「嵐待つ」
作/こたつむり


〈第六部〉51p

  こうしたところ、やはりこの女は、重綱より政宗に近いと思った。阿梅には、たつ女に会える日がきたら聞きたいと思っていた事がある。
  真田の再興を、本気で考えていたのか。
  時代は変わった。敵の女にうませた子に家名を立たせてやる。そんなことは自分が頂点に立っている、もしくは立つつもりでいるからできることだ。信玄は生涯を頂点に立つべく生きただろう。そして次代に滅んだ。
  伊達家はちがう。これより何百年、何千年も、徳川の下で生きのびる道を選んだのだ。
  しかし阿梅は、聞くまいと思った。この七年間どうもっていったら良いのか決めあぐねていたたつ女への執着を、今ようやく終えることができた。たつ女はたつ女なりに阿梅の幸福をはかり、今も彼女の信念にもとづいて激励しているのだろう。父の幸村も、神社の家だから片倉家に自分をたくしたのかもしれない。そう思っていれば良いのだと思い、
「もうすぐ嫁ぐことになっている喜佐が、運よく子をもうければ、そのうちの一人を片倉家に貰いうけて跡をつがせるしかない。伊豆守はそう申します」
  そう答えておいた。すると、
「喜佐さまは、前の奥方の娘ごでしょう」
  たつ女が驚いたように言い、言い募るように、
「阿梅さまは、なぜ片倉さまに縁付かれたのでしょうか」
  阿梅はちょっと首をかしげてから、
「ご命令があったのです」
「まあ、命令など」
  たつ女は笑った。
「伊達家の命令など気にする方ではないと思っておりましたが」
「そんな事はありません」
  阿梅はあわてた。どこか見透かされているようなところがこの女にはあったと思いだした。たつ女はつづけて踏み込み、
「ご婚礼をお挙げになる前、伊達屋敷に奉公に上がられていたと伺っておりますよ」
「ええ、上がってました」
「しばしばこちらに、政宗公がお通いあそばすという噂もあるようです」
「ええ、よくお見えになられます」
「それを伊豆守(重綱)さまは、どう思っておられるのですか」
「しりません」
「知らない?」
「政宗公のお手付きになったかどうかという事でしょう?」
  この女にはここまで言わないと納得しないと思い、思い切って言ってみると、たつ女も、
「そうです」
  思いきったように言った。阿梅はまた首をかしげ、
「疑っておられるようなところはあります」
「それで宜しいのですか」
「良くないですか」
  と応えてから阿梅は、きっと傍から見れば、これはおかしな様相なのだろうと首をすくめた。
  政宗は実際、よくよくこの片倉屋敷をおとずれ、夜中じゅう阿梅に話相手をつとめさせる。主君を毎回つきとばすわけにもいかないので、怪しくなった頃合を見計らって重綱が邪魔をいれる。しかしこういう内容を、二人の男にまったく恥をかかせぬ具合にどう説明できるだろうか。
「どちらにせよ、私は伊達家中のどなたかに貰われていくしかなかったのです」
  と、やはり無難に片付けざるをえない。たつ女はなおも、
「伊達家中で片倉様をえらばれたのは、なぜでございましょう」
「特別に私の側から選んだという具合ではありませんでしたが」
  阿梅は笑ってそう言い、
「もしも選ぶ立場にあっても、やはり片倉家に嫁いだことでしょう」
「それは、どうして」
  食い下がるたつ女にむいて、阿梅は笑みをおさえるように、
「田鶴さまはご存じではありませんか」
「わかりません」
  すると阿梅は、迷いを断つようにたつ女を見返した。
「片倉家は伊達家の家来です。伊達の御家中において、片倉だけは例外ということでは、どなたにとってもこの先が危ういと思うのです」
  たつ女はハッとして阿梅の目を見た。阿梅も見返したまま、
「わざわざ塩をまぜなくても、山水は巌をなでながら流れてゆくものです。そうでなくて、海にたどりつけましょうや」
  穏やかに言った。

  阿梅に案内をうけて田鶴は庭におりた。
  奥の間に入れば富士山がみえるのだ、と阿梅はさそったが、田鶴はことわった。富士山など見たくはなかった。
「ずいぶんと変わってしまいましたか」
  阿梅の問いに、田鶴は、
「何がでございましょう」
「昔と」
「むかし? 庭のことですか」
「そうです」
「私がこちらを伺ったのは、今日がはじめてでございますよ」
「そうではなく……」
  阿梅は白石の庭を言っているのだろう。
  案内されて見る庭には柿の木などが植えられ、どことなく田舎びているものの、それはそれで美しいと思えた。おそらくは阿梅の好む風情なのだろう。それがまかり通っているということは、片倉重綱もそれを許しているということである。この女はそんなことを自慢したいのか、と田鶴は興ざめした。
  庭とか富士山とか、そんなものが何なのか、出家しなかった阿梅がなぜ、そんなものにうつつを抜かしているのかが田鶴には理解できなかった。
  言われて仕方なく狭い庭園を見回したが、新興地の仙台には見掛けぬ風情がひろがってはいるものの、どこか農家の匂いを帯びてうんざりさせられる。ただ、どこかで見た風景だと思いなおすうち、ふと田鶴は、
「大悲願寺がずいぶんと立派になりました」
  と話をかえた。
「大悲願寺?」
  阿梅はいかにも懐かしそうに首をもたげた。田鶴はそうした阿梅を見てほほ笑み、
「こちらへあがる前に参りました。阿梅さまとともに居ましたおりから改装しておりましたが、あれが着々とすすんだようにございます。海誉さまが退かれ、秀雄さまが寺の差配を引き継ぐことになったそうでございます」
  引き継ぐというのは住職の座につくという意味である。
「秀雄さまが」
  なぜか憂鬱そうな顔をする阿梅におかまいなく、田鶴は、
「政宗公がこの夏のおわりに、大悲願寺においでになり」
  と、小さな半紙をわたした。
「この歌は、政宗公が秀雄どのに贈りあそばしたものの写しです」
  立ち昇る竜の背に咲く白梅の土はかわれど根にはかよわん
  阿梅は首をかしげ、
「根というのは?」
  とたずねてくるので、田鶴はゆったりとほほ笑み、もうひとつ半紙を出して、
「こちらは秀雄どのが返しにうたわれたものです」
  野にありて明日もはかなき白萩の千代にこがるる思いとげたり


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