「嵐待つ」
作/こたつむり


〈第六部〉47p

「あの……」
  さすがに阿梅は同情をもよおした。このままきつい叱声を荒井とともに浴びつづけるのもいやなので、
「荒井どのは小太郎さまの件で、ひどく窶れておられます。どうか、今日のところは勘弁してやって下さい」
  差し出ぐちにおよぶと、重綱は怒った顔のまま、
「阿梅」
「はい」
「武士がその程度で、これほど消沈はせぬものだ」
  重綱は、よく覚えておけと言い放ち、広間を出ようとした。
「それは違います」
  カッときて阿梅は大声で呼びとめた。
「何がちがう」
「荒井どのは一人、小太郎さまのお世話にあけくれておられたのです」
「女ごでもあるまい」
  重綱は大きくためいきを漏らし、
「看病に疲れて役目を怠るなど、片倉家では通用せぬ」
「そうではありません。片倉家を思えばこそ……」
  阿梅はしつこく首をふって、
「伊豆守さまが伊達家が大事なように、荒井どのにとっては片倉家こそが大事なのです。長年、命懸けでお守りなさったお跡が途絶えてしまい、これで家来の心に張りがあったなら、今までの誠心に偽りあり、よも敵に内通の恐れありやと、私なら疑いましょう」
  重綱には腹がたつし、荒井の面子は気になるし、思い乱れて口から出まかせをわめき散らした。
  ところが座はすっかり静まり、気付いて見ると重綱は無言で立ちつくしたままである。阿梅はとたんに所在なくなり、
「荒井どの。湯を頼みます」
  命じて下がらせるや、自分もそそくさと出ていきかけた。
  阿梅の背に重綱が、
「夕餉を先に」
  すかさず声をかけ、
「その前に、酒を用意するように。あなたも少し召しあがるとよい」
  腕をくんだまま縁におり、付け石の草履に足をおろして振り返った。
「忠宗公が仰せになられたそうだが、なるほど叔母上(喜多女)にどこか似ておられる」
  そう付け足すと、庭には降りずにそのまま縁に腰掛けてしまった。

  重綱が出仕先以外で酒をのむのを阿梅はあまり見たことがない。めずらしいこともあると首をかしげながらも奥にそう伝えてやると、
「伊豆守さまが、ささを?」
  いつも台所で用を足してくれる下働きの女も、やはり首をかしげた。めずらしいと言う。
  その女にも手伝ってもらい、忙しく働いていると、
「阿梅さま」
  荒井が戸口から遠慮がちに声をかけてきた。
「なんです」
  戸口にいって聞いてやると、荒井は目を潤ませながらも言葉をつまらせた。
  忙しいんだから、さっきの礼なら早く言え。そう思っていると、
「阿梅さまは、先程のような事を、どなたに教わったのでしょう」
  などと堅苦しい話をする。先ほどの事とは、阿梅が重綱に怒鳴り返したあの屁理屈を指すのだろう。
「教わった?」
  阿梅はせかせかと首をかしげ、また説教かとも思いながら、それぐらいに荒井の元気が戻ったのなら、と気を取り直し、
「母です」
  ひとまず言ってみた。すると荒井は、
「さすがは大谷刑部さまのご息女」
  合点がいったとばかりに力強く頷いた。
  阿梅は思わず苦笑した。片倉家の者に誉められたのは初めてだったが、何が良かったのかがわからない。
  どこの子だっていいじゃないか、と阿梅は思う。あんなのが武家の娘の心得なんぞなものか。
  母は主人である幸村より、よほど家人たちに気を遣っていた。
  ひどい貧乏暮らしであった。奴の顔色までうかがわねば、明日にもみんな逃げかねない。そんな気苦労の連続だったのだ。

  台所女をつれて重綱の部屋に運びにいくと、重綱は相変わらず縁にこしかけたまま、庭を見入っている。
  これもあまり見ない光景であった。庭は荒井が指図してよく手入れされ、少ないながらも選別された見栄えのよい植物ばかりが枝を広げているものの、主人に見向きもされないまま、小太郎の遊び場と化してきたのだ。
  小太郎どのを思い出しておられる。
  阿梅はそう思った。
  縁に膳を据えてやり、阿梅の分も縁に近い部屋の端におくと、台所女をさがらせた。
  女のいなくなるのを待って、
「こういうことは、言うものではないと思ってきたが」
  重綱は、ぽつんと始めた。
「小太郎が逝くのを、見届けられなかった」
  阿梅は、うん、と頷いてやり、
「女ごゆえに、わたくしも」
  言うや、目の前が一挙にぼやけた。
「父の死にめに会えませんでした!」
  語尾がむざんに泣きくずされ、おらび声が上がった。
  慌てて口をおさえたが、こらえても堪えても、のどに粘りつくように哀しみがあふれてくる。この二年余り、わかりきっていたはずのこの事が、こんなにも哀しかったのだと自分で自分に狼狽した。
  しかし重綱が特に叱りつけないので、阿梅は、このままちょっと泣かせてもらおうと思った。死んだ父が真田幸村であろうとなかろうと、華々しい戦死であろうとなかろうと、この無念は、そう簡単にはどけられそうもなかった。
  泣くとはじめて、英雄伝で胸を張らされるより、大好きだった父の死に、ただただ泣きたかった自分が次々と現れ出て、涙はなかなかに尽きなかった。
「この庭は」
  重綱はくんでいた腕を放し、庭を示した。
「白石を模したものだ」
「荒井どのから、そう伺いました」
  阿梅が鼻水をすすりあげながら答えると、重綱はうなずき、じっと庭を見据え、なるほど、田鶴どののことを妻にしたいと思ったことはあった、と話しはじめた。
  それは田鶴どのご本人を好ましく思っていたというより、少年のころから、このような女性が妻であれば、という理想のようなものがあって、たまたま彼女がそれによくあてはまっていた。
  そこまで言ってから重綱はふりかえり、いや、と首をふった。
  やはり違う、あなたの言うとおり、自分は田鶴姫本人が好きであったのだ。
  彼はのそりと立ち上がり、あそこに……と小さくつぶやいた。
  阿梅がともに立ち上がり、重綱のしめした辺りを見遣ると、苔に覆われこんもりと隆起している一隅が目に入った。彼の言うのは、白石城でのことなのだろう。
「あそこに立って、いつまでも空を見詰めていた。何をしているのかと尋ねると、待っているのだと答えられた。まだ、ほんとうに小さい、幼いあの人が、あそこに立って何かを待っていたのだ」
「何を?」
「聞くと、嵐がくるのを待ってます。あの人はそうおっしゃった」


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