「光の情景」
作/こたつむり
〈第2章〉4p
由有子は、そんな私を心配してくれて、夏休みの間、泊まりがけで来てくれた。私は、とにかく疲れ果てていて、夜、由有子と話している最中にうたた寝こいたり、朝も、とっくに起きてる由有子に気付かずにグーグー寝ていたものだ。
「ひどいわ、こんなになるまで働かせるなんて。こんな事を続けていたら、ひさは病気になっちゃうわ」
由有子はそう言っては、三日間、話しをしながら、よく私の肩を揉んでくれたり、かわりに洗濯してくれたり、まるで私の奥さんのようであった。
短大にいた時と、由有子に会える頻度も変わらなかったし、むしろ少ないくらいだったが、短大の友達はみんな就職したり、地元に帰ってしまったりで、私が就職してからというもの、とんと御無沙汰の没交渉になってしまい、この頃……というと、由有子だけが比較的ヒマにしている唯一の友人と言えた。
ところで、由有子は、この夏は北海道に行った。私が行けそうもないので、ギリギリまで行かないと言って、がんばっていたんだが、彼女の大学の友達が北海道出身で、由有子をはじめ友人どもを誘ってくれたらしい。由有子が帰って来てから、おみやげ話を聞かせてもらうつもりでいたんだが、忙しくて、ついに会えずにいるうちに、それも古い話になってしまった。
冬になり、約束通り、入沢が成人式の日だけ、とんぼ帰りして来たのだが、私は例によって、休日は疲れ果てていて、成人式には出られなかった。由有子は振袖を着て、入沢と一緒に行ったらしい。
社会人二年めを向かえると、私にもようやく余裕が出て来た。私の下には人が入らず、忙しいのは相変わらずだったのだが、この頃には、ずいぶん仕事にも手抜きをし始め、慣れて来た事もあったのか、私は、結構休みの日に外出するようになっていた。由有子の家にも、なんと二年ぶり(私の内定が決まって、遊びにいった時以来)に出掛けたのであった。
「本当にお久し振りです」
私は、由有子の母親にまず挨拶した。由有子の母親は、時々気鬱になってしまう事もあるらしいが、いつもは、元気な人で、特に私が行った時は、ちょうどドイツでの任期を終えて、父親も戻って来ていた。私は、由有子の父親に会うのは初めてだった。父親の方も、半年か一年に一度くらいは日本に帰って来ていたのだが、わざわざ、そういう時にウチにお邪魔するわけにもいかないので、今までは会う機会がなかった。やはり夫が帰って来た安心感のせいか、今までにも増して由有子の母親は元気で明るかった。
「久世ちゃんなつかしいわ。お仕事大変そうね。由有子から聞いているけど、なんだか痩せたんじゃない?」
確かに私は、その時が一番痩せていたかもしれない。由有子じゃないけど、ちょっと不眠症にもかかっていた、去年の夏、会社であんまりクーラーをガンガンかけていたせいで、冷え症になり、それが慢性化しているためだった。眠れないと食欲もわかない。大学にいた頃などは、太るのがイヤで、ダイエットしていた事もあった。そのくせ、ちっとも痩せないでいたのに、会社に入ってからは、五キロも体重がおちてしまった。しかし、それ以外はいたって健康で、相変わらず、風邪もひかない丈夫な体なのだ。
「でも偉いわねえ。ちゃんとお勤めして。由有子も少し見習うといいんだけどねえ」
「そんな事……でも由有子も、そろそろ就職でしょう?」
と私も何気なく言うと、由有子は、
「え? 私ひさに言わなかったかしら。私、今就職活動してないのよ。もうお母さんに、どうするんだって毎日言われちゃって」
「え? 由有子って就職しないの?」
私は初耳だったので、つい声をあげた。そう言えば、電話では、つい自分の愚痴ばかり話してしまって、この所の由有子の動向を聞いていない。昔はどちらかと言えば、私が由有子の話しの聞き役だったのだが、この頃には、立場が逆転していた感じだった。
「そうなのよ、この子ったら」
