「光の情景」
作/こたつむり
〈第2章〉3p
由有子の大切な犬を転居の度に捨てて来る訳にもいかないので、由有子の両親は東京に来た時も、すぐに入れるアパート式の社宅ではなく、庭のついている借家をさんざん探した。ちょうど、由有子の父親と同じ会社の人が転勤で、反対に東京を離れるため入居者を探していて、会社の仲介でそこに住む事ができた。しかし、いずれその人は帰ってくるし、細川家でもいつまでも社宅住まいというわけにもいかない。都内では、庭つきの家など買えるもんじゃない……というんで、船橋に定住の地を見たわけだ。
都内の会社に通勤していた由有子の父親は、
「我家はお犬様々だ」
とこぼしていたそうだが、この後の土地の高騰を考えれば、このころは、まだ船橋で済む時代だったと言うべきかもしれない。
由有子は入沢の家に中学生の頃から、しょっちゅう出入りしていたようだ。
入沢の母親が由有子をかわいがっていた。男の子しかいない入沢の母親は、息子以上に由有子がかわいい。由有子は片桐家にピアノのレッスンに訪れ、そこで入沢にあうと、帰りに入沢の家に寄り道して行く。そのうち、由有子のレッスンのある日になると、中学から帰って来た入沢をつかまえて、入沢の母親が、
「片桐さんのうちに行って、連れていらっしゃい」
とけしかけた……と、以前、入沢が話してくれた事もある。
そのわりには、入沢の方は由有子の家に行かない。中学生くらいの男の子が、わざわざ女の子の家に遊びに来るのなんて、めんどくさいんだろう、くらいにしか由有子も思ってなかった。由有子もはじめ、入沢の犬ギライには気付かなかったのだ。
偶然にも由有子の犬のケンは、入沢健治の「ケン」と同じ呼び名だったのだが、入沢が実は秘そかに、この犬を警戒している事実を知ったのは、由有子が片桐家に移り住んで来た時だ。この時ケンは片桐家の庭につながれていた。由有子の両親がドイツに連れていけなかったのだ。ケンは由有子になついていたし、片桐家は、家も庭も広いんで、由有子と一緒に預かってくれたのだ。
由有子が入沢や私の通っていた高校に転入して来た時、由有子の預けられていた片桐家に、入沢が迎えに行っていた事は前にも書いた。中学の頃から、片桐家では、よく入沢とは会っていたわけなんだが、入沢は、いつでも気軽にこの家の門を勝手に入り、ドアを開けて来訪を告げていたのに、由有子を向かえに来た初めての朝、入沢は、門のブザーを押すだけで、中に入って来ない。由有子が窓から、門の方をのぞくと、入沢が門の植え込みの陰にその長身を隠すようにしているのが見える。
ケンが、ブザーの音を聞いてワンワンとうれしそうにほえているのを入沢はうかがっている。 由有子が出て行って、どうして門の中に入って来ないのか聞くと、
「俺、犬が苦手なんだ」 と子供のようなかわいい……というか、情けない事を言うのだ。
その話しを聞いて、私も笑ってしまった。
「どうして? あんなにかわいいのに……」
「うん。遠くで見てる分には、かわいいなあと思うんだけどね……」
決して犬が嫌いというのではなく、小さい頃から、ほえられるのが怖かったと言うのだ。
「それに犬って飛びついて来るだろ」
「喜んでいるのよ。ケンは健ちゃんの事が好きなのよ、遊んだりかまったりしてほしいのに」
由有子もそう言った。
「そうなんだろうけど……」
入沢は、ポリポリと頭を掻いた。だがすぐにしかめっつらをして、
「いや、だめなんだ。とにかく、犬は」
と心底苦手そうに言うので、女三人は大爆笑してしまった。美樹は涙が出る程笑い転げながらも、
「そうなのよ。その猫がね、屋根から飛び下りて来た時も入沢君が『犬だ!』って大きな声で……」
その時の様子を思い出すと、おかしくてたまらないかのように、身をよじって言った。
「屋根に犬がいると思う?」
私も由有子もそう言われると、入沢のその時の様子が目に浮かんで来た。再び洪笑の嵐。
笑っているが、その時の美樹の怪我は、浅くはなかった。美樹は担架で運ばれて、車に乗せられ、山のふもとの病院まで連れていかれた。全治二週間の怪我だった。骨には異常はなかったが、裂傷がひどかったらしい。
「あと、残りませんでした?」
由有子は、心配そうに美樹の足のあたりを見た。
