「光の情景」
作/こたつむり


〈第2章〉12p
 
 由有子に頼まれて、書き始めたイラストの方は、下書きがうまくいかなくて、そのまま放ってあった。やはり、しばらく書かないと、構図ひとつ取るのにも、四苦八苦してしまい、一度新しく書き直したんだが、前のよりさらに気に食わない。二つの下書きを見比べて、前の方のに決め、ペンを入れてみたが、なんとなく乗らない。そんなしている内に、一週間がサラサラと過ぎてしまい、結局、休みの間に書かずにいたら、そのまんまになってしまった。
 その代わり、というのも変だが、由有子のために書き始めたイラストに何か触発され、会社に復帰してから後も、仕事中と言わず、昼休みと言わず、通勤中と言わず、漫画のキャラクターやストーリーがポンポンと断片的なシーンとなって頭に浮かんで来てしまい、何をやっても上の空……という状態が訪れた。
  実際には、一枚のイラストを書く事と、漫画のネタを考える事とは、一つながりの思考の中には存在しないハズなのだが、漫画というものも、一種の芸なのだろうか、一旦、イラストでもなんでも書き出すと、その作業の何かから、体に眠っている記憶が連鎖反応を起こし始めたかのようだった。
  それで由有子には悪いと思ったが、その欲求に身をまかせてイラストは一度中断し、十六ページ程度のストーリー漫画を書き初めてしまった。それでも初めのうちは、コンテを切るだけで、気が治まるつもりでいたんだが、コンテを切ると、下書きがしたくなってしまい、下書きを書いているうちにネームの変更を思いつき、あれよあれよの間に本格的に取り組んでしまった。
  なんとまあ、漫画なんか、もう二度と書く事もあるまいと思っていたのに、道具を買い揃える時間すら惜しく、残り少ない墨汁を傾けながらペンに取る程、貪欲になってしまい、仕上げの作業まで、間も置かずにスパートしてしまった。
  二週間寝てたせいで、体力が充実していたのか、仕事を中断したせいで、気がおかしくなっていたのか、なんとも説明のしようのない心境の変化という以外にない。強いて言うなら、こうした作業、及び刺激に飢えていたという所だろう。
  スクリーントーンは、学生時代からためて持っておいたものを、有り合わせで使用した。本当は、新しい柄を店先で選んで凝りたい気がしたが、そうまで凝ってては身が持たない。……れにしても、同人誌とかに載せる、締め切り間際にならなくては重い腰をあげない事で、漫画仲間の中では有名だった私が、特に投稿する目的もないのに、キチンと一作上げたというのは、我ながら驚いた。
  そして完成したころ(もう十二月に入っていたが)、私は、完全に今の仕事をやめるつもりになっていた。別に漫画家になろうと思ったわけではない。会社に定時に行って帰って、限られた時間で少しづつ書く、という禁欲的生活が、ただ我慢できなかった。もう一度飽きるほど書いてみたい。もう一度その快楽に身をまかせたい。それだけの事だ。気が済むまでやったら、どっか暇な会社にでも再就職するか、アルバイトでもして、次の漫画の構想でも練ろう。なんの、その日暮らしになったっていいじゃあないか。やりたい事をやらずして何のための人生なのだ。
  由有子から手紙が来た。既にクリスマスも近い頃だった。中には、来年から関沼先生の助手になる決意や、私の漫画に対する応援、それを早く見せて欲しい事、そして最後に、結婚する事を入沢に手紙で報告した事が書いてあった。
  私は、彼女宛に、会社を近々やめて、漫画を書いていきたい事、……そしてそのきっかけを由有子に与えられた事への感謝などを、長々と書きながら、ふと、入沢が由有子の手紙を読んでいる風景を想像した。
  入沢は、どう思っただろう。私は、やはり、一言入沢にも相談すべきだったんじゃないか……そんな気持ちになった。でも相談してどうする? 入沢が反対したら、由有子は結婚を諦めただろうか。それより入沢は反対などしただろうか。今となっては、やはり、相談などしても無意味だったかもしれない。そう思うより他にはなかった。
  由有子の言う通り、関沼先生との結婚は、由有子自身が決めるべき事だったような気がする。そして私には、彼女の選択が、あながち間違ってはいなかったのかもしれない、という気持ちが、若干さみしいながらもあった。
  明くる年の三月になった。私は相変わらず、まだ会社勤めをしていた。しかし、漫画を書いていた時の気持ちは、一時の衝動に止まらず、依然、退職の意志は固かった。
  ただ、会社の先輩に話した所、四月から新入生が入って来るので、それまで待って欲しい、と泣きつかれたのだ。ふざけてんじゃねえよ……とは思ったものの、一応その要求は受け入れてやった。新入生が入って来たら、少なくとも三か月は引き継ぎが要る。せっかくその三か月いるなら、七月のボーナスを貰い、八月の夏休みを貰ってからやめる方がいい。
