私? 行くわよ、勿論」
  どうしてこの子は、こう事後承諾的なんだろう。前々から、ちょっと気になってた所ではあったが、肝腎の事を言うのが遅いのだ。
「それで、先生はいつから行くの?」
「まず、五月に一回行って、次は六月からなの。授業は九月からなんだけど、準備があるからって……」
「授業? ……準備って?」
「あちらの大学に行くのよ」
「留学なさるって事?」
「あちらで教える事になるんですって」
「教える?」
  私はアメリカといっても、せいぜい心理学の事を勉強しに行くのだと思っていたのだが、なんと、向こうの学生を相手に授業をするというのだ。これには、私も驚いた。
「そんな事ができるの? だって、英語で教えるんでしょう?」
「今すぐってわけじゃないけど、いずれはそうなるんじゃないかしら」
「ないかしらって、由有子……。あなた、じゃあ先生とアメリカに住むの?」
「そうね、私も急な事で……。でもそういう事になるわね」
  私は絶句してしまった。そんな話しは聞いた事もない。
「先生は、大学はどうするのかしら」
  関沼先生は、T大の教授ではない。昔、由有子が受けたがっていた、例のJ大の助教授なのだ。
「前から、行ける事になったら、他の先生が代わりに務められる事に決まっていたんですって。だから、来年度の履修要項から、はずされる事になるって……」
「そんな事ができるの?」
「できるみたいね。だって、講義を持っていたって、研究旅行に年がら年中行ってて、休講だらけの先生だっていらっしゃるんですもの。学生はなんとも思わないでしょうよ」
  なんといい加減な……大学ってそんな所なのだろうか。ウチの大学はどうだったろう……。まあ、そんな事より。
「じゃあ、由有子も先生と一緒に五月に?」
「五月は、家を探しに行くだけだからいいけど、六月からは、もう日本には、そうそう戻って来られなくなるって仰るんで、できれば私も連れて行きたいそうなんだけど……」
「そんな……」
  ずいぶんと強引じゃないか。私は腹が立った。由有子の話しだけでは、先生がどんな風に告げたのか、はかりかねるが、それにしても助手ってのは、そんな無理もきかなきゃならないのか。
「あちらの大学って?」
「南カリフォルニア大学。情報社会学って言って……」
  関沼先生は、元々アメリカの大学を出た人で、日本の大学に勤めた後も、何度かアメリカに渡っている。留学したり、研究しに行ったり、そういうわけで、英語で講義をするのか……などとバカな事を持ち出すのは、余計なお世話というものではあった。いずれ向こうで暮らすつもりでいたという事までは知らなかったのだが、彼のスケールの大きさは、何度か会っている私にも、なんとなく納得の行く所ではある。
  テレビドラマなんかに出て来るではないか。世界を股に掛けて活躍する、現実にはいなさそうなカッコイイ独身学者が……。アレなのだ、アレ。ああいうのが、間違いなく現実の世界にもいる、という代表的な例が、関沼先生なのだ。ただ、彼の場合は、ドラマに出て来る連中より、若干年を取っているわけだ。実際、関沼先生という人は、そのように活躍してきたために、結婚している余裕もなかったのかもしれない。そう考えれば、日本にいるわずかの間に、由有子のような、才気溢れる美人をつかまえておく必要があったのかもしれない。
  しかし、それは先生の方の理屈である。由有子から見れば、そんなのは、いい迷惑じゃないか。だいたい、なんだ。由有子に学問の道を切り開いてやるんじゃなかったのか。カウンセラーの話しはどうなったんだ。そんな急に、由有子の将来まで変えてしまっていいのか。
  ……などと、急速に憤り始めた私の興奮を尻目に、由有子は結構ケロリとしている。小さい頃から、父親の転勤のたびに転住していた彼女にとっては、そう、珍しい事でもないのかもしれない。私のように、同じ所に何年も暮らしている人間にとっては、その適応の早さは、信じられないものなのだが、由有子の父親が、その会社に遠方への転勤を命じられる時というのも、ある日突然、ほとんど何の前触れもなく命じられ、それから僅か、二週間以内に引っ越しをした事もある……という。
「じゃあ、由有子はそれでいいの?」
「仕方ないわよ。それに私は、日本にちょくちょく帰って来るわよ」
「ひどいわ、由有子。……だめよ、そんなの。私反対だわ」
「え? ……困るわ、ひさ、反対しないで」
「どうして?」
「私、もう反対されてるのよ、お父さんとお母さんに」
  そうだろう、そうだろう。当たり前だ。なんという横暴なやり方なんだ。反対するのも当然だ。先生は一体、どういうつもりなんだ。由有子と結婚したいとか言っといて、随分と無責任じゃないか。
「でも、私、行きたいの。日本に残ってたら、花嫁修行させられちゃうわ」
