「光の情景」
作/こたつむり


〈第2章〉7p
 
 でも、私は言った。
「私は勿論、いつまでも由有子と友達でいたいと思っているわ。でも、入沢君は……入沢君とは友達だけでいる事はないんじゃないかしら。お互い好きなら、結婚するって事もありうると思うんだけど」
「そうね、そうなるかもしれないわ」
  と言いつつも、由有子は憂鬱そうな顔をした。
「私が、いつまでもこのままでいたら、健ちゃんは私と結婚してくれるかもしれないわ。たしかに、でも……」
「でも?」
「それじゃあ、健ちゃんがかわいそうだわ」
「かわいそう? なんで?」
  由有子のような、かわいくて明るくて、賢い美人と結婚できる男性のどこがかわいそうなんだろう、私は驚愕せざるを得ない。
「だって、健ちゃんは、お医者さんになろうとしているのに……」
「由有子と結婚したら、なれないかしら」
「そりゃあ、私だって、健ちゃんがお嫁さんにしてくれれば、健ちゃんが立派なお医者さんになれるように、一生懸命協力すると思うわ。でも、私がそんな事しなくても、健ちゃんなら、この先いくらでも、いいお嫁さんが来てくれると思うのよ。何も私と一緒になんなきゃいけない必要なんてないと思うわ。私が健ちゃんにくっついていたら、健ちゃんがこれから先、ずっと私のお守りをしていく事に変わりはないような気がするの。それじゃあ、あんまり、健ちゃんがかわいそうだわ」
  私と由有子の間になんという感覚の相違があったのだろう。私の目には、どう見ても、入沢が由有子のお守りをしているだけには見えなかった。
  確かに入沢は由有子の体の事を心配してやったり、勉強を教えてやったりしていた。その様子はどちらかといえば、兄が妹の面倒を見てやるような雰囲気がなくもない。しかし、あの入沢の大人びた優しさと、由有子の無邪気なかわいらしさをあわせれば、自然、あのような関係になるのではないか。そこにはベタベタしたものや、不自然な印象は感じられなかった。むしろ二人のいる図がなんとも美しい光景だと私は思っていたのだ。
  もし、由有子がそこに無理や、理想とのギャップを感じていたとしたら、入沢も又、同じように由有子を結婚相手として見てはいないという事だろうか。私は、入沢が由有子に対して振る舞ってきた、あの笑顔や優しい目の色を思い浮かべて、つい首を傾げた。
「由有子が、なんでそんな風に考えるのかわからないわ。もし、入沢君が由有子と結婚したいと言ったら、それは、入沢君にとって由有子が必要な人だからじゃないのかしら」
「少しはそうかもしれないけど……でも健ちゃんには、もっといい人がいるんじゃないかしら。健ちゃんが私の事をいろいろ気にかけてくれているのは本当の事だと思うけど、それは私が頼りなくて、放っておけないからだと思うわ。結婚ってそんな事じゃないって気がするのよ。そんな事じゃいけないような気がするの」
  由有子の言ってる事も、そのニュアンスがわからないでもない。由有子は相互扶助の形としての夫婦像をイメージしているのだろう。確かにその考えは正しいと思えた。考えてみれば、由有子は、確かにただ男に甘えていたいだけ……という、わがままで、自立心のない女とは違う。
  私は、ただ慌てふためいて異論ばかり唱えていても仕方がないな……と、この時ちょっと思い始めた。ここでいくら入沢の事を持ち出しても、由有子を動かす事は難しいし、実際、入沢と由有子の結婚……という、今まで単純に作り上げてきた自分のイメージがどこまで確定要素に基づいているのか、すでに自信が持てなかった。由有子自身が抱いている結婚に対するイメージを、自分はあまりにも捕えきれてないのではないか。そんな気もしてきた。
「じゃあ、関沼先生とだったら?」
「そうね、先生は、本当に私の事を必要としてくれていると思うの。勿論、私にとっても先生は、今まで会ったどんな人よりも、いろんな意味で、たくさんの事を私に教え、与えてくれる人よ」
  そう言われると、もはや反論する余地はない。年令が離れ過ぎているとか、由有子がまだ若すぎるかもしれないとか、そういう事がどんな弊害があるのかは、実際、自分も結婚について真面目に考えるチャンスがなかったので、具体的には、すぐに思いつかない。きっとその手の反対意見がどこかから出る事が予測されたが、私には私なりの由有子に対する、親友としての立場や理解、意見といったものがある。予測のつかない事柄について意見を言える立場でもなかった。あるいは由有子ならそういう弊害を克服できるのかもしれない。そんな気もしてきた。
「でも、ひさに話して良かったわ。ひさには私の事で、いつもいつも心配かけてばっかりね。でもやっぱり、ひさに聞いてもらわないと、なんだか落ち着かなかったの」
「そんな……いいのよ。何でも話してちょうだい。私も由有子に話してもらえて良かったと思ってるわ」
  そう言ってから私は、ちょっと考えてみた。
  私は、思考を変更する必要があると思った。由有子に起こった関沼先生の求婚を、私は、突然、彼女の身に降って涌いた災害か何かのように思い込んで彼女と話してきたが、これは、発想を転換せざるを得ない。彼女は、関沼先生との結婚をあくまでも前提としている。今はそれを検討する段階に入っているのだ。先生を結婚相手として見るかどうか、という事より、結婚相手にすべきかどうかという、具体的な相談を私に持ち込んでいるのだ。それならそれで、こちらも考える材料を得なければならない。
「いいわ、その先生に私も会ってみるわ」
「ああ、良かった。ひさに会ってもらいたかったの。私」
  彼女はようやく、やや緊張感を緩めてほほ笑んだ。

