「光の情景」
作/こたつむり
〈第1章〉2p
彼をとりまいている優等生グループは、いつも進学の話しなどに花を咲かせていたが、その中で、一番成績の優秀な男子と、ちょっと我の強そうなリーダーぶってる男子が、クラスで嫌われていた。成績一番のほうは、佐倉という名前で、いわゆるガリ勉タイプの印象があって、そんな所がイヤミに見えるのか、たいした理由もないのに他の男子生徒に嫌われていたように思う。
もう一人の我の強い方は、私も大キライだった。上月という男子で、マンガとかにしか出て来そうもないキザなインテリを地でやってるような奴で、主に女の子たちに嫌われていたのだが、本人には嫌われている自覚がないのか、平気で女の子に、
「一緒に帰んない?」
などと話しかけてきて、ゾーッとする奴だった。顔は結構まあまあなんだが、どうしたもんか、ちょっとしゃべり方がオカマっぽくて馴れ馴れしく、女の子にやたら体を近付けるので変態扱いされていた。
この二人が、どうした拍子か、ある日教室で取っ組み合いのケンカを始めた。ケンカというより我の強い上月の方がイキナリ、
「なんだと! このやろう!」
と大声でどなるや、けたたましく机のひっくり返る音と重なり、クラス中の注目を集めた。嫌われ者同志だ。誰も口にこそ出さなかったが、
「ヤレヤレー」
と、けしかけるような調子だった。この時入沢健治が教室に入って来て、周囲に、
「何? どうしたの?」
とびっくりして聞いた、ちょうどそのころ、ようやく数人の男子が取っ組み合ってる佐倉と上月を止めに入った。
いつも何がおこっても決してあわてない入沢が(ちょっと、ことなかれ的な所が彼にはある)めずらしく他の男子をかきわけて、組み伏せられたっきり起き上がれないでいる佐倉を起こそうとして、止めに入った男子の一人の足を踏んだ。彼はすぐに、
「あ、ごめん」
と小さく詫びたが、少々あわててたのか、いつもの丁寧さがない。踏まれた方は、聞こえなかったのか、それともクラスで起きたケンカ騒動に興奮してたのか、
「このやろう! あやまれよ」
と、どなりちらした。佐倉は唇がきれたのか口元から血が噴き出して入る。たぶん入沢はそれが気になっていたのだろう。血相を変えてどなる相手にそそくさと、
「悪かったよ」
と念を押す言い方になった。
「ふざけるんじゃねえ!」
あっという間にケンカ騒ぎに全く関係のない入沢までが、一発殴られた。
とたんに女の子たちのキャー! と言う声。ゲンキンなもので、佐倉と上月の時には、冷やかに、多少面白ろ半分に見ていたくせに、入沢の時はキャー! なのである。
入沢が倒れかかったのがちょうど私の机で、机ごと倒されて机から教科書やノート、それと非常に恥ずかしい事に生理用品が飛び出した。もちろん人目にわからぬように布の袋に入っているのだが、わかる人にはわかってしまうかもしれない。私は反射的にとんでいって、
「ちょっと何すんのよ!」
と、一喝すると、あわてて机の中からとびだした物をおさめた。女が止めに入るとは思わなかったのか、入沢を殴った奴は私に、
「ほっとけよ」
と、どなったものの、声がだいぶ小さかった。ひょっとするとアレの中身がわかってしまったかしら、とドキンとしたが、止めに入った以上、収める物は収めたから続きをドーゾ……などと言う訳にもいかない。
「いい加減にしなさいよ!」
と、どなり返した。その男子はまだ興奮がおさまらないようだったが、さすがに女には手出ししかねるようで、ちょっと息をおさえると、
「おめーら、入沢ばっかり、かばってやがるな」
と、にくたらしい事を言った。
「そんな事ないわよ。入沢君、謝ったじゃないのよ」
「あれが、謝ってるって態度かよ」
恥ずかしい事にクラスでクールを気取って来た私が、こんなところで、つまらぬ言い争いに加わる事になってしまった。クラスメートの視線がとにかく恥ずかしい。もう一部ではすでに、
「前田のヤツ、すげえなあ」
何て言う冷かしの声があがっている。こういう時に限って言わなくて良いことを口走ってしまうのだろうか。私は、
「私の机が倒れたからよ。入沢君とは関係ないわよ」