「仕方ないでしょう? でも先生もひどいわね。由有子をずっとほっぽっとくつもりなのかしら。由有子はまだ独身じゃないのよ。そんな若い娘を、アメリカくんだりに連れて行って、結婚はどうなるのよ」
「そうねえ、私、入籍だけしちゃおうかしら」
「ええ!」
「だって、先生が向こうに行くまでに、式を挙げるのなんて無理だと思うのよ。後、三か月もないんですもの」
  なんという急な! 私は、少なくとも、あと二年くらいは結婚しないと思っていたのに……。
「ちょっと急すぎるわよ。先生だって戻って来られるんでしょう?」
「ええ、時々はね」
「結婚式くらい挙げるでしょう?」
「さあ……どうなのかしら、わからないわ」
  絶句。由有子のこのズボラさ。こんな子だったっけと思わされる。これも先生の影響なのだろうか。アメリカに住みたいなんて言うくらいだから、結構、日本の慣習なんてバカバカしいと思ってるのかもしれない。結婚式なんて、アメリカに行ってから、どっかの教会で済ませればいい、くらいにしか先生は思ってないのかもしれない。
  こういう私の感覚は、いわゆる国際感覚の乏しい日本人に有りがちな、大きな誤解ではあった。アメリカが合理主義精神の旺盛な国だからといって、結婚式をおろそかに考えているというわけではない。しかし、まだ日本の結婚式にすら、あまり出た事のない当時の私は、それだけはやらなきゃいけない事だと思うあまり、つい関沼先生を疑い始めていた。
「ちょっと、先生に会いに行くわ、私」
「え? ひさが? でも、忙しいでしょう?」
「いいから会うわ」
  結局、四月のエイプリルフールに、会社の帰り、J大の研究室に寄った。大学内に咲く桜が、宵闇の中に賑やかなムードを作っている。
  私には、その時、由有子の両親の気持ちを思いやる所が、多分にあった。由有子の父親は、やっとドイツから帰って来たばかりなのだ。初めて構えたマイホームで、親子水入らずの日々を過ごせるようになったというのに、一人娘の由有子(それも彼女はこの時やっと二十二才、まだ若いわけだ)を嫁にやる決意だって、よくぞした……という感じがするのに、その上、遠いアメリカに出さなくてはならないとなれば、反対するのも無理はない。
  ただ、関沼先生は、並みの婿とはわけが違う。(まだ婿にはなっていなかったが)由有子の両親も、由有子にはともかく、関沼先生に対しては、面と向かって反対しにくいんじゃないか。そんな気持ちが、私をして関沼先生への直談判の形を取らせたのかもしれない。
  由有子の両親というのは、由有子に対して、やや保守的な所があるにはあると思う。しかしそれには、由有子が体が弱い事への気遣いがあるようにも思える。殊、由有子の縁談になると、非常に神経質な所があるように思われる。それは、ことによると、由有子の母親の病質に対するこだわりが、そうさせるのかもしれない。深読みかもしれないが、そんな気もちょっとした。あれほど大学院に進んだり、カウンセラーになったりする事に対して、
「そんな事をすると、嫁の貰い手がなくなるのでは……」
  という心配をしていた彼らが、ああもあっさり十八才も年上の関沼先生との結婚を受け入れてしまったのは、そういう若干後ろ向きな姿勢があるんじゃないだろうか。もし、そうだとしたら、せっかくまとまりかけた縁談に水を掛けるような反対は、なおのこと、しづらいのではないか……。その点私なら、若気の至りでバカな事を言い出した、という風を装えるかもしれない。
「結婚式?」
  先生は、グイッと額に皺を寄せ、気難しそうな顔で言った。
「当然やりますよ。彼女は一人娘ですからね」
  会うなり、質問を浴びせ掛けた私に半ば戸惑いながらも、先生は穏やかに言った。
「たった一人の娘の花嫁姿を、ご両親だって何年も、楽しみにしてこられた筈だ。勿論、私もですけど……。それに、あの人にも無理に来なくていいと、言ってあるんですがね。確かに渡米の予定が早まってしまったのは事実だが、僕は、彼女と結婚するまでに、少なくとも、後一年はおくつもりでいましたしね」
  と、さすがにこちらは大人の発言をする。ちなみに先生は、由有子の両親と、既に面識がある。
「親御さんが、反対なすっているというのは、僕も初耳です。困ったな……。あちらは、僕が強引に連れていこうとしているとでも思われているのかもしれませんね」
  まあ、それはそうでもないようだった。ただ先生の言葉を信じるなら、由有子はあと一年で、親元から離れる事になるのだ。しかも、その後はアメリカに行く。私もこの頃になって、ジワジワと由有子との別れを実感し始めた。行ったら、いつ再び会えるだろう……。そう思うと私だって、あと一年は由有子との名残を惜しみたい。
       

12p

戻る

14p

進む