「嵐待つ」
作/こたつむり


〈第六部〉48p

「嵐を?」
「おかしなことをいうものだと私は思った。そばにいた母も庭師も首をかしげていた。するとあの人は、膝をかかえてこう言った。嵐がくれば家に帰らなくてすみます。ここに泊まっても少しもおかしくないではありませんか。家の者もひどい雨風のなかを帰ってくるより泊まってくるほうが賢明だと思ってくれるでしょう」
  重綱の口を通じて語られる少女の言葉が、阿梅の胸につきあげてきた。
「私はこの段をおりていって、こう言ったのだ」
  そんなにこの家がお気にいりならば、ずっとこの家にいらしたらよいではないか。自分が都合してあげよう。ここで私や私の家族とともに、いつまでも仲良く暮らそう。
「いま思い出しても、あの時の私は驚くほど純粋であったとおもう。けれどもあれほど本気で将来を決意したことはなかった」
  針生氏からの縁談がきたときにも、まだ、妻をもつのは早いといって断った。それは心のどこかで、田鶴が成長して嫁入りする年令になるまで、自分も嫁取りするような年令でありたくなかったからなのかもしれない。しかし、
「なにを思われたか、父上がこんなことを言われた」
  この片倉家は、伊達家とは婚姻はせぬ。主筋と婚姻によって結ばれ、その縁をたのみに出世したというような部分を、この家の中につくってはならぬ。
「そのうえで私に、あの人の出生のことを申し聞かされた」
  阿梅は聞きながらはじめて視線をそらしたが、重綱は臆することなくつづけた。
「父上のおっしゃるのは、つまりはあの人を妻にしてはならぬということだったと思う。むろん私は聞く耳をもたなかった。そのような過去をお持ちであれば、なおのこと自分が救いだしてやらねばならぬ、そのように感じたのだと思う」
  しかし数日のうちにあれこれと思い悩むようになり、ついに折れて結婚を承諾した。
  数年のうちに妻が亡くなり、茂庭家からそれとなく後ぞえの働き掛けを得たときには、もはや父も反対はしなかった。
  お前も料簡のいく年となっただろう、自分で決めればよい。
「もはや年頃になられた田鶴どのの体面を気遣っての仰せだったと思う。その言葉の裏には、相手に恥をかかせるようなことがあってはならぬ、つまり承諾せよ、というお指図があったと思える」
  しかし自分は断った。
  父のいう料簡のいく年令になったからではない。いや、あるいはそういうこともあったろう。
「妻を得、子を持ち、自分を柱にこのように繰り広げられた家庭の幸福を味わってしまうと、そこには以前とはまるで違う分別のようなものが加わってしまう」
  しかしそれは実のところ、亡くなった妻との縁談があった折、思い悩んだ内容のすりなおしに過ぎなかったかもしれない。
「あの人の出生のことを聞かされた日から、私は心のどこかであの人を許せなくなっていた。あの人自身にはなんの責任もないのに、そのように淫らな成り行きで生を得たということ、そのくせ、そのことを自分には何ひとつ見せずにふるまってきたこと、なにもかもが信じられなくなった。なによりも受け入れがたかったのは、そうした妻を得て、いったい自分はどのように主君に仕えていけばよいのか、ということだ」
  日々をともに暮らしてゆき、もしも妻の所業に生い立ちにかんする影が現れるようなことに出くわせば、そのつど自分は、その原因をつくった主君のいちいちに目くじらを立てはすまいか。ある日妻が、こつぜんと主君の血筋を盾に片倉家を操縦しはじめたとき、秀吉に家康に、大名なみに扱われてきたこの片倉家だけは、伊達家の血筋に屈するものではないのだ、などと突出する自分を招きはすまいか。そのような心根で、真実、命をささげるほどの奉公はとてもかなわないのではないだろうか。
  日々、刻々と世の中は安定していく。
  戦はおさまり、主君を替えることなどこの先はとても成しがたくなってゆくだろう。好むと好まざるとにかかわらず、父の仕えた主君に子も仕え、そのさらに子にも同じことを強要するようになる。そこには事をつぶさに荒い直すいとまとてないだろう。
  茂庭家に断りをいれ、入れてもなお悩んだ。
  今度は、じくじくと心が痛むのをとめられない。大坂の戦に参加し、陣太鼓や鬨の声のあいまに日夜をすごしながらも、ふと思い出してしまうと、なかなかに忘れられなかった。
  この戦はやがて終わる。この世はいつか終息をむかえる。そのための戦なのだと思うと、喜びもし、悲嘆にもくれた。
  人は死ななくなる。そして人が死なないということは、その人々にいつもいつも、おのれのしでかした失敗不慮の類いを忘れさせられないということなのだ。だから一瞬もまちがいなく生きねばならぬ。そうおもう一生は、気が遠くなるほど長い。
「そんな心にいた時に、あなたに出会ったのだ」
  重綱の声はぽつりと庭の谷間に放りだされたまま唐突にむすばれ、静寂をうけいれた。

