「光の情景」
作/こたつむり
【第1部】
〈第1章〉1p
まず誤解のないように断っておくが、私と彼とは決して何度か噂になったような関係ではない、という事だ。とにかく世間とはウルサイもので、彼が離婚した原因のひとつに、私が二十六才にもなって縁談を片っぱしからはねつけ、その言い訳にもならぬ程、浮いた話しのひとつもないことなどをくっつけあわせて、
「やっぱり久世ちゃん(私)は、健治さんのことが好きなのよ」
だとか、
「入沢さん、結婚する前に本当は、ひさ(私)にプロポーズしてたんじゃないの」
などという、鼻血の出るようないい加減な話しをでっちあげ、無責任な憶測と、余計なお世話から、彼に私を推薦してくれたりするので、私と彼は、苦笑いをしながらも最近なんとなく気まずくなってしまい
「ちょっと会うのをやめとこうか」
なんていう電話を彼から受けとる事になってしまったのだ。
まったくもう、なんというサイテーの事態だろう。今の彼には私が必要なのだ。それがわかっているだけに、イライラしつつも、そんな事を彼の前で言うと、又してもあらぬ勘違いの種をまいてしまうかもしれない……とばかりに、言葉をのみこむ私である。
今の彼に、何らかの救いが必要なのは本当の事だが、それ故に、今、私が下手な情をかけて、彼にみょうちくりんな感情を抱かれても困る。
そうなのだ。それだけは切実に困るのだ。今まで私は、彼のよき理解者、という姿勢をおし通して来た。私にとっても彼は良い相談相手に他ならない。つまりオトモダチなのだ我々は。
今さら、男と思えったって、そんな簡単にはできないし、女と思われてる、となれば、私はたちまち、彼と目をあわせられなくなってしまうのだ。
二十六にもなって純情ではないか、と冷やかされるかもしれないけど、存外男と女の友情なんてそんなところにあるんじゃないだろうか。それになんで『今さら』と言ったかも聞いてほしい。
もう、思い切って白状してしまうが、彼のほうはイザ知らず、私のほうには、かつて、彼のことをそういったような感情をもってとらえていた事が実はある。むろん彼は、私のそういった気持ちには気付いていないはずだし、私も気付かせないよう人知れず苦労した。しかし、そんな気持ちを彼に抱いていた時期は確かにあったのだ。
今、互いに独身同志の状態で何かの拍子によろめいて……なんて、今時のトレンディテレビドラマじゃないけど、万が一にも彼のほうに私に対するヨロメキが生じてしまえば、私の心に復活のうぶ声があがらないとは限らない。
喧嘩ばかりしている二人が、いつしかオトモダチの垣根を乗り越えて、手に手を取って、不器用ながらもようやく愛を語り合い……なんて、使い古されたネタだが、現実はそう甘くはない。
私は彼に、ほんわか感情を抱いていた期間、常にそれを適当な所でセーブするコントロール機能を要求されつづけ、いつしか友情とはっきりいいきれる線まで自分をもって行ったのだ。それには、それなりに理由があり、今に至るまでの紆余曲折というもんがあった。
彼と私とは、高校三年の時の同級生だったのだが、実際には、その前から彼の事は知っていた。彼、入沢健治は、入学当時から私の目につく存在で、その理由は単純に、入沢が好みのタイプだった事に他ならない。つまり、のっけから、私にとっての入沢という男は恋愛感情を刺激するに足る存在だった。それが同級になって多少のめりこんだ。
なぜ彼が……というと、好みの顔立ちをしている、という他には、救いあげるかのような優しさが彼にあったからだと思う。包みこむかのような……と言ってやりたいところだが、どういう訳か、彼からは、それほどの包容力も暖かみも感じられない。
原因があるとすれば、それは、おそらく彼が理科系気質だからだと思う。静かで涼しげで、だが下手すると無機質な冷たさがある。彼とはそういう男なのだ。
