「光の情景」
作/こたつむり
〈第1章〉10p
由有子はJ短大に受かったので、その他は受けない、と言ってたんだが、願書を出してしまった内、やはり、四大だけは受けてみる、と言い始めた。
「そうよJ短が受かったんだから、がんばってみなさいよ。受かるかもしれないじゃない」
「そうね、私やっぱり受けてみるわ」
と言って受けたT大に、なんと、ものの見事に合格してしまった。発表は、三月に入ってからだった。
「どうしようかな。短大に行くべきか、四年にすべきか……」
「すごいわね、由有子。贅沢な悩みだわ」
私は笑いながら言った。私は、正直言って、由有子ならこういう事になるんじゃないか、と思ってはいたんで、この相談を持ち掛けられる事は、予想していた。
「こうなると、就職先を選べる道をとるか、心理学の方向をとるかっていった所じゃないかしら」
「そうなのよ。困ったわ」
「就職するなら、J短は引く手あまただと思うな……。何しろ、一流大学だもの」
「大学の方はね。短大の方はランクが低いのよ」
「ばかね。短大の方が、もっと就職率が高いのよ。でも、由有子は心理学の方に進みたいんでしょう?」
「でもT大の方は、ちょっと毛色の違う系統なのよ。心理学は心理学でも社会心理学なの」
「それだと、勉強したい事と違うものになっちゃうのかしら」
「よくわからないけど、全く違うわけでもないらしいわ。だから受けてみようかなって思ったんだけど……。何しろ、私のレベルを中心に大学を決めたんだから、仕方ないのよ。ちょうどT大あたりが第一志望にできた所だったんだもの」
「欲張って、J大を受けてみれば良かったのにね。受かったかもしれないわよ」
私は今にして、他人事ながら、悔しくなって来た。しかし彼女は、
「いくらなんでも、そうそう奇跡も起きてはくれないわよ」
と言って笑った。
結局、由有子は、T大の方に行く事に決めた。
入沢もH大に見事合格した。
私と由有子は、知らせを聞くと、すぐに入沢の家に行った。この時、まだ決まってなかったのは、決まるのが私立より遅い国立を受験していた入沢だけだったのだ。
「すごいじゃない。やっぱり健ちゃんって頭いいのよ」
由有子は、会うなり、入沢にそう言った。
「そんな事ないさ。ただ北海道は遠いしなあ……行くべきかどうか……」
「ええ? 行かないの? そんな、せっかく受かったのに」
「うん、今になって考えるとね、北海道に行く事になるとは、自分でもしみじみ驚いてるよ」
「そんな、のんきな……、健ちゃん行きたくないの?」
「そりゃあ行きたいさ、やっと受かったんだからね」
「そうよ、もったいないじゃないの」
由有子の方こそのんきだ。私は二人の会話を聞いていて、つい口をはさんだ。
「入沢君は由有子の事が心配なのよ。そうでしょ?」
と私は入沢に念を押してしまう。
「当たり」
入沢はニコッと笑って、悪びれもテレもせずに、うなづいた。そして、ちょっと笑いをこらえるような表情で、
「俺がいないと、由有子は病院に行かなくなるだろう?」
と言った。 私もこの頃になると、由有子が結構体が弱いのを知っていた。特に何が原因というのではなく、ちょっとした気温の変化で、風邪をひいたり、おなかをこわしたり、低血、貧血、不眠症、生理不順、冷え症、神経痛、胃下垂、胃炎、動悸、息切れ、立ち眩み、関節炎、皮膚炎、鼻炎、花粉症……と、見た目には、ごく健康そうに見える彼女が、毎日、これらの症状のうちの三つ四つくらいとは軽くつきあっているのを、入沢は、いつも気にかけていた。
中学生の頃起きた病気についても、当時は彼女の両親が大騒ぎしたそうだ。長期療養の可能性の高い難病という事で、当初は学校の進級に障りがあるかもしれない、とまで言われたらしい。進級の方はともかくとして、それほどの病気というだけでも本人も周りも随分と気の揉める思いをしたに違いないが、意外とその後の経過は良かったそうだ。しかし由有子は今でも定期的に医者の診察を受けているし、発病当時は結構長い事入院したという。
「でも、手術とかはしなかったの」
由有子は、そう言って、たいした事はなかった……と強調するんだが、手術をしなかったから……と言って、病気の重軽を語れるもんじゃない。高校の授業では、水泳以外の体育も受けていたが、中学の時には医者に止められていたらしい。長時間の運動や極端な疲労は今でも避けるように指示されている。
クラスで会っても、入沢は由有子に時々尋ねる。
「きのうねむれた?」
「それが……結局ね、五時ごろになって、やっとウトウト……」
「だと思った。目の下にクマができてる」
「せっかく眠れないから(せっかく眠れないと言うのも変だが)単語でも覚えようと思ったんだけど、いきなりこの辺が(と言って胸の下あたりを手でおさえる)キリキリ痛くなっちゃってね……。でもすぐに直ったの、それは。それからは、増す増す眠れなくなって……」
入沢は、別に由有子を無理やり病院へ連れて行って、薬漬けにするような事はしない。ただ心配なのだろう。
「無理して勉強する事ないよ。受験の事が気になって、返って眠れないんじゃないの? マイペース、マイペース」
と元気づけてやろうとする。由有子も心配かけているのが、後ろめたいのか、
「健ちゃんって、絶対いいお医者さんになれると思うわ。がんばってね」
などと、励まし返して、自分の体の事はごまかしてしまう。あんまり説教めいた事を言うと、由有子がけむたがるせいか、入沢は、ああしろこうしろとは今までも絶対に言わなかったんだが、今日はちょっとそれに触れた。
「由有子は病院に行くのが嫌いだからなあ……」
と言った。由有子はちょっとふくれながら、
「そんなことは……」
と言って、でもちょっとどうかな、といったようなイタズラっぽい目をした。ところが、しばらく三人でしゃべっているうちに、由有子の顔には、見る見るさみしげな、不安げな表情が浮かんで来た。
「でも、私……やっぱり健ちゃんが北海道に行っちゃうのは、とてもさみしいと思う」
すると、止められるとでも思ったのか、入沢は少し困った顔をした。
「夏休みになったら、戻ってこれるよ」
由有子もそういう入沢の言葉を聞いてあわてながら、
「そうよね、ごめんなさい」
と謝ってから、
「だって、外国に行っちゃう訳じゃないし……、それに私も遊びに行けるかもしれないしね……」
入沢は明るくつとめる由有子を優しく見つめながら、
「本当に遊びにおいで」
と言い、今度は私の方を見て、
「前田も来てくれよな。由有子と一緒に」
と言ってくれた。