「嵐待つ」
作/こたつむり


〈第五部〉45p

「そんなことはございません」
  阿梅は首をふった。
「父のことをお聞かせ願いとうございます」
  信之はこたえずに首をかしげるだけである。
「信濃に暮らしていたおりの、昔の父の様子など伺いとうございます」
  こう言えば喜んでくれるのかと思ったが、信之はやはり首をかしげ宙をみつめて黙った。阿梅はついに震え、両手をひざの上でにぎりあわせた。言葉を必死に選び、
「私は、七歳のころまで父や祖父とは共に暮らしておりませんでした。祖父や父は寺に、母や私たちは里へおりましたので……。ともに暮らすようになってからも、なにしろ女ごでございます。父は真田家のことなど、ことさら娘の私たちにはあまり教えてくれなかったのでございます。山深い里のこととて、お察しいただけましょう。さして学問もなく、女ごとして身につけおくべき事柄とて私には備わっておりませぬ」
「なれば」
  やっと信之は口を開いた。心を動かされたかに見えたが、
「片倉家にて教えていただくのが良かろう」
  言ったのは阿梅の一番ききたくないせりふであった。
「そなたの父もそうした配慮でご当家をえらんだのであろうゆえ」
「いいえ」
  かぶりを振ってから、阿梅にはようやく絶望の思いがこみあげてきた。
  一体、この叔父のどこが、良き人柄なのか。
  大悲願寺の海誉上人が恨めしくなった。海誉に与えられた信之の印象は、こうしたものではなかった。
「そなたの父の命で嫁ぐはこびになったと聞いたが」
  信之は眉間に皺をよせてそう言った。阿梅はこの話をどう持っていったらよいのかと途方に暮れた。そして手だてに躍起になる心の内がわで、叔父の放つ言葉の数々に傷つきはじめていた。
  弟とか幸村とかいわずに、そなたの父、などというのはあまりにも他人行儀だと思い、情けなくなった。
  他人でいたいのだ。やはり、重綱の言ったとおり、この対面は、徳川家に縁をもち臣下として仕える真田信之にとって、迷惑いがいの何ものでもないのだ。そうわかりつつも、執拗な自分を抑えられない。
「私は、父が大坂に入ってよりのちには、一度も父にあっておりません。世間では私たちが大坂城の中でともに暮らしていたかのように流布されているようでございますが、本当はちがいます。片倉家へ参れというのも、父が手紙にて指示し、私はそれをもって陣屋へ運び入れられただけのこと。何ひとつ父からの内情を得てはいないのでございます」
「ほお」
  はじめて信之は、意外だという表情をした。
  こういう事情が心を動かすのかと、阿梅は思い、やや安堵した。しかしそれから先が、やはり何も続かなかった。信之は変わらず黙りつづけており、ひたすら阿梅は話をどこかにつながねばならなくなる。
「冬の陣のあと、父にお会いになられたと伺っております」
  頭をはたらかせて、漸くこのことに突きあたった。冬の陣が和議で終結した直後、信之幸村兄弟が密会したという専らの噂がある。
「そのときの事なりと、何かお聞かせいただければ」
「あれは」
  信之は思いをめぐらせるように一度は受けいれてくれたが、
「大御所さま(家康)の命令で、そなたの父を徳川がたへ誘いかけるための談だ。そなたの話は聞いておらぬ」
  あっけなく結ばれた。
「でも、私は……」
  阿梅の心は崩されてしまった。隠してきたものが熱くこみあげてくるのを抑えられない。
「いっときも父に会うことは叶いませなんだ。そうした時間はなかったのでございます。巷で話されているような華々しいことなど、何ひとつ目にはいたしませなんだ」
  実際そのとおりだったからこそ、吉次の変わり果てようにあれほど取り乱してしまったのだと阿梅はおもった。
  真田幸村の娘でありながら、敵の伊達や片倉の連中のほうが遥かに真田幸村に近いのだと、今さらに思い知った。
「ここでの事は、どなたかに」
  しゃくりあげながら阿梅は叫んでいた。
「どなたかに見張られてでもいるのでしょうか。なにか、何もかもお打ち明けくださらぬ訳でもおありなのでしょうか」
  高野山をひきあげた瞬間から、心に塞がりつづけてきた目に見えぬ威圧にむかって、ついに阿梅はこぶしを奮った。
  いつも、いつも、いつも。
  はっきりとわかることのない事柄。自分にだけ隠される真実。半分だけ見せられ、残りの半分は取り上げられるような毎日。どこにも身をまかせられない不安の中を阿梅は暗中模索しつづけてきた。
  泣きくずれ、止まらなくなった阿梅を前に、真田信之は何度も太いため息をもらした。やがて、
「教えられぬ訳があるのではない。教える必要がないのだ」
  と言った。つづけて、
「会う時間がなかったのではない。会う必要がなかったのだ」
  そして立ち上がり、阿梅の脇をぬけて廊下にでた。
  信之の放った言葉が、信之が座をあけた事で、ようやく阿梅のなかに対句となって染みとおってきた。ふりかえると、信之は背をむけて庭を見下ろしている。
  庭は、小藩にすぎぬ信州真田家の江戸屋敷のものとしては意外なほど広く、木々がこれも贅沢にあたりを飾っている。中央の池には水鳥が何羽かおりて、池べにしつらえてある篭にくちばしを入れている。
  信之が黙ってしまったので、阿梅はしばしこの風景に見入っていた。片倉屋敷に帰ったら、せめて庭のさまなりと荒井に話してやらねばなるまい。
  あの豪華な池や木々の手入れは誰が行うのだろう。職人だけでは適うまい。もしかすると吉次が毎日水を与えているのかもしれない。吉次の恰好は庭番の風情があったから、おそらくはそんなところだろう。すると、あの鳥たちの餌も彼が用意するのだろうか。
  吉次には、昔から小さな生き物にやさしいところがあった。あのような姿になったとしても、彼本来の来し方がまっとうされているのであれば、それはそれでよい。父も兄も、そういう吉次を責めはしないだろう。
  そうするうちに、
「男は戦になれば、戦に出てゆかねばならない」
  庭にむかって信之の言葉はふたたび開かれた。
「女は嫁げと言われれば嫁いでゆかねばならぬ。男が戦に出ればいろいろとあるように、女も嫁げば、その先はいろいろとある」
  ようやく振り返り、信之は真っ向から阿梅を見詰めてきた。
「そなたは真田幸村と暮らしてきた」
  阿梅はハッとして首をあげ、信之を見詰め返した。
  信之は目をそらさない。
「そなたの知っている真田幸村が、そなたの父の、ありのまますべてなのだ」
  そう言う信之の目は、息をのむほど亡き父に似ていた。信之は続けて言った。
「他のことはどうでもよい」
  その瞬間、池のほとりから鳥が二羽、三羽と飛びたった。
  口を開いたまま、阿梅の言葉はなくなった。言葉だけでなく飛び立つ鳥の羽音にのせられて、これから出るはずであったすべての声は天のかなたに消え去った。
  池辺にかれらの羽が舞いおると同時に、阿梅の頬にさいごの滴がしたたりおりていった。

