「光の情景」
作/こたつむり


〈第2章〉5p
 
「おまたせ……あれ、何見てるの?」
「うん、これ」
  私は机の上の写真を指さした。
「珍しいわね、由有子でも写真なんて飾るのね」
「ああ、それ」
  由有子はクスッと笑った。
「健ちゃんがね、送って来てくれたの」
「入沢君が?」
  彼女の口から出る「健ちゃん」も久し振りに聞く。
  写真には、入沢と由有子が並んで写っている。
「私と健ちゃんが一緒に写っている写真って、結構少ないのよね。あれえ? でもひさ、これ見るの初めてだっけ?」
「そうよ。これいつの?」
「写したのは去年の夏休み。ああ、そうだっけ、去年は、結局ひさは行けなかったのよね。一緒に行きたかったわ」
「ああ……じゃ、北海道の写真ね」
「そう。あらいやだ、ひょっとして私、あれ以来、ひさに北海道の時の写真も見せてなかったんじゃないかしら」
  私は苦笑してしまった。何しろ、ここに来るのも二年ぶりなのだ。由有子の話題から遠ざかるのも当たり前なのだった。
「でも、これが送られて来たのは、例によって冬休みの頃なのよ。健ちゃんが成人式の時に来てくれたでしょう? そうか……あの時もひさは来れなかったのよね。健ちゃんね、冬休みに入ってから、あわててこれを送って来たのよ。ほら、もう少しで私にあわなきゃいけないと思って、先に機嫌を取ろうと思ったんじゃないかしら。でも、夏の写真を冬になってから送って来たら、返って逆効果よね」
  そう言って由有子はアハハと笑った。なんだか、その笑い方が妙にさみしそうに見えた。いつも屈託なく笑う由有子にしては、めずらしい。
「そう言えば、今年はどうするの? もう八月じゃない。入沢君来るの?」
  私はうかつにも、その時になって気づいた。それ程私と由有子の距離はこの時遠ざかっていた。
「ううん、来れないんですって」
  由有子は首を振った。彼女がさっき笑いながらもさみしそうに見えたのはそのためなのか、と思った。
  医学部という所は私もよく知らないのだが、私が短大にいたころの入沢は、筆無精だったりはしたものの、結構学生生活をエンジョイしているように思えたのだが、私が短大を出た後、結構忙しくなってしまったらしくて、とんと東京には帰って来ない。
「ねえ、ひさ、あのイラストひさがくれたのよね、覚えてる?」
「ああ……あれ、まだはっつけてるわね」
  覚えてるも何も、彼女のために私が書いたものなのだ。忘れる筈がない。
「ひさは、まだ絵を書いてる?」
「いやあ……もう今は……」
「そうよね、本当に忙しいんですもの。無理もないわ」
「もう、全然書けないわよ。あんな風には……もっともあれも、だいぶ下手クソだったわね。あらためて見るとはずかしいわ」
「そんな事ないわ。私あれ好きよ。あれを見て、いつもひさの事思い出してるの」
  ノスタルジックな気分になって来た。由有子の声は、電話で聞くのと変わらないのだが、この部屋に来て、あのイラストを見ると、急に高校時代が懐かしくなってきた。このところバタバタと慌ただしく日をおくってきて、あまり振り返った事もなかったが、高校のころは、受験勉強とか言いつつも、精神的にはいつもどこか伸びやかな所があった。まだ何も先の事が決まってなかったからかもしれない。いつの間に決まったのか、今はこのままつまらぬ社会人を続け、いつか時を見計らって結婚でもするだけという、ごく当たり前の将来だけが目の前にある。そう思うと、なんだかあれから随分経ったような気がする。
  すると由有子が急に、
「もし、良かったら、いつでもいいんだけど、もう一枚書いてくれないかしら、忙しいでしょうけど、もう一枚書いて欲しいの」
「え?」
  忙しいのがどうのこうのより、急にそんな事を言い出す彼女の事が気になった。でも、彼女は、ぼんやりとイラストを見ているだけだ。
「私、ひさには絵を書いていて欲しいなあ。前見せてもらったマンガ……あれ、すごく良かった。ひさは漫画家になるんだと思ったわ。私」
「いやあね、あの程度じゃ無理なのよ」
「でも、ひさより下手な人がたくさん雑誌に書いてるわよ」
  彼女はズバリと言ってくれた。