と言って墓穴をほった。こんな事を真っ赤になって言えば、増す増す口さがない男子どもは、
「ムキになっちゃってー」
などとほざくのだ。ああ、最悪。
その時、私の肩を指で軽くたたいたのが入沢だった。机の下にしゃがんでいる私の方にかがんでいる。驚いたことに、彼はすでに、いつもの屈託のない笑顔を浮かべて、ちょっと心配そうに、
「前田さん、もういいよ」
と言うと、一緒に机の中に筆箱やルーズリーフをしまってくれた。そして、
「ごめんね。机倒しちゃって」
と、笑顔で首をかしげながら謝る。
「遠藤も悪かったよ。そんなにおこんないでくれよ」
結局、入沢という男は、いつでもこれなのだ。これでOKなのだ。相手が男でも女でも入沢のこの笑顔にはみんな弱いのだ。入沢を殴った遠藤も思わず、
「わかればいいんだよ」
などと、タジタジと引き下がらざるを得ない。
夏休みも近くなった頃、この入沢に、彼女ができてしまった。
「彼女……じゃなくてさ、一緒に帰ってるだけだよ」
さすがにテレてるのか、笑いながら彼は言ったが、私はイキサツを知っている。だってその彼女ってのは私の親友なんだから。
これまた、よくあるパターンのようだが、親友に恋人を取られた、とかいう図では決してない。
彼女の名は細川由有子。
由有子と入沢は、遠い親戚にあたるそうだ。なんでも入沢の義理のおばさんの、その又姪が由有子という事だったと思う。血のつながりはないんで、このカップルには問題はないわけだが、なにせ遠い親戚なもんで、二人とも中学生ころまでは互いの存在を知らなかった、ということだ。
入沢の方は、生まれも育ちも東京なんだが、由有子の細川家というのは岡山県の出身で、父親の転勤につれて由有子が一才の時に大阪へ、四才の時に仙台へ、六才の時に長野へ、十二才の時に東京へ……と、転居転校を余儀なくされた、と言っていたと思う。
中学生の頃は、二人はともに東京にいたわけだが、通っていた中学校は別々で、由有子と入沢にとって、共通のおばさんがピアノの先生をしていた関係で、そこに由有子が毎週ピアノのレッスンに訪れ、同じくしょっちゅうその家に出入りしていた入沢と知り合ったそうだ。入沢の家とそのおばさんの家というのは目と鼻の先という近さで、当時、入沢の家は知らなかったんだが、そのおばさんの家の方は、私も知っていた。
なぜなら、たいそうデカイお屋敷だからだ。又、そのピアノ教室というのも結構有名で、かなり本格的に生徒をしこむ先生で見込みのない生徒は途中でやめさせる、というスパルタタイプの教育者らしい。(ちなみに今でもたいそう流行っている。)有名音大、芸大の類いにビシバシ生徒をおくりこむ先生で、厳しいが、声望はかなり高く、おそらく由有子もビシバシとレッスンされたんだろう。
高校では私は美術を選択していたので、音楽を選択していた由有子の当時のピアノの腕前というのは、よく知らないのだが、由有子は合唱部にもひっぱり出される程のピアノの達人だった。音楽の時間には、よく先生の指名でピアノの伴奏をやらされていたらしくて、音楽の先生よりよほどうまいと評判で、音楽の先生自身もそう言っていたらしい。
ところが、由有子のおばさん、という、そのピアノの先生は、学校のピアノ伴奏をストップするように由有子に指示した、というのだ。たぶん由有子を音大に上げるつもりだったんだろう。伴奏をひいてる暇があったら、課題曲の練習をしろ、という訳だ。驚いた事にその話しを由有子から聞いた合唱部の顧問……つまり音楽の先生が、由有子のおばさんに謝りに行ったらしい。
「大切な生徒さん(姪子さんと言ったかもしれん)の手を煩わせて申し訳ありません」
というわけだ。恐れ入る。
もっとも当の由有子は音大になど行く気は、あんまりなかった。
由有子という女友達は、私が今までに知り合った女友達の中でも特別の存在だが、私は高三でクラスメートになるまで、彼女の事は、ほとんど知らなかった。彼女は高校二年の時に転入してきた娘で、父親が母親を伴ってドイツに転勤してしまったので、例のピアノのおばさんが彼女を預かり、入沢や私と同じ高校への転校を薦めたのだ。