由有子のかわりに彼女の母親が口をはさんだ。
「まったく、しょうのない子なんだから。久世ちゃんの時は、確か、もうこのくらいの季節だったかしら……うちに来てくれて、ほら、内定の事を教えに……」
そうだった。二年前に来た時は十月の初めごろで、内定は九月だった。それでも仲間内では、内定の時期が遅くてあせっていた末の吉報だったのだ。
今ももう八月になっている。今、活動していないという事は、就職する気がないというのに等しい。
ただ由有子は、別に困った顔もせず、反抗の様子もなく、どこかひょうひょうとしている。
「だってお母さん、賛成してくれたじゃないの」
と、なだめるように笑う。
「賛成したんじゃありませよ。仕方ないわねって言ったのよ、お母さんは」
「反対しないでしょう?」
由有子は母親の顔をうかがった。母親の方は、困ったように由有子の顔を見て、タメ息をつきながら、私に、
「全く、どう言えばいいのかしら……今時の人って、みんなこんな風なの? 久世ちゃん」
と、私に反対してほしそうな様子だった。
「さあ。でも、由有子、どうするつもりなの?」
私は母親には答えず、由有子にまず聞いた。
「うーん。本当は大学院に進みたいって言ったんだけど、お許しが出ないのよ」
と由有子も負けずに私に言った。
「大学院に? わあ、由有子、勉強したいんだ」
私は素直に感動してしまった。私も短大の勉強は、それなりに面白かったし、大学生活をエンジョイする暇もなく、地獄の社会人生活をおくる毎日の中、自分も四年制に編入すれば良かったな……などと贅沢な事を考えた事もあったが、大学院となると、これは又、本物志向だと思った。無論、就職をあくまで嫌って、大学院に居残り続ける人もいるのだろうが、それには受験があるではないか。
「当たり前ですよ、そんなの。女の子なのに。そんな事やってたら、あっという間に年をとって、お嫁の貰い手がなくなっちゃうんだから」
母親は、私の感嘆には振り向かず、もっぱらお許しを出さない理由を言った。由有子は笑った。
「お母さん古いわね。お父さんもダメかしら」
「さあ……聞いてごらんなさい、たぶんお母さんと同じ事を言うわよ」
父親の方は、私と簡単に挨拶を交わした後、庭に雑草刈りに出てしまった。今は、ケンと遊んでいる姿が、窓越しに見える。
「ねえ、ひさ、相談したい事があるんだけど、いいかしら」
由有子はそう言って、席を立った。
「ええ、いいわよ」
私も立ち上がった。二階の由有子の部屋に行くためだった。
勝手知ったる他人の家というヤツで、私は由有子の家は熟知している。高校時代には、由有子親子は、片桐家に間借りしていたので、私も片桐家に出入りしてたが、短大時代、ちょくちょく、こちらの家にも来ていたのだ。由有子は、私のために、お茶の用意をしてくれているので、私は先に由有子の部屋に入った。
中に入ってから、私は由有子の机の上に真っ先に目を走らせた。なぜなら、写真が額に入って飾ってあるからだ。由有子の部屋は意外と機能性を優先させた感じの飾りっけのない部屋で、私が、以前彼女にあげた、例のレモン色のイラスト以外には、これといって意識的な飾り付けをしていない。そのイラストも、もうだいぶ色あせている。
「まだはっつけてある」
と思って、なつかしいやら、はずかしいやらで、苦笑せざるを得ない。その他のカーテンもカーペットもベッドのカバーも結構地味な上に、引っ越して来て、間に合せで買った……という感じのものでも、そのまま大事に使うタチなのだろう。二年前と全く変わっていない。決して洒落っ気のない人ではないのだが、部屋のコーディネートや、インテリアといったものには無頓着な所が彼女にはある。きちんと整理された中にも、
「住めればいい」
と言った機能優先な感じが、よくでている部屋だが、なんとなく居心地がいい。返って飾りっけのなさが、落ち着くのかもしれない。
そこへ由有子が入って来た。