  真田伊豆守は、結局なにも教えてはくれなかった。阿梅の問うことに何ひとつ答えてはくれなかった。
  しかし海誉は、阿梅の一番聞きたいことを真田信之が教えてくれると言っていた。そして、その通りだったと阿梅は今、思っている。
  伊達家の人々が、片倉家の人々が知らない父を、彼らが見たこともない父の平素の姿を自分だけが知っている。それしか知らないのではなく、それほどによく知ってきたのだ。
  阿梅の脳裏には、白石に到着してからこれまでの長い日々、封じこめ続けてきた高野山での日々が、溢れるまでに蘇ってきた。
  山菜を摘みにいった裏山の小川で、いつも衣服をびしょぬれにして魚を手づかみに捕る幸村に、娘たちは大きいのだけを捕れと注文した。近在の農家に誘われ、一家そろって行くのを楽しみにしていた祭りに、幸村は自分だけ行ってしまい、家族じゅうから顰蹙をかった。農作業もそこそこにして子供たちをよく散歩に誘いだし、母からの小言を一手にひきうけてくれた。
  それ以外の父。信州に暮らした幼き日の父。大坂で戦う死の直前の父。たしかにそれらは、いくら知ってもその中に自分は存在しえないのだ。いくら聞き出しても、それを手掛かりに渡り合うべき父はこの世にもういない。
  これでよかったのだと思う反面で、阿梅はやはり信之に父の話を聞きたかったとも思う。
  信之も幼いころの父を知っている。そしてやはりそれしか知らない。
  しかしそれだけで見ることの叶わなかった弟の散りぎわを、どうでもよいと思えるのであれば、やはり彼にとってその思い出こそが重要だったのだろう。
  幼いころから見てきた弟が、姪や甥におのれを包み隠さず見せてきたはずと信じられるほどに、そう言い切れるほどに、兄弟の過去に重要なものが詰め込まれていたのだろう。
  別れぎわに廊下を去る伊豆守の背から、年老いた人の咳ばらいが荒々しく聞こえた。その声音は、父幸村より祖父昌幸によく似ていた。
  昌幸は人前に面するとき、たとえそれが家族の前であっても咳を堪えるくせがあった。痰をつまらせたままゴロゴロ鳴る喉で子にも孫にも話をした。
  礼儀のつもりかもしれないが、阿梅にはそれがたいそう不愉快だった。祖父が席を立つと、いつもホッとした。早く咳ばらいをしてきてくれと目で祖父の背を追いやった。そして戸に隠れた彼から、鼻をかんだり痰をはいたりする気持ちの悪い音がひびいてくると、やっと落ち着いた。自分の喉の調子まで快通する思いだった。
  すると、そんな阿梅の顔をのぞいて幸村は、笑いをこらえながら、
「ああ、スッとした」
  と耳打ちする。
  親娘は、よくそれで笑いころげた。今もそうした父のひょうきんな様子が、すぐそばにある気がした。


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