「嵐待つ」
作/こたつむり


〈第五部〉43p

  しかし、貴族的に生まれついたこの跡取りには、やはり姉から聞いたとおりに阿梅がおもしろいらしい。
「喜多という女性は、きっとあのような者だったのではありますまいか」
  父親の政宗にあてた手紙のほんの末尾に、阿梅についてふれ、このように付け足してくれたそうだ。政宗はいま国元にかえっている。
  忠宗は幼い日に、国元にて、たった一度だけ晩年の喜多女に会ったことがあるという。彼がその名を口にしたのは、喜多が、父政宗の教育係として誉れが高かったことを意識してのことだろう。忠宗はこの年の十二月に婚儀をひかえている。相手は将軍、秀忠の娘、振姫ときく。
  結婚もせぬうちから、後継者の教育係をさがしている。
  こういう感覚に阿梅はついていけない。ところが忠宗は、
「今、江戸城では、春日局のご威勢、並々ならず」
  阿梅にこんな噂をふきこむ。
「次期将軍の座が危ぶまれた一頃、乳母の身で、家光君後継のお約束を権現さま(徳川家康)から取り付けられたそうにございます」
  つけたして説明したのは多田吉広という人物である。
  将軍、秀忠には男子が二人いる。長男、家光(のちの三代将軍)の乳母、春日局は、次男の忠長をもりたてようとする勢力を相手に、一歩もひけをとらないという。
  春日局の父、斎藤利三は謀反人である。主君の明智光秀とともに、そのさらに主君、織田信長を本能寺にて死においやった。羽柴秀吉との戦に敗れ処刑され、その家族は世間の冷たい視線にさらされて、春日局も手ひどい苦労を味わったにちがいない。
「それが今では、天下の将軍お世継ぎの名補佐役になられたのじゃ」
  多田は暗に、二番煎じを阿梅にすすめてくる。
  阿梅もばかではないから多田の心底は見えすいている。多田は自分の娘(伊達兵部宗勝の母)を政宗の側室にさしだしているから、単純に、阿梅を政宗から遠ざけたいのだろう。
  ところが邸内の別棟に居館をかまえる多田の娘は、父の思いがわかっているのかいないのか阿梅を呼び付けて、
「側室は側室同士、仲良ういたさねば、伊達家では生き残れませんからね」
  などと露骨なことを言う。このころから阿梅の身辺には怪しい空気が漂いはじめた。
  ともに侍女をやってきた連中から見れば、
「あの女人は一体どういうお立場?」
  ということになる。徐々に距離をあけられ、話し掛けても誰にも答えてもらえなくなってきた。
「私は側室などではございません」
  喜多のようになりたいとも思ってはいない、と阿梅は、必死の弁解をほうぼうにしてまわる。
「良いではありませんか。もう周知のことなのですから」
  青ざめる阿梅に、多田の娘は、待ってましたとばかりに言ってのける。
  お前がそうしたんだろう、とも言えず、阿梅はその場につっぷしてさめざめと泣いた。
  一番さいごに側室となった多田の娘は冷遇されている。他の側室は国元の奥どころに居室をいただき、何人かの侍女にかしずかれているものだが、彼女は人質暮らしの伊達家の家族に気兼ねをしながら、そのおこぼれを頂戴して生計をたてている。
  ついに居どころを失った阿梅をおのが居館に置いてやり、かわりに世話をさせつつ、どの側室がどのように画策して自分をのけものにした、などとふきこむ。耳をおおいたくなるような物凄い内情暴露の嵐であった。これでも側室をやりたいか、と言わんばかりである。
  こうなると五郎八姫などは、阿梅が自分の話相手として連れてこられたことも忘れてしまうようで、早くも替わりを募集し、採用した。
  政宗の江戸入りは、五月であった。これを阿梅は心待ちにしていた。
  皆に説明してください。
  これを一言いいたくて出迎えの列に加わったが、政宗は阿梅のいる廊下と反対の方角へいざなわれて遠ざかった。
  接触はこれきりで、阿梅が政宗に何をかきりだす機会は与えられなかった。政宗はこれよりすぐに、将軍に付き従って京へ旅立つときく。

