「嵐待つ」
作/こたつむり


〈第五部〉41p

  たつ女の結納のこと、婚儀の日取りなどが、次々と阿梅の耳にも入ってきた。
  ついに取り残されたという絶望の思いから、どうにも逃れられない。
  自分は良いように振り回され利用されただけなのだと、心のどこかでわかっていながら、そう思ってしまうことは、もはや苦痛ですