「光の情景」
作/こたつむり


〈第1章〉8p

  ところで、私たちは、待ってる間に、部室にいった。
「ねえ、上月君、どこ行っちゃったのかしら……」
 由有子は、廊下を歩きながら言った。
「さあ、なんなんだろうね。あれは」
 私は、あきれた、という感じに答えた。
「私が断ったから、おこっちゃったのかしら」
 と、由有子は心配そうに言う。断ったというのは、傘の事だ。
「気にする事ないわよ。先生がいっぺんに帰るな、なんて言うんで、ブチッと行ったんじゃないの?」
「短気なのかしら」
「わがままなのよ。みんな帰れないのにさ……放っておけばいいのよ、あんな奴」
「でも気になるわ。どこに行ったのかしら。外に出ちゃたんじゃないのかな。傘を拾いに行ったのかもしれないわね」
 そう言って由有子は、階段の踊り場の窓から、校庭を見た。
「ねえ、いないわよ。傘落ちたままだわ」
「さあ、どうだっていいじゃないのよ、由有子、人がいいわね」
「でも、あの人、様子が変だったわよ」
「あいつは、いっつも変なのよ。どっかから飛び降りたんじゃないの?」
「飛び降りたって?」
「さあ、気が変になって……」
「いやだ、おどかさないでよ。そんな事ないでしょう?」
「やりかねないわよ。あいつバカだもん」
 すると、由有子は、急に階段の途中に立ち止まった。私も由有子が止まったんで、降りかけて、由有子を振り返った。
「ねえ、冗談でしょう?」
 由有子はこわがるように言った。
 私はタメ息をついた。なんというお人善しなんだろう。
「冗談よ。いやあね、すぐ帰って来るわよ。心配しなさんな」
「そうよね」
 良かった、という風に、由有子は笑った。
 部室に入ると、私は、置いてあるポットの中を開けてみた。
「ラッキー。誰か、お湯を入れといたみたい。由有子、コーヒー飲まない?」
「え? そんな事できるの?」
「うん、インスタントだけどね」
「わあ、うれしい……」
 由有子って、どうしてこんなにかわいいんだろう。上月の事だって、私が帰ってくると言った所で、なんの確証もないのに、私の言葉に安心してしまったようだった。
「由有子って優しいわね」
「何で?」
「だって、上月の事で心配してやるなんてさ」
「別に心配なんてしてないわ。どうしたのかなって思っただけよ」
「心配してるじゃないの。どうしたのかなって」
 私は笑った。由有子は、そうかな、という風に、首をかしげたが、
「私、気になるのよ、ああいう人」
「気になるって?」
「あ、勘違いしないで。好きとか、そういうんじゃないのよ」
「当たり前じゃないのよ。あんな奴」
「なんだか、あの人って……なんていうのか、何でも大袈裟な感じ出しょう?」
「キザなだけよ」
「なんで、ああなるのかしら……」
「さあ、なんでだろう。目立ちたいんじゃないの?」
 と、私が答えると、由有子はウフフ……と笑った。
「充分、目立ってるわよ。あのひと」
 由有子の目にも、上月の事は目立つらしい。
「由有子みたいに、良く目立つ人と、上月みたいに悪く目立つ奴がいるのよ。ただ、それだけの事だわ」
「悪く目立つって?」
「由有子は人より、いい所がたくさんあるけど、上月みたいなのは、人より悪い面がたくさんあるのよ」
「元々そうなのかしら……」
「さあ、遺伝なのか、後天なのか……」
 由有子は、この手の話題が意外と好きなのだ。じっくり考え込んでいる様子だった。
「ねえ、こうじゃない? 本当は、そんなにみんな変わらないのよ。ただ、悪い所だけが目立ってるだけなの」
「どういう事?」
 こういう話しになると、私も決して嫌いじゃないし、こんな話しは、由有子と話してるのが、一番張り合いがある。ついのめり込んだ。
「つまり、いい所を出すのが、下手なんじゃないかしら」
「上月が? じゃあ由有子は上手なの?」
「私、上手じゃないわ。でもね、私にも、あの人と同じような所があると思うの」
 私は反対してしまう。ほとんど反射的に。
「まっさかあー、冗談……」
「ううん、本当よ。私だって目立ちたいと思う時あるし、目立ってうれしいと思う」
「そんなの誰だってそうよ」
「そうでしょう? それが、人にいやがられてるなんて、不幸よね」
「身から出たサビじゃない。由有子は頭がいいけど、そういう所をひけらかしたりしないでしょう? あいつは、『俺って頭いいだろう』って、自分で言うのよ。言われた方は、反感覚えるだけよ。由有子は、例えば勉強の事で、何か聞かれても、優しくわかりやすく教えてあげるでしょう? 上月は、『こんな事もわからないの? バカなんじゃない?』と来る。これで好かれるハズないじゃない」
「どうなのかな。私は人に嫌われるのが、こわいだけなのかもしれないわ……」
「そんな事ないわ。根っから優しい人なのよ。上月の事だって、誰もほっとけ、って思ってるのに、由有子だけ心配してやってるじゃない」
「ちがうのよね。自分と似た所があるから、気になるのよ」
「上月が?」
「そうなの」
「似た所なんて、あるかしら」
「あるのよ。それに私、人に親切にする事に酔ってるのかもしれないわ。そういうのって偽善よね。ひょっとしたら、上月君の方が素直なんじゃないかしら。それに、あの人だって、傘を貸してくれようとしてたでしょう?」
「でも、その後がああじゃね……」
「だから、素直なのよ」
「そういうスナオは困るわ」
「そうよね」
