「嵐待つ」
作/こたつむり


〈第六部〉49p

  染料をとりよせたのは喜佐のほうである。阿梅は喜佐の縒った糸をたばねながらふくれっ面で、
「売ってなんかいません。喜んでくれる人に分けているのです」
「でも金子を貰ったでしょう?」
「ええ、いただきました。でも、それは御礼です。商売とはちがいます」
「さあ、どうでしょう」
  喜佐は笑って首をふり、続けてこう言った。
「買って下さった方々からは、真田はこうして紐でも編んで売り、九度山の賄いの足しにしていたのだろう、と噂にしておりますゆえ」
  かなり口は達者で、阿梅は血の繋がらぬこの娘とはこれでも気があっていた。また喜佐は、もうじき阿梅を頼って江戸にくるはこびとなった妹の菖蒲とは年令も近いため、毎日やってくるのを楽しみにしてくれる。望春院は、ついにこの冬の寒さに打ち勝てずにこの世を去り、白石には今、女あるじが存在しない。
「ところで、ほんとうに父上のお子ならば」
  阿梅どうように、ずけずけとこのことに触れながらも喜佐は、
「義母上は、なんとなされます」
  さすがに純情そうに阿梅の顔色をうかがった。
「引き取ってきて、いじめます」
  と阿梅は冗談をいったが、たつ女は決してその子を手放さないだろうと見極めていた。
  しかし、いつかはその子を見ておかなくてはならない。
  重綱の子ではないかというのは邪推であるにしても、阿梅はたつ女がどんな子供を産むのか、そしてどんな母親になるのかを、この目で確かめておきたかった。