  悔しいが、どうせ、おせっかいな私の性格では、入って来た新入生の顔を見たが最後、その後が心配になったりなんかして、結局やめる時期をのばすんだろうな、とも思った。自分も入社したての頃は結構仕事を覚えるのに苦労した。右も左もわからぬ新人の子がアタフタとしているのを尻目にスパッと辞めて行く……なんて事はできそうもない。退職は八月に決めた。
  日曜日の事だった。夜、毎週の事だが、明日から会社というのがひたすらうっとおしい気分の時に、イキナリ由有子から電話がかかった。
「ごめんなさい。明日の朝早いのに……」
  十時半だった。もっとも十二時近くになってかけて来る友人もいる。私は気にしなかったが、
「どうしたの? めずらしいわね」
  と言った。
「実はね、急に先生が……関沼先生の事なんだけど、先生が、アメリカに行く事になっちゃったの」
「ええー? 本当に急だわね」
「そうなのよ。びっくりしたわ。私も」
「でも、由有子、もう先生のお仕事を手伝ってるんじゃないの?」
「ええ……それが先生は、四月からでいいっておっしゃてたの。一応、三月までは、春休みにして遊んでおきなさいって」
  関沼先生らしい。実は、あの後、二回ほど由有子と一緒に先生に会った。先生は、よく遊びよく学ぶ、休む時には徹底して休むべし、という主義の人で、就職もしないし、大学院にも行かないつもりの由有子が、冬休みに先生の執筆している原稿の手伝いをしたいと申し出た所、
「あなたは、まだ学生なのだから、冬休みには休みなさい」
  と言われた……と言って、私を誘ってくれ、先生のお宅にお邪魔したのだ。私は由有子にだけ会うつもりだったので、見せて欲しいと言われていた例の、漫画原稿を持参していた。……で、由有子にせがまれて、先生にまで披露するハメになった。
「会社に行ってる傍ら、これを書くとはパワーがあるじゃないか」
  と先生は言いながら、赤面する私の前で、例のごとく弾けるように笑った。ギャグとコメディーで十六ページが終わるだけの、他愛ないストーリー漫画なので、笑えてもらえたのは助かったが、その後の会話で、先生が、呆れるほどあらゆるジャンルの漫画を読んでいるのを知った。私でさえ付いて行けない。
  先生の部屋には、結構漫画本が多い。
「これって、心理学の教材なのかしら」
  私は由有子にそっと耳打ちして笑った。冗談で聞いたのに、先生は私の言葉を聞き付けて、
「そう、さすが、わかりが早いなあ」
  と、うれしそうに意外な事を言った。
「社会学、社会心理学なんて言うと、小難しい気がするかもしれないけど、なんの事はない。世間の人は何を考えているのかを、世間から離れている僕達は知らなきゃいけないからね。特に、ジェネレーションギャップなんて言われる現象を調べる時には、若い子の感覚をなんとか捕えなきゃならない。年配の人だと、意識調査を会社とかに頼んでやってもらうと、みんな結構真面目に答えてくれるんだが、最近の若い人たちになると、こっちが真面目でも、相手は、なんでそんな事やんの? みたいな答えが返って来るだけでね。ま、シラケ世代って奴なんだろうね。真面目に相手してくれるのは、心理学や社会学の学生だけで、なんのために行っているのかをわかっている連中に答えてもらっても意味がない時も多いからね。
  今の若い人たちというのは、僕が思うには、思考より感覚が主流なんじゃないかな……。そういう連中に、いくら聞いても埓があかない。ある意味、年配の人より、表現力もあるし、多種多様なんだけど、反対に統一された表現方法が確立されていない。これは、どんな時代でも若者ってのは、そういうもんなのかもしれないけどね。彼らの頭の中を理解するのには、彼らの情報源をキャ ッチしてしまう方が手っ取り早いんだよね。漫画なんて、その最たる情報機関だと僕は思うね……。大学でよく聞く、何の事を言ってるのかよくわからない彼らの言語が、何をルーツに出て来たのか、一目瞭然にわかってしまう」
  へええ。そうなの。我々若い者は、社会学における生態研究の課題なんだ。
「じゃあ、社会学の研究者って、漫画も研究してるんですか?」
「さあね。他の人はどうかな」
  先生はちょっと、無表情になった。しかし、すぐにイタズラっぽい目をして、
「真面目だね」
  と言うと、急にガハハと笑い出した。
「本当は、漫画が読みたいのさ」
  私はからかわれている事に気づいて赤面した。
  先生の話しでは、先生は若い頃、作家か、映画監督になりたかったらしい。その時書いていた原稿は、学会に提出する資料だったのだが、本を書く事もある。文章表現力が豊かで、ナルホド作家になりたいと思った時期があるというのは納得が行く。いわゆる学者の文章とは違ったユーモアのセンスに溢れたものを彼はもっている。
       

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