「光の情景」
作/こたつむり
〈第1章〉7p
体育祭が近くなり、行進の練習が毎日行われた。九月になっても、相変わらず暑い日が続き、同じ事を繰り返す練習に、みんなウンザリしていた。
今日も練習……という日、雲行きが怪しくなって、練習は中止になった。みんな大喜びだった。
ところが、行進の練習より、もっとひどい事になった。この年、二度めの台風の到来。下校の時間より早く帰宅するように指示が出た。
「どうしよう。私の傘、骨が一本折れちゃってるのよ。こんな日にこれで帰ったら、間違いなく全部折れちゃうわ」
と、由有子は泣きそうな顔で言った。
「それは、雨がふり出さないうちに帰るのが、ベストね」
と私が言ってるうちに、雨が降り始めた。風は前にも増してひどくなって来た。天候のあまりの急変に、これから帰ろうとしていた生徒たちは唖然とした。まだ電車通学の半数近くが残って先生の指示を待っていた。
キザで嫌われ者の上月が、
「全く、くだらねえ体育祭の練習は、いっちょまえにヤラせるくせして、こういう時には、トロイんだよな、この学校……」
と生意気な事を言った。もう一時間早く生徒を帰らせるべきだったと、主張するのだ。彼の言い分には、多少賛成する所があるが、この上月という男自身には反感がある。上月は何かというと、自分の学校をこのように非難するイヤな癖がある。それというのも、上月はもっとレベルの高い高校に入学したかったらしいのだ。女の子たちの間では、
「だって、結局ここにしか入れなかったんでしょ? 言うだけミジメじゃないよね」
なんてカゲ口がたたかれている。休み時間に入沢と上月が話しをしている場面を見て、彼らの背の後ろに立って、
「左(入沢の方)マル。右(上月の方)バツ」
などと堂々と言う女の子すらいる。上月の態度にはいちいち、頭がいい悪い、といった事で、クラスメートを判断する所があって、入沢をはじめとした優等生を集めて、徒党を組む、といった幼いやり方を始めたのも彼だった。
私は、又始まった、と思ってタメイキをついていたが、そのうち、何を思ったのか、上月がイキナリ、
「細川さん、俺の傘貸してあげようか」
と由有子に向かって言い出す。由有子は返答にちょっと困っている。他の女の子だったら、
「余計なお世話よ」
と、言ってのける所だが、由有子はそうはいわない。たださすがにこんな奴には借りたくないのか、なんとか断ろうとしていた。しかし、上月もけっこうしつこい。
「俺、傘二本持ってるから一本貸したげるよ」
多分、好意なんだろうが、上月の癖なのか、こういう時、相手の女の子の顔や体をジロジロ眺め回す。私もなんとなくいたたまれなくなって、
「由有子、私、さっき部室に忘れ物しちゃったんだけど、つきあってくれない? それに、ひょっとしたら、部室に置き傘があったかもしれないし……」
と、横合いから助け舟をだした。すると上月は私の方を睨んだ。
「俺のを貸してやるって言ってるんだよ」
好意で言ってるのに、横合いから口出しして、断らせようとしたのだ。上月がムッとするのも無理はないのだが、ちょっとムッとしたぐらいで、女の子に対しても、すぐこういうケンカ腰の態度になる。私もムッとしたが、由有子や上月とは席が遠い。何食わぬ顔で相手を無視してやった。由有子は、
「上月君、ごめんね。大袈裟な事言ったけど、私この傘で大丈夫だと思う」
と、丁寧にフォローしてくれた。そして席を立って、私の席まで来て、
「じゃあ、部室に寄ってから帰ろうか。先生、早く来てくれればいいのにね」
と言って、ちゃっかり私の横の席にすわった。私の横の生徒は、つい今しがた、家の人に迎えに来てもらって、帰ってしまった。
家の近い者や、迎えに来てくれる家族のいる者などは、どんどん帰ってしまうのだ。今は電車通学の生徒だけが残っている。 学校から駅までの間に結構急な坂道があって、その付近で交通事故が起きた。古い建物の看板が、強風に煽られて落下し、下を通過していたトラックに激突したのだ。折しも、台風で、ただでさえ、坂の下にはそうとうな雨水が溜まっている。事故の処理のために、一時的に、そこは不通になり、連絡を受けた学校側も、やはり一時的に、生徒の下校をストップさせた。たいして広くもない道を大勢の生徒がひしめきあって帰ろうとすれば、どんな大変な事が起こるかわかったもんじゃない。
担任の先生はすぐに来てくれた。
「国鉄の駅の方でなく、ちょっと遠回りだが、都営線を使って帰るように。都営駅までのバスは運行しているけど、今日は混んでいるから、今いっぺんに全員で帰っても乗れない」
要するに帰れないんじゃないか、と言いたくなるような事態を述べた。
とたんに、残され組の、
「ええー?!」
と言う声。その時、上月が、いきなり窓を開け、さっき由有子に貸してやると言った方の傘を、外に放り投げた。窓を開けたとたん、すごい暴風雨が、教室内に吹き付ける。
「何すんだよ!」
他の男子が、風のために容易に近付けない窓に、あわてて近寄って、無理やり閉めた。
「上月、何やってんだ。おまえは」
先生も驚いて怒鳴った。投げられた傘は、風に舞うように、ちょっと宙に浮いたのが見えたが、多分、校庭に落ちていったのだろう。上月は、プイッと席を立って、教室を出て行った。
先生も追いかけない。今、それどころじゃないんだろう。
「何やってんだ。あいつは……」
と言ったものの、彼にはかまわず、生徒の方に向き直し、
「とにかく、わかるよな。帰るのは、おまえらだけじゃないんだから。バス停でズブ濡れになって、待つより、まず遠い者の順に帰るように決めてからここを出たほうが、利口だぞ」
と言って、バスの時刻表をおいて行ってくれた。早速、
「俺、遠い。大宮だもん」
などと名乗り出す奴がいて、帰る順番が決まっていった。私も由有子も、そう遠くはないので、ちょっと待たされる事になった。駅までズブ濡れで歩いていくより、ここでバスにのれるまで待っていたほうが、まだいい。もっとも、国鉄の駅に行くのに、公園を抜けて帰ろうとしている者もいた。公園のぬかるみを想像しただけで、ゾッとする発想だったが、わざわざこういう日に、そういう冒険じみた事をしたがる奴というのが、どこにでもいるものだ。