  田鶴は生まれた子に弁之助と名づけた。やがては『宗輔』(のちの原田甲斐)と命名することが決まっていた。
  父、政宗の内諾を得ている。政宗の宗の字をいただき、しかも夫、宗資の字も得られて、田鶴はこのうえなく満足だった。
  宗資は江戸づめで、国元に住まう田鶴とはめったに会うことはなかったが、田鶴は不自由を感じなかった。夫が江戸で側室をもったという話をきいたときも、誇りをたもった対応ができた。
  しかし、元和四年の三月のことであった。帰国を前にした政宗が、禁裏の使節をおのが江戸邸にまねき、接待をしたのちに過労で倒れたと聞いたときだけは、ふと、原田の行状に不安をおぼえた。
  もしも江戸の側室にも、子が生まれたら。
  そう思うと、いてもたってもいられなくなった。だからといって江戸にのりこみ、何か手段を講じるわけにもいくまい。夫の側室が江戸を離れることも自分が国元を離れることも、もはや簡単には運ばぬ時代になりつつあった。宗資だけが江戸にも国元にも行き来できるのである。
  何か考えなくてはならない。
  深刻に思ううちに、政宗の病状が食あたりだと知れた。それも食中毒というようなものではなく、政宗自身の過食が原因のようだった。国元にはなにかと大袈裟に伝わるのが仙台の常と、田鶴もこのときは自分の取り越し苦労がおかしくなった。
  しかし、政宗は年をとり、やがては死去するだろう。弁之助のために、自分ができるだけのことは果しておかなくてはならない。
  この日を境に、田鶴はこの思いからだんだんと離れられなくなった。
  この事件は、江戸では噂にすらならなかった。
「伊達どのの伊達ものぶり」
  と、政宗の食いっぷりだけが、今も戦国の豪快さをもつ奥州人の気風としてよく伝わった。
  ところが、これにかかわった阿梅をはじめ、片倉家の人にとっては気のもめる出来事であった。
  政宗が倒れたとされるのは伊達屋敷と仙台には伝えられたが、実際には片倉屋敷であったからだ。
  禁裏からの使いにそれほど丁重な饗応をほどこしたのも、昨年末に果された政宗の息、忠宗の婚姻に端を発していた。将軍家の娘を娶ったのだから、これにかかわるありとあらゆる事柄に気を配ってやりすぎるということない緊張の連続を伊達家中は味わった。
  気の張る役目を終えた政宗を、重綱がおのが江戸屋敷にまねき、簡素な酒宴でもてなしていた。その真っ最中である。
「阿梅。苦しい」
  そう言って、政宗は腹をおさえこみうずくまったのである。
  食べ物に何が入っていたのか。
  そう思って阿梅は青ざめた。すぐさま医者をよび、勝手をあずかる人たちを集めようとしたが、政宗は、
「横になれば直る」
  とだけ言い、すべての差配をとりやめさせた。
「申し訳もござりませぬ」
  安静の場をしつらえ、言われたとおりに政宗を寝かせると、重綱と阿梅はそろって手をつき、こうべを垂れた。
  すると政宗は、まず近侍の若者ふたりに退室を命じ、ついで、
「小十郎。さがれ」
  と、阿梅だけをその場に残らせた。
  夫婦のあいだには厭な予感が走ったが、重綱は素直にしたがい、阿梅に目配せをしてさがった。
  うまくかわせ。その目はそう言っているように見えたが、そんな器用なことは出来っこないと阿梅は泣きそうになった。残されて、なまつばを飲みこみ政宗と視線をあわせぬようにして、来るか来るかと緊張していたが……果して、来た!
「この御手は、いったい何でございましょう」
  問う声が、すっとんきょうに部屋に響く。部屋の外に届けばよいと願って、阿梅は声を絞り出す。
「お顔が近すぎて、ご命令が聞きとれませぬ」
  などと阿梅の声だけが甲高くつづいたが、いいかげん、知らぬふりもできなくなった頃、
「どきゃれ!」
  阿梅は叫び、相手の大きな体をつきとばしていた。
  どっすん、という音響を聞いたとき阿梅の胸に、死なねばならぬ、という覚悟が走った。
  部屋を飛びでると、重綱が外でまちかまえ、
「待て」
  と声をかけたが阿梅は、すいません、死にまする、と夫の腕をふりきって自室に駆け込んだ。
  口をハアハア息づかせ心臓をどかどか鳴らせて、部屋を見回したが死ぬ道具がない。舌を噛みきるには相当の力がいるだろう。失敗してのたうちまわるのだけは嫌だった。喜佐か荒井がやってきてくれるのをなんとか待って、何か持ってきてもらうしかなかった。その間、阿梅はいそいで手をあわせ瞑目する。
  父上、申し訳ございません。父上に比べれば、随分くだらない死に方となりました。
  ところがしばらくして入室してきたのは、重綱だった。
  暗がりの中に阿梅を見付けるや、
「阿梅。逃げろ」
  と強い調子でささやいた。
  阿梅は目を丸くして、
「政宗公は……」
「お帰りになられた」
「お怒りでしょうか」
「当然だろう」
  そう言う重綱も機嫌はよくない。まさか政宗を突き飛ばすとまでは思っていなかったにちがいない。
  阿梅は震えながら両手をにぎりあわせ、重綱を見上げて、
「逃げて……どうなさるのです」
「そなたのことは、このわしが手にかけ、この世を去らせた。そういうことにする」
  言うと重綱は阿梅をやや小突いて、早く逃げろとせかした。
「そのようなこと……」
  重綱はいらだって阿梅の肩を両手で揺さぶり、
「できる。そうせねば、そなたを引き渡すことになりかねない。そうとなれば、絶対に殺されないという保証はない」
  事態を早く悟れとばかりに早口で言った。
「それではいけないのですか」
「死にたいのか」
「死んではならないのですか」
「いいはずがないだろう」
  呆れて目を丸くする重綱を、阿梅はしげしげと見詰め、
「幸村の娘だからですか」
  すると重綱は、え、と言ってしばらく黙り、やがて、
「真田幸村の娘だったな」
  思い出したように言った。阿梅はふきだした。

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