  片倉重綱と阿梅の婚儀は、津田家にいる田鶴のもとにも届いていた。
  今はまだ阿梅に会うわけにもいかない。田鶴はそう思っていた。あるいは阿梅も、実父の選んだ男の元へ嫁いでいったのだと納得していた。出家をしなかったからには、阿梅も母とおなじ運命をたどる決意が固まったのだとも思えた。
  原田とはこの初夏に仮の祝言をあげた。
  伊達忠宗の近侍にえらばれた彼は、国元に新妻をおいてでも、江戸に行かねばならない。
「いつまでもここに置いてあげるわけにはいきませんよ」
  と、姉の芳乃はよく目をつりあげて田鶴に言った。
「いつまでおるつもりかは、よくご存じではありませぬか」
  田鶴は全く動じなかった。以前なら、この姉に邪険にされようものなら、泣き言のひとつも出たであろう。いつでも優しい姉であった。この姉だけが頼りだった。
「よくもまあ、いけしゃあしゃあと」
  ここへ来てからというもの、幾度もこのようなやりとりがあった。しかし田鶴は、
「今にしておもえば、母上とて、私がこのように取り計らって安心されているご様子に見受けます」
  と答える。
  自分は子を宿して、やさしい人間になれたと思うことが多い。女は子を生み、親の苦労がわからねば一人前ではない。最近、とみにそう思う。
  芳乃はそういう異母妹を、よく化物でもみるような目で見詰めた。謀られた恨みより、むしろ恐怖に支配されつつあるのが見てとれた。
  津田家では結婚の仲介役を命じられている。そこにあずかった妹に対する世間の目をひきうけ時にはかわす役目を、この姉は我身に負わざるをえない。
「このままいけば、なにもかもあなたの思いどおりに運ぶというわけですね」
  と皮肉をこめて芳乃がいうと、田鶴は、そのときとばかり胸を張り微笑しながら、
「何もかも、政宗公のご命令によることではありませぬか」
  威圧するように言ってのけた。

  田鶴姫の出産を、阿梅は荒井によって知らされた。元和三年も暮れようという頃である。
「え、もう?」
  はじめ阿梅は、早産なのではないかと少なからず不安をおぼえたが、母子ともに健康と聞いてようやく不審をいだいた。
「一体、どなたのお子でしょう」
  阿梅がずけずけと言うと、荒井は、
「阿梅さま」
  あたりを憚るように顔をしかめた。
  しかし阿梅は遠慮なく指を折って、ひいふうみいと産み月を逆算し、
「まさか伊豆守(片倉重綱)どのの?」
「なんということを」
「かまいません。こちらにだって跡取りがいないではありませんか」
「お跡は……」
  阿梅さまがお産みあそばすのです、と荒井が言い出す腰をおって、
「奥州では、こういうことが多いのですか」
「何がでございましょう」
  荒井は汗を拭く。
「だって、おかしいではありませんか。早産でないのなら、お子ができたのはちょうど私がこちらを離れていたころに当たります。そのころ田鶴さまはまだご婚礼なさっておりませんでした」
「月満たず、子が産まれるなどということは奥州でなくともございます。ただ、そうした事柄をことさらに詮索せぬのが、ご家風でございましょうな」
  胸を張って荒井はそう答えるのだが、阿梅は、
「へえ、そうなの」
  目を丸くしただけである。
「ずいぶんと変わったご家風だこと」
  ね……と、そばにいる喜佐に矛先をむけると、まだ若い重綱の長女は、
「こちらだって、ずいぶん変わっておりますわ」
  染めた糸を指で縒りながら言った。大柄でやや肥満ぎみではあったが、顔付きが大変にきらきらしい。急遽、仙台から送りよこされ、阿梅と日常をともにしている。
「そうでしょうか」
「そうですとも。奥州でもこの江戸でも、紐なんか編んで売っている武家はここしかありません」
「面白いと言ったくせに」
「そりゃあ面白いです。だから他にはないと申しました」


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