「ええ、今はもうほとんど……。その時は、あとが残ったらどうしよう、とか言って、入沢君をいじめてたんだけど、元が頑丈にできてるから、すぐに直っちゃったのよ。それより、私のせいで、入沢君が東京に来れなかったなんて、初めて聞いたわ。知らなかった。悪いことしちゃったわね、返って。ウチまで来てくれて……」
入沢は、律義にも、美樹の家まで謝りに行ったそうだ。まあ、当然と言えば当然の事だろう。
「入沢君、私と由有子に言い訳するために、川上さんを連れて来たんでしょう」
と私が冷かすと、入沢は、
「そう、みんなで責めないでくれよ」
と言いつつも笑っている。
「でも、そんな事があったなら、もっと早く知らせてくれれば良かったのに。健ちゃん、筆無精なんだから」
由有子にまで責められて、ちょっとかわいそうだったが、この際、入沢の頭の上がらない先輩もいる事だしと思い、私は、やっぱり電話をつけるべきだと主張した。
「そうねえ。電話がないと不便よね。電話をつけてないのは彼ぐらいじゃないかしら。ちょっと、遠くに出ると、北海道は田舎なのよお」
と美樹も応援してくれた。
三月も末になると、私は会社の研修が始まってしまい、入沢の見送りには行けなかった。あとで由有子が、
「健ちゃんが、ひさにもヨロシクって、言ってたわ」
と伝えてくれた。
「入沢君、今度はいつ来れるの?」
「今年の夏休みは無理みたいなの。忙しくなるって言ってたわ、三年になったら。来年の冬に来てくれるって。……私たちの成人式の日に」
「その頃って試験でしょう?」
「どうなのかしら。でも成人式だけは来るって言うのよ」
「由有子、今年の夏こそ行きなさいよ」
「そうね、行きたいわ。この前来た川上さんも、私が行ったら泊めて下さるって……。でもひさは無理でしょう? 夏休みなんかもらえないのかしら」
その頃はまだわからなかったが、結果的には無理だった。夏休みがあるにはあるのだが、三日づつ、二回に分けてしか取らせてもらえなかったのだ。そのうちの一回は、社員旅行に引っ張り出されて二日も潰されてしまった。残りの一回の三日間で北海道に行くのは、ちょっと苦しい。入沢には会えるだろうが、他にはどこも見られない。
その事より前に、私は、社会人なるものの現実をこの時わかっていなかった。今になって考えると、仕事の忙しさも、社会の厳しさ(と、会社人が自負している、うさんくさいシチュエーション)も、何の役にも立たぬ無意味なものでしかなかったと思えてしまうんだが、当時はそんな割り切った考えはできない程若く、また精神的な余裕もなかった。
とにかく最初の一年は、忙しくて疲れる……それだけで、瞬く間に過ぎたと言って良い。全くバカッぽい苦労だったと思うんだが、一年間、牢屋にでも入っていたような気がする。世間から隔絶され、仕事をする以外には、あらゆる労力ももち得ない状況ではあった。
入社して、一ヶ月も過ぎた頃から、にわかに毎日忙しく、一日に最低でも五時間は残業させられた揚げ句、残業代は公然とカットされた。休日は二回に一度は出勤させられ、そうでない休日にも、新人歓迎だ、移動に伴う送別会だ、社内の運動会だと、引っ張り出された。勿論の事だが、こうした社内行事は、男に餓えた年配OLでもなければ、女性にとっては地獄である。楽しいのはオジサンだけ、というのは、いずこも同じだ。
とにかく北海道どころか、由有子に会う事も、ひどい事に電話で話す気力体力もなくなって、家に帰るなりバタンキューを繰り返す日々が続いた。夏休みというのも名ばかりで、たまっている代休を消化するためのものに過ぎない。三日間の休みの間、私はひたすら寝まくっていただけだったのだ。
日本人ってのは、なんでこんなに働くのが好きなんだろう。他の人はともかく、私はこの無意味なだけの生活が、わずか半年でつくづくイヤになった。そう思った時にさっさとやめちまえば良かったのだが、頭も麻痺していたし、他の会社というものを知らなかった事もあって(よく考えてみれば、総ての会社がこんなにひどいハズはないんだが)だらだらと続けてたわけだ。
無論、同期の女の子の中には、体をこわしてやめていった人もいたし、恋人のいる友人などは、結婚の予定を早め、泡食って出て行った。タテマエはともかく、どうせ続けていても女に重要なポストなど巡って来るわけでもない。正しい選択と言える。