  関沼正伍という大学講師に会ったのは、それから一か月あまり後だった。私は、その時なおたまっている代休をとって、わざわざ平日を空けた。会社では、その頃、すでに結構無理をいっても通る身分になっていた。……というより、言うことを聞かないとやめられてしまうからなのだろうが、(同期の女の子がこの一年間で、五人のうち三人もやめてしまったのだ)
「この日は仕事をしなくても大丈夫」
  と、こちらから言えばいいくらいにまで、まとまった仕事をまかされていたからでもあったと思う。
  平日にしたのは、関沼先生が大学にいる姿を見てみたかったからで、由有子に話しを聞いてから、先生に会うのが一か月も遅れたのも、大学が夏休み中で、講義をやってなかったからだ。
  由有子が、はじめて関沼先生に会った時と近い状況で、私もその先生を見たいと思った。
  私には、関沼先生という男性に対して、多少、偏見も先入観もあった。言ってしまえば、入沢から由有子を奪った男……みたいな感覚である。そういう視点で、将来、由有子の伴侶となるかもしれない男性に会うべきではない、という判断が自分なりにあったと言って良い。相手は心理学者なのだ。多少は敬意も払うべきだし、向こうから見れば、二十歳近くも年の離れた女の私の心理など、簡単に見透かされてしまう。はじめから、由有子の親友という立場で、殊、結婚問題に口を挟みに来たとあっては、先生も気持ちのいいハズもない。
  由有子にも、その事を話した。すると彼女は、
「先生には、もうひさの事は話してあるの。ぜひ会ってみたいっておっしゃったわ。そんなにオジサンっぽい人じゃないのよ。若い人と話しをするのは大好きな方だわ」
  と、先生の気さくさを強調したので、
「じゃあ、先生の授業をこっそり聞いちゃおうかな」
  と、試しに言ってみたら由有子は、
「アタマいい! グッドアイディアよ」
  と同調し、講義教場に潜り込めるようにしておくと約束してくれた。ちょっとしたイタズラでもするような、ワクワクした感じだった。
  関沼先生の講義のある日を聞き、代休をとると、大学の正門で由有子と待ち合わせ、キャンパスに潜入した。授業は二限だった。先生は、その日、それが終わると、大学での用は済んでしまうので、お昼ごはんを三人で食べよう、という事になっている。
  教場で待っていると、やがて先生が入って来た。
  なんと、若いではないか。今年で四十才になる、という事だったが、とてもそんな年には見えない。髪形なんか七三分けなぞになってないからなのかもしれないが、体つきもスマートそのもの。声はカサカサした感じではあるが、しゃべり方も若々しく、大学の先生という固定観念は、あっと言う間に吹き飛んだ。
  大学という所は、六十才とか七十才とかの教授でも、まだまだ現役だったりする、実に先の長い教育の場で、それで言うと、関沼先生も、やっと走り出した青年講師に近い年令なのかもしれない。とにかく、会社でオッサンくさい同僚や、ジイサンくさい課長、部長の類いと机を並べている私の感覚では、ちょっと予想を脱する程のインパクトはあった。
  悪く言えば、大学講師などは、世間の荒波に揉まれてないのかもしれないし、良く言えば、それ故に、若々しい気力を持続させうるのかもしれない。
 

6p

戻る

8p

進む