  深夜、とつぜんだった。
「阿梅はどこだ」
  命じる大声が寝耳にとびこんできた。酒気を帯びたままの政宗が、多田の娘の部屋に乱入したのだ。そのまま阿梅のひかえる間に押し入り、
「阿梅。すぐさま小十郎のもとへ帰れ」
  言い放ったのである。顔の色は赤いが、表情はこわばっている。
「なにゆえでございましょう」
  あわてて床をはねながら、阿梅はおもいきり迷惑そうな顔をした。政宗はせわしく阿梅の両肩をわしづかみながら、
「小太郎が死んだぞ」
  泡を吹くように口元を震わせながら言った。
「え!」
  小太郎というのは、重綱の長男の、あの小太郎かと聞くと、政宗は、
「このときに言うのも、気がひけるが」
  と、しかし特に声を低めるでもなく、
「阿梅。小太郎のかわりを生んでやれ」
  といった。
  小さいながらも阿梅にはひとところの間があたえられている。多田の娘からである。
  しかし、政宗の声は外にもれるだろう。
  政宗がこの手のはなしに及べば、それを人々は主君の訓命とうけとめるに相違ない。迷惑な話であった。
  生むのはあとで、ゆっくりやってもらえばよい。今は、すぐにも針生氏に預けてある喜佐を江戸に呼ばねばならぬ、と政宗は言葉をついだ。喜佐というのは小太郎の姉である。
  小太郎が死去したいじょう、かわりの人質を呼び寄せぬばならぬ。喜佐がくるまでにも時間がかかる。今までも片倉家にいたのだから、阿梅なら内縁の妻で通る。父、景綱の喪中であったゆえ祝言は挙げられなかった、これで行こう。幕府が認知するにたる人材となると他はむずかしい。中継ぎがうまく立たないと片倉家は危ない。片倉家を絶やしてはならない。あれを絶やすと仙台藩は城をひとつ失うことになりかねない。そこまで、いっきに説明してはじめて政宗は、
「どういうことかわかるか」
  阿梅の理解をうかがった。
  一国に一城。幕府がうるさく取り決める政策から、伊達藩だけが目こぼしをいただいているのは阿梅も知っている。
  それが片倉重綱の白石城である。
  阿梅はこたえず、慇懃に頭を下げつづけた。小太郎の死を知らされたときから、政宗にこうした話をもちかけられるのを予感していた。
「そなたの生む子は」
  阿梅の感情に逆らって、政宗は、
「片倉家の跡継ぎとなる。不服はなかろう」
  決めつけた。阿梅の頭に血がのぼり、
「伊達家に仕える子を」
「そうだ」
「伊達家、ひいては徳川幕府に仕える子を」
  すると政宗は、神経質に眉をつりあげた。
  田鶴どのに似ておられる。
  政宗の仕草を見て、阿梅はふと、そう思った。
「よもや不服とは言うまいの」
  政宗はためらいもなく、不快感をあらわにした。
「不服でございます」
  ついに阿梅は言った。そして、心の中で、
  田鶴どの。片倉も伊達も徳川も、私にとっては敵でございます。
  そう叫んだ。
「このわしに」
  怒鳴りそうになったのだろうか。政宗はそこでいったん唾をのんだ。
「このわしに、どうせよと申す」
  口元に笑みをもちだし、言いかけた言葉をあきらかに取り替えた。阿梅は臆せず、
「天下をおとりあそばせ」
  即答した。すると政宗は、
「阿梅。そなたの父上はそのような考えで戦に出られたのではない。真田家は、そんな軽挙をおこのう家ではなかった。刃を交えたわしには、それがよくわかる」
  と決めつけた。


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