「光の情景」
作/こたつむり


〈第1章〉3p

  根っから優しい入沢は、由有子を妹のようによく面倒を見てやったのだろう。同い年の女の子の面倒なんてみたくもない、といった精神年令の幼い他の男子生徒とは、全く異なる入沢の実に良い面である。
 入沢は母親からも由有子の面倒を見てやるように言いつけられていたようだ。めんどくさがらず、反抗もせず、朝、由有子を迎えにおばさんの家に寄ってから、登校していたそうだ。転校には幼い頃からの事で、慣れていたのだろう。由有子はすぐに転入校になじみ、そのうち、わざわざ入沢が迎えに来なくてもよくなった。
 由有子が言うには、入沢と登校して来る事で当時のクラスメートから、ずいぶんと羨ましがられてしまい、早く友達をつくりたいと思っていた気持ちもあって、自分の方から入沢にことわったということだ。無理もない。
 同じクラスになった時、私には由有子がちょっと縁遠く感じられた。彼女ほど、なんでもよく出来、美人で頭もよく性格の好ましい女生徒はいなかった。入沢が女どもにモテモテだったのと同じくらい由有子も男どもの憧れの的だったろうと思う。同性にもたいそう人気のある人で、音楽の時間になると、
「細川さん、何か弾いてよ」
 というのを口実に、ピアノの前にすわる由有子の周りを、よく、多勢の女友達が取り巻いていたらしい。
 彼女には、どこか少年のような引き締まった闊達さがあって、冗談でだが、よく女友達に、
「由有子、愛してるよ」
 などと言われている光景が体育の時間などに見受けられたもんだ。
 音楽を選択している友人どもに一早く取り巻かれてしまった由有子に対し、私は親しい友人となるには、一歩遅れをとった。もっとも、彼女の取り巻きの中には、由有子が入沢の親戚である事を計算してるヤツなんかもいた事は確かだった。その事は、由有子もよくわかっていたようだ。彼女は入沢に対しては、よく、
「健ちゃん」
 と、愛称で呼んでいた。親戚づきあいをしているのだから、自然と兄弟のような親しさがあっても悪くはない。だが、友人どもに入沢の事で何か聞かれると、由有子は決まって彼を、
「入沢君」
 と言うのだった。
「入沢君? 最近は、あんまりウチにこないわ」
 という調子で、特別親しくしている所を決して人前で自慢したりしない子だった。
 私の見た所では、二人の関係は、入沢の方が由有子を好きになった面の方が強かったように思う。由有子は友人たちにいつも話している様子と裏表はなく、たぶん入沢を、
「ハンサムで優しいお兄さん」
 といった程度に受けとめていたと思う。同い年だが、二人の関係は入沢が兄で由有子が妹、という感じがあった。 
 私は前から入沢に、好意を感じてはいたものの、正直にいうと、高三のクラス編成がされて以来、徐々に、どちらかというと入沢より由有子の方に惹かれて行った。入沢は確かに好みのタイプではあったが、彼には、どこか近寄りがたい面がある。それに対して由有子という人には、なんとかして友達になりたい、という積極的な好意を感じたし、応えてくれそうな人柄にも思えた。

