「嵐待つ」
作/こたつむり


〈第六部〉46p

 久かたぶりの片倉屋敷だった。その玄関に、阿梅の急な帰還ときいて、荒井がまろぶようにかけ降りてきた。政宗がつけてくれた小者たちのうしろに阿梅の姿をみつけるや、
「阿梅さま」
  と言ったきり絶句する。
「伊豆守さまは、白石に行かれたままなのですか」
「はい」
「針生家からは、喜佐どのがまだお着きになられないのですか」
「はい」
「荒井」
「はい」
  阿梅は何を言ってやったらよいやら考えたが、なにも思いうかばず、
「しっかりなさい。しゃんとしなくてはなりませんよ。これからも、そなたに仕切ってもらうより他はありませんから、そなたがそんな風では困ります」
「どのように」
  荒井は首をあげ、溶けてしまいそうな目で阿梅の顔を見守っている。
「着替えてきなさい」
  根拠はなかった。
  荒井は以前のように衣服も整い、誰にたいして失礼があるという恰好はしていなかった。
  それでもなお、阿梅には荒井が、ともにいて耐えられないほどにむさ苦しく感じた。彼を包んでいる空気のすべてを取り替えてしまいたかった。
  荒井だけではない。今、入ろうとしている片倉屋敷の奥から吹きこぼれてくる陰惨でふしだらな空気に、息をつめずにはいられない。喪中だからといってこれでいい筈はない。少なくとも、祖父や姉の死に立ちあった経験からは、喪とはこうしたものではなかった。
  素直に阿梅の命令にしたがってさがってゆく荒井のあとを、たまらずに阿梅は追い越し、台所にかけこんで戸を開けた。
  片倉屋敷のものは皆おどろき、それでも誰ひとり阿梅を止めようとまで働きかけるものはいなかった。
  阿梅は台所を出て廊下をまわり、やはり戸を開けた。庭に裸足のままかけおりると、灯籠の脇に咲きむれている花を手づかみで根こそぎ引き抜きはじめた。十本ほどが手に入るや、そろえて根をわがひざにあててはたき、土を落とした。
  さらに見渡すと、きれいに整えられた庭の各所から、色々と咲き散らしている花が暮れかかる大気にうかびあがって見える。あちらへ廻りこちらに戻りして、阿梅は花を揃えはじめた。
  なにをしているのだろうという視線が、ときおり廊下の方から注がれてきた。それらに気付くたびに、阿梅はふりかえり、
  放っておいてくれ。
  とばかりに睨みかえす。すると誰もがとたんに視線をそらし、見て見ぬふりをきめこんだ。
  両手いっぱいに晩春の花々をかかえこみ、裾の捲れにも臆せずに縁をかけあがっていくと、死におくれた初秋の蚊のように阿梅のゆく先々は、身をかわすのが精一杯である。だれもがみな精気にとぼしく、それが阿梅をして、なおも狂奔に駆りたたせた。
  つんできた花を、二、三本づつ一揃えにして根を放し、台所じゅうから器を選びだして生けると、まず台所入り口に、そして玄関にまわり、廊下に、各窓に、一つ一つ置いてまわった。
  さいごにやっと広間の奥に通っていく。前をふさぐようにして衣服をあらためた荒井が低頭し、顔を上げるや、
「小太郎さまも、庭の花をよく愛でられて」
  お追従をつぶやき、信じられないことにそのまま、おいおいと涙にくれてしまった。

  政宗をおいかける形で、重綱がふたたび江戸入りした。
  阿梅はそれを片倉屋敷で出迎えた。
「このたびは、お悔やみの言葉とてございませぬ」
  阿梅がきりきりと持ち掛けると、
「お元気をとりもどされた」
  重綱は驚嘆した。彼にしてみれば、阿梅があいかわらず寝たり起きたりを繰り返し、びくびくと頼りなく暮らしている予測でいたのだろう。白石や仙台、そして江戸と忙しく行き来する重綱には何ひとつ変わらぬ日常がある。
「望春院さまは」
  まずいとは思いながらも、阿梅が言葉に窮して問うと、
「いかぬな、もう」
  重綱はそう言って首をふった。
「政宗公は、近く京へおのぼりの予定だから、わしも御供をすることになろう。そのあいだに、おそらくは……」
  当たり前のように母親の死を匂わせた。
  親の死をこんな風にとらえられるのかと思うと、阿梅の胸はおさまらなかった。
  今まで自分の背負ってきた苦しみを、重綱も親に死なれればわかるだろう。いつのまにかそう思ってきた阿梅だった。わかってくれるだろう、というよりは、そのときこそ思い知るがよい、という気持ちに近かった。
  重綱とは、父を亡くした点では同じだが、自分には実母がもうこの世になく、育ての母とも二度と会えない境遇である。だから重綱より弱いところがあっても間違っていない。こうした理屈で胸を張ってきたようなところがある。
  不幸比べである。強いから勝ちなのではなく、弱くてもいいという点で自分の勝ちだったのである。
  ところが、子の死を聞いても母親の危篤に遭遇しても、それほど打ちひしがれていないのを見て、今度は憎たらしくなってきた。
  大人ぶるんじゃない。なんでもなさそうに振る舞いつづけると、いつか疲れてボロが出る。もしも弱みを見せようものなら、ようやくにわかったかと踏ん反り返ってやるのだ。
  えんえんと自分に言い聞かせているうちに、荒井がようやくにまかりでて、
「お帰り、お待ち申しあげておりました」
  戸の影から挨拶をいれたが、聞こえないと言ったほうがよいほどその声はくぐもっていた。
「ああ、ちょうど……」
  と、阿梅が湯でも頼もうとするより早く、
「遅い!」
  重綱の一喝が広間を貫いた。
  意表をつかれて阿梅は首を縮めたが、荒井はのそのそと手をつき、
「申しわけも……」
「そのほう。阿梅より遅れて出るようで、陣ぶれに間に合うと思うか」
「まことに……」
「書状も要領を得ぬ。日限も調達物もあのように曖昧で、これが戦陣の兵糧なら、何千人が命断たれたと心得る」
「は……」
「庭がきたない。なんどき客が訪れるかわからぬのが江戸住まいじゃと、いつも申しておる。華美にせずとも掃除をするだけで……」
  すると驚いたことに、荒井は垂れていたこうべを百姓のように床にこすりつけ、動かなくなってしまった。


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