 由有子は笑った。私には由有子の方が、むしろ素直な感じに見えた。確かに、世の中には、偽善的な事をする奴もいる。例えば、こういった場合も、徹底的に上月をかばって、弁護したりする。そして上月を罵倒する私などの事を非難する。しかし、そういうやり方は、むしろイヤミだ。自分の美意識に溺れるあまり、自分は正義の味方とばかりに振る舞う奴なら、
「この偽善者め」
 という感情もわきおこって来るんだが、由有子には、そういういやらしい美意識や、変な正義感がない。
「私ね、音大やめたでしょ? 普通の大学を受ける事にしたんだけどね、私の学力じゃ、行きたい所に行けそうもないの」
 急に由有子は話題を変えた。
「どこに行きたいの?」
「ウフフ……」
「教えてよ」
「あのねえ……すっごい難しい所なの」
「東大?」
「あはは……さすがにそこまではね。あのねJ大」
 なんだ。私はつい。
「行けるんじゃないの?」
 由有子は目を大きく開いて、とんでもない、という風に、手をパタパタッと振った。
「難しいのよ。偏差値六十六なの。ガーンと来ちゃった。ピアノばっかり弾いてないで、もっと勉強しとけば良かったわ」
 それはあるかもしれない。由有子が進路を定めたのは、九月に入っての事だった。それまでも音大はやめると決めたものの、就職するか、受験するかも決めてなかった。母親が帰って来て相談の結果、音大はやめるが、一応、大学には行ってもいい……という事になったそうだ。早い人は高二の頃から、受験勉強に取り組むのに、由有子はスタートが他の人よりなお遅い。
「J大って思ったのは、どうして?」
「J大の心理学科に行きたかったの。心理学科のある所なら、どこでも良かったんだけど、知り合いの人が、J大がいいよって言ってくれたんで、単純にそこがいいんだなって思っちゃったの。有名だから、入るのは大変だろうな、と思ってはいたけど、まさか、あんなに難しいとは知らなかったわ」
 それで結局、心理学科のあるところで、もう少し手近な大学を受ける事にしたそうだ。
「私ね、心理学って、とても興味あるの。……といっても、本当は、どんな事をやるのか、知らないんだけどね……」
 由有子はエヘヘ……と笑った。そして鞄から、一冊の本を取り出した。
「性格はいかにして作られるか」
 という題名だった。
「わあ、難しそうな本。由有子、こんなの読んでわかるんだ」
 私は感心した。ところが由有子は、
「まだ読んでないの。はじめの方を読んだら、何が書いてあるのかわからなくなって来て……。ひょっとして、これって、もっと、ちゃんと心理学を勉強する人のための本なのかもしれないわね」
 と言った。私は、その本を手にとって、はじめのページを開いた。
「第一章、遺伝的性格と後天的性格の位置付け、及び考察」
 ブッ飛ぶよーなコムズカシイ本ではないか。
「ねえ、性格って遺伝なのかしら、それとも生活環境とかによるものなのかしらね」
 由有子は、部室の机にほおづえをついて、言った。
「いやあ……どっちもじゃないかしら」
 と言ってから、私は由有子がそんな事を考える理由を思んぱかった。母親の病気の遺伝を気にかけているのかもしれない。ところが、意外と彼女は、
「遺伝だといいな」
 と言った。結構ケロリとしている。
「どうして?」
「だって、私、小さい頃から、あっちこっちを転々として来たでしょう? 生活環境による性格だったら、私の性格って、チグハグな所があるのかもしれないじゃない?」
「ないわよ。由有子はしっかり者だわ」
「そうだといいけど……でも、そうだとしたら、やっぱり遺伝的傾向が強いのかしら」
「そうねえ。こうじゃないかしら。由有子は、あっちこっちを転々としたおかげで、返って、自分をしゃんと持っている。環境が変わる事によって、それに振り回される事に対する自制が出来たんじゃないかな?」
 由有子は中学生のころ、いわゆる難病を体験した事があるのだが、この病気は、由有子の母親も持っている。一種の膠原病らしい。遺伝的要素の強い病気なのかどうかは知らないが、この母子の体質上の遺伝が濃いとしたら、由有子が母親の精神的な病の遺伝を気にかけたとしても無理はない。
 これは後になって知った事なのだが、膠原病のために投与する薬の副作用で精神障害を引き起こす事が希にあるそうだ。由有子の母親の精神病が薬害によるものなら、その病質の遺伝を危惧する必要もないのだが、その発病がいつから……と、はっきりわかっていない以上、薬害とも決め付けられない。つまり遺伝の可能性がゼロとは断定できないわけだ。私は由有子がどこまで本気で、遺伝がいいと言ってるのか、おしはかりかねて、つい、反論しただけだったのだが、由有子は感心して、
「うーん、ひさって、頭いい」
「そんな事ないわよ」
「でも、転々として来た事で、私は人づきあいがお上手になる事を、覚えて来たのかもしれないわ。転校するたびに、友達をつくらなきゃいけなかったんだもの」
「悪いことじゃないわ」
「でも、私、ひさがうらやましいわ」
「どうして?」
「だって、ひさって、全然自分をつくってないもの。それでみんなに好かれている」
「いやあね、そんな事ないわよ」
「私もひさが大好きよ」
「私だって由有子が大好きよ」
 私も言い返したが、由有子はふっとさみしげな表情をつくった。
「ひさ、いつまでも友達でいてね」



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