 ある日、私はクラブの後輩の頼みで、カラーイラストを書いて学校に持って来た。放課後に後輩が私の教室まで来てくれる、と言うので、ボーッと待っている内に、教室に一人残されている形になった。
 私は人に絵など書いてあげた経験があまりなくて、後輩が気に入ってくれるかどうか気になり、なんとなく、イラストをひろげて見直していた。今さら手を入れ直すつもりはなかったんだが、見ている内に、いささかデッサンがおかしいかな……なんて思いはじめて、イラストを自分の机の上にひろげ、教室の隅に行き、遠くから観察しようとした。
 その時、教室に由有子が入って来た。私は、あわてて机に走り寄ってイラストを隠そうとしたが、間にあわなかった。
 由有子はすぐにイラストに気が付いた。
「わあ、きれい……。これ前田さんが書いたの?」
「あ、だめだめ、見ないで。下手なんだから……」
 イラスト紙をひっくり返しながら、私の耳の底に、由有子の「わあ、きれい」と言うよく澄んだ驚きの声が快く残った。彼女の方こそ、なんてきれいな歓声をあげるのだろう。それこそまるで音楽のようだ。
「全然下手じゃないわ。とてもいいじゃない。見せて」
「本当にだめなのよ。今、デッサンが狂っているのを見つけてしまった所なのよ」
「どこが?」
「…………」
 私は決して変な趣味はないが、この時、彼女にまともに正面から見つめられて、ちょっとドギマギしてしまった。
「ちゃんと見ないと、狂ってるかどうか、わからないわ」
 と言って、由有子はクスッと笑った。その笑みがなんとなく入沢に似ている。血のつながりはないのだから、似てると思う方がどうかしているのだが……。
「ね、お願い。ちょっとだけ見せて。ね、お願い」
 この「お願い」には、まいってしまった。こんなかわいい子にお願い、と言われて拒めるハズもない。
「じゃ、ちょっとね」
 と言って、彼女に手渡した。由有子は肩にかかった長い髪の毛を手ではねのけながら、ゆっくりと椅子にすわって、おもむろにイラストを見た。
「きれいねえ。きれいな色。この女の人誰? わあ、よくこんなスゴイの書けるわねえ。これどうするの? 誰かにあげるの?」
 と、たたみかけるように質問してきた。
「うん、クラブの後輩にね。頼まれて」
 私は、最後の問いにだけ答えた。
「いいなあ……こんなのもらえるなんて。いいわねえ、その子」
「下手なのよ、よく見ると。あちこち変なの」
「そうかなあ。スゴクいいわよ、これ。人にあげちゃうなんて、もったいないくらい。これ、どのくらいかかった?」
「時間? 三時間くらいかなあ」
「ええっ? 三時間? 下書きするのも入れて?」
「そう。下書きには、それでも時間がかかっちゃった方なんだけど、あとは手抜きなのよ」
「手抜き? 三時間? これが……」
 演技という感じには見えなかった。彼女は絶句しながら、しみじみとイラストに見入っている。こっちは次第に赤面してきた。書いた当人には、あそこが悪い、ここがおかしいという所がはっきりわかってるので、そうしげしげと見られるのは、針のむしろに座っているようなものなのだ。
 と、突然、意を決したように由有子が言った。
「ねえ、だめかしら」
「え? 何が?」
「私、そうねえ、かわりに何をあげようかしら」
「え? 何のこと?」
 思わず笑ってしまった。言ってる事がよくわからない。
 どうしたのかな。これをくれって言うんじゃないだろうか。いくら由有子でも、それは聞けない。後輩がこれから来るのだ。すると果して、彼女はくれと言い始めた。ただしこの下手クソなイラストの事を言ってるようではなかった。ごく、遠慮がちに、
「もし良かったら、私にも何か一枚書いてくれないかしら。これと同じようなものを」
「え……でも」
 今度はさすがに遠慮して、「お願い」とは言わなかったが、顔がそう言っている。つられた。
「こんなんで良ければ」
 と、つい言ってしまった。
「これと同じの」
 と言われてもその後、後輩にあげてしまって同じものは書けないし、由有子が同じピアノ曲を何度でも弾けるのとはちがって、絵というのは一度仕上げると、二度と同じものは書きたくない。
 当時今よりさらに絵の下手だった私なので、当時書いた絵をクダクダ説明するのは、ちょっとハズカシイが、由有子の印象を述べたいので、ちょっと言わせてもらう。
 後輩にくれてやったのは、全体的に紺色の闇を配し、星がたくさん瞬いている夜空をバックに、背が高く、長い髪を地面にまで垂らしている女の絵で、地面に近くなるほどに、背景に暗い赤のグラデーションをかけた。構図を縦型にとり、サイズはB4。
 由有子のには、さらに大きいサイズのA3を横型にし、全体にさんざめくようなレモン色を配して、少女が野を駆けているシーンをとった。後輩にあげたのに比べると、ガラリと明るく新鮮さを全面に出した……つもりだ。
 私には、この方が由有子にふさわしいように思えたのだ。由有子はさんざん感激してくれたし、これを機会に私と由有子の距離がグンと縮まったのも、又事実だ。



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