  そう言われてうれしくない事もないが、本当は、漫画家になれないと思って諦めたんじゃなくて、なりたくなかったのだ。その事は、彼女と絵とか音楽とかの話しをするたびに彼女に話した事だった。私は、自分の書きたい漫画でメシを食っていく事は無理だと思っていた。自分の書きたいものと、読み手の読みたいものが違う気がしたからだ。
  漫画雑誌を開くと、最近の読者の傾向がよくわかるのだが、編集側は、購読者のニーズにはものすごく敏感で、漫画の世界は、芸能界並に買い手市場なのだ。私のまわりにも、最近の売れ筋追求型の漫画編集にはウンザリしている人が結構いるのだが、そういう人はおそらく少数派なのだろう。出版側は、
「こんなものを漫画家に書かせて売れば売れる」
  という枠を勝手に設けて、それ以外は書かせてない、という感じだ、又、そのデータどうりにやれば、確かに結構売れるのだ。芸能界が勝手にアイドルをつくって大衆に押し付けると、いつの間にか人気が出て来る……というのと似ている。売り手のつくったモノに買い手は簡単に満足してしまうのだ。ある意味、漫画なんて娯楽であって、芸術などとは違うんだから、仕方がないといえば仕方がない。変に芸術走られても困る。私は由有子の言葉に内心感謝しながらも、
「そうでもないのよ。あれはあれでうまいのよ、ちゃんとプロとしてやってるんだから」
  と言った。
「でも、どれもみんな同じ絵だわ」
  さすがに由有子の指摘は手厳しかった。なんで、絵を書いた事もない彼女にそうまでわかってしまうのだろう。やはり感性が人一倍勝っているのかもしれない。
「私だって、誰かの書いて来た絵をマネして書けるようになったのよ」
  と私は言った。いつだったか、由有子にその手の心理学の話しを聞いた事があったが、どんなに絵のうまい人でも必ず誰かの書いた絵を見て、その記憶を頼りに自分の絵柄を構成するものだそうだ。私もそう思う。しかし由有子は、
「でも現状に甘んじてる人のだと、画面に現れてくるんじゃないかしら……ひさのは、そうじゃなかったわ」
  と言って、目をイラストから私の方に移した。
  私には、そんな風に直接的な言い方をする彼女になんて答えたらいいかわからなかった。確かに私は以前は漫画を書く事の中で、そのようにいられた。しかしもし自分がプロになっていたら、彼女の批判はおそらく私に対しても向けられるだろう。それに、結局、漫画の世界から遠ざかって毎日の生活に追われているだけの私に、今何が言えるだろう。今の私こそ、現状に甘んじていると言えるのではないだろうか。そんな風に思えて来た。
  しかし彼女は、すぐに、
「私にそんな事を言う資格はないわね。私はまだ世の中の事はなんにも知らないんですもの」
  と言った。
「そんな事はないわ。由有子の方こそ、まっすぐに自分の道を進んでいると思うわ。私、大学院の事反対するつもりはないわ」
「本当?」
「ええ、さっきおばさんが、私の事褒めてくれたけれど、由有子は私のようになったらダメだと思うの」
「ひさのように? 何故?」
「だって私みたいに、毎日ただあくせく、つまらない仕事ばかりして、何も考えないでいたら、ただ年を食ってくだけじゃないの」
「とんでもないわ。正反対よ。ひさは立派だと思うわ。私、ひさのようになりたいわ。いつまでも親のスネかじってたら、ダメだと思う。仕事の内容の事はよくわからないけど、あんなに忙しいのに、ひさはよくがんばっていると思うわ」
  由有子は熱にうかされているような目つきをした。なんとなくいつもと違うのだ。すると急に由有子は言い出した。
「ひさ、私がもし……もしも、結婚するって言ったら驚く?」
「ええ?!」
  もうすでに驚いた。でも由有子は真剣な目をしている。なんというか、目が必死の感じなのだ。こんな事を言い出すにしては、照れも恥じらいもしていない。
「今すぐ?」
「ううん。それは、まだ一、二年先の事だと思うけど。私、プロポーズされたの」
  私は、とっさに机の上の写真に目が行った。


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