「光の情景」
作/こたつむり


〈第1章〉9p

  由有子はJ大は無理と言ってたが、少なくとも彼女は、私よりはオツムが良かった。私と由有子は、同じ大学を受けようね、と言ってたんだが、ランクがつりあわないのは勿論の事、目指す学科も違った。
 私は、四年制の史学科を当初狙ってたんだが、受験を目の前にして、断念しはじめた。一応受けるだけは受けようと思ったが、四年制に固執するより、短大を狙い撃ちする方が、合格の可能性が高いのが現状でもあった。それで、史学科のある大学は、一本にしぼって、後の滑り止めは、みんな短大にした。英語の苦手な私は、国文科を受けるのが無難だった。
 由有子も短大を集中的に受験した。冬までに、彼女も遅ればせながら、大学の情報をそろえ、
「短大でないと、就職が選べないんですって。四年制を出ると、年をとってしまうので、女の子への、会社の公募が限られるって、先生に言われたの」
 と、かなり現実的な事を言い始めた。
「でも心理学なら、短大でも一般教養の講義で多少はやるって言うし……私も本当に心理学を勉強したいのかどうか、一般教養の講座を聞いてから決めてもいいと思ったの」
 歴史学というのは、中学や高校でも、日本史、世界史の授業があったんで、多少、どんな事をやるのか、全く見当がつかなくもないが、心理学となると、我々高校生には、どんな事をやり、どんな職種に役立つのか、ほとんど見当もつかない。せいぜい倫理社会の授業の時に、この世に哲学という学問が存在し、それを母体に心理学が発達したんだ、と、先生に補足説明を受けたくらいだ。
「そうね、その方が無難かもしれないわね。私たちって、大学に入るためにこんなに受験勉強させられてるのに、大学の事って、何ひとつわからないんだものね。入ってみるしかないわよね」
「そう。まずは搦手から攻めてみるわ」
 私も由有子も、将来への希望も向学への夢もどこへやら……で、現実路線のガリガリ亡者のように、自分のランクの上下だけを狙い撃ちしはじめた。
 入沢だけは、泰然としていた。
 落ちたらもう一年……などとは、さすがに言わなかったが、医学部を本気で目指している彼は、女二人の貧乏根性をクスクス笑いながら、
「二人とも、なんだかバーゲンに買い物でも、しに行ってるみたいだなあ」
 などと言っては、私と由有子に、キッと睨み返された。
 バーゲンというのは、同じようなものが並んでいるのに、
「こっちの方が安いわよ」
 なんて、世のオバサンたちが、ひしめきあい、とびついて買い物をする図の事でも連想したのだろうか。確かに言い得て妙、という奴だが、そんな悠長な事を言ってる場合ではない。浪人して、もう一年受験勉強に明け暮れるのなんか、まっぴら御免である。
 ところが、笑っていた入沢は真っ先に共通一次で確定をとった。我々を笑うだけの事はあって、確かに彼の選択には並々ならぬ決意が感じられた。
「H大を受ける」
 というのだ。H大というのは北海道にある。
「遠いじゃない」
 私は驚いた。医学部なんて、全国にあるのに、なんでよりによって、そんな遠い所を……。
「行くとは限らないさ。受からなきゃ私立に行くしかないからね。国立は一個しか受けられないから、ちょっとカケかな」
 などと入沢は笑っているが、私立の医大なんてドエライ金がかかる。入沢の家は開業医だったが、設備投資に結構金がかかっていたようだし、入沢には弟がいるのだが、この弟も医者になりたがっていた。医者になるには、やはり医学部に入らざるを得ない。医学部ってのは、他の大学より二年多く在学するわけで、その分、入沢と同様に金がかかるわけだ。お医者の家というのは、世間で言うほど余裕しゃくしゃく……というわけでもないのだ。入沢が浪人もせず、私立系の大学にもできるだけ行くまいと思ったのも、無理もない。H大受験は決して冒険ではなかったと思う。
 由有子はそれを聞いて、こっそり私に、
「ひどいわ、北海道なんて……」
 と、彼女にしては、めずらしくこぼした。
「そうねえ、でも北海道で、医者をやるわけじゃあないでしょう?」
「どうなるのかしらね。H大を出たら、やっぱりH大の医局に入る事になるのかしら」
「おうちの入沢医院はどうするのかしら」
「でも、おうちの医院をつぐつもりなら、そんな専門的なお勉強をする必要はないんじゃないかしら」
 などと私たちは憶測しあったが、医学部の事はからきしわからないし、不義理ながら、今は、人の事を心配している余裕もない。
 由有子は、いつか入りたいと言っていたJ大の短大に合格した。受験も発表も早かったので、スベリ止めに受ける事に決めていた二つの短大の内、ひとつは受けずに済んだ。
 私の方は、四大を入れて、全部で、五つも受けたのに、四大はムロンの事、短大が二つ、受けた順に落ちてしまい、後半は半狂乱のアセリの中にいた。もっとたくさん受けたほうが、良かったんじゃないか……。後の二つも落ちたらどうしよう。もう真っ青だった。
「私、浪人かもしれないわ。」
 電話で、由有子に、つい愚痴った。
「ひさが浪人するなら、私も浪人するわ」
「由有子はもう受かったじゃないの」
「ううん、一緒に予備校に行くわ」
 落ち込みながらも、なぐさめにしては、度の越えた由有子の言葉には、笑ってしまった。
「ばかね。受かった人は、そんな事しなくていいのよ」
「ちがうの。もう一年勉強して、やっぱりJ大の四年の方を受け直すの」
「私が、残りの短大に受かったら?」
「そしたら、ひさ、浪人しないでしょう?」
「勿論。もう二度と受験勉強はしたくないわ」
「じゃあ、私も短大に行く」
 増す増すおかしい。私は笑いながら、
「いいかげん。由有子、いい人ね」
 とけなしてほめた。
 私はやっとS短大に決まった。ホッとして由有子に電話した。ところが、
「良かったわね、おめでとう」
 と言う声が小さい。由有子がJ短大に受かった時、私は、自分が落ちたのに、喜んであげたつもりだ。電話の向こうの声が、うれしくなさそうに聞こえたのが、変な気がしたんだが、理由はすぐに知れた。
「私もS短大を受ければ良かったなあ……」
「何言ってるのよ。J短大なんてスゴイじゃないの。うらやましいわ」
 と言いつつ、私も自分が受かった喜びで、声がうわずっていた。
「そうね、ごめんなさい。本当に良かったわ。おめでとう」
 返答する由有子の声は、無理矢理自分の声を励ましているような所があった。
 電話を切ってから、しばらく、いろんな知人に立て続けに電話をし、合格の知らせを言ってから、ふと、再び由有子の事を思い出した。喜びの興奮が少し静まると、どうして彼女に、
「私もJ短大を受ければ良かった」
 と言ってやらなかったんだろう、という思いがこみあげて来た。J短大なんて、受かりっこないのだが、せめて、そう言ってあげれば良かった、と思った。



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