それ故の良さも充分に感じられる。今どきの若い子にありがちなキザッたらしさがなく、アンファッショナブルさ(悪く言えばダサさ)を前面におしだした、素朴な好青年でもあった。
しかし、同級になるまでの間、彼を好ましく思えるもっぱらの理由はスマートなハンサムさんだからで、全くのところ私は彼の容姿に執着した。むろん後に彼の内面も高く評価するに至るのだが、もし彼からあの端正な顔立ちと涼しげな目と、笑うと底知れずかわいらしくなる表情や、スマートで上品な身のこなしをとってしまったら、同じ教室にいるただのガリ勉以外の何者とも感じ得なかったに違いない。ましてや彼の内面に触れてみる動機もおこらなかったろう。
内面に触れてから後は、前述のとうり私がのめりこむのに充分な資質が彼の中にあることがわかった。彼の容姿からは、男性的な頼もしさ、というものはおよそうかがえないのだが、内面は実に粘り強く、芯も強く、何事にも努力をおしまない面があり、その反面、自分の苦労を苦労と思わせない健全な明るさで人に接する懐の深さがあった。女でなくても惚れ込んでしまいそうな……彼とはそういう人間だった。
それは、
「愚痴を言うなんて男らしくないから」
と、自身を戒めようとする世の男性にありがちな子供っぽい見栄や、不自然な意地からではなく、同じように苦しい思いをしているに違いない他人に対する気付かいから来ているように見えた。どんな人間に対しても、思いやりを持つことができ、彼特有の無理のない親しみと優しさが、そこには常に秘められていた。
半分はもう精神的に大人になっているからだが、もう半分は天性のものだという気がした。それにつけ加えるなら、育ちの良さというものもあるかもしれない。
彼は学校の成績もすこぶる良く、いつも昼休みなどに、彼と同じ様な優等生の四、五人の男子と進学の話しをしたり、試験の予想をしたりしていて、時々彼の、
「あっそっかあ」
と言う声が教室に一際明るく響いたりして、実は当時、彼にひかれていた私は、思わず振り向いてしまってから、友人の手前すぐに元に向き直して、何でもないような顔をとりつくろったものである。しかし私がそんな気付かいをする以前に、私と一緒に弁当箱を開いていた数人の女の子たちも、彼の声が響くや、いっせいに彼に視線をあて、
「出た出た、入沢君の『そっかあ』が」
などと言ってはクスクスッと笑うのだった。そう、前述の彼に対する賛辞が私の思い入れによる誇張などではない証拠に、クラスの内外を問わず彼のファンの女の子は相当いたのだ。要するにモテル男だったワケだ。
本人は女の子たちにもててる事に対して、特にポーズをとるでもなかった。プレイボーイもしなければ、硬派も気取らない。バレンタインデーにチョコレートを何個もらっても、赤面するでもなく、面倒くさがるでもなく、ただ心からうれしそうに、
「ありがとう」
と笑顔で受け取ってしまう所が、モテる状況を素直に受けとめているとしか言いようがないのだった。
バレンタインデーの日、彼はとても忙しかった。授業が一時間終わるたびに必ず誰かに呼び出され姿を消した。五時間めになっても、六時間めになっても呼び出しがやまない。これを隣の教室で見ていた私も、よもやこれほどとは……と、少々縁遠さを感じないではいられなかったが、当の本人は、何回呼び出されても、
「うるせーな、又かよ……」
などという思いあがった事は毛ほども言わず、
「入沢さんいますか?」
と、教室の入り口に女の子が数人で来ると、それに気づいて『俺?』という風に指で自分をさしたり、最後の頃になると、自分でも驚いたように、
「あれー?」
と、友人どもの手前、ちょっとはにかんでは教室をでていくのだった。しまいには彼のまわりにいた男どもからの、
「入沢もてるなー」
の決まり文句も出なくなって、たいしてめずしくらしくもないように、
「入沢選手、出番だよ。」 と、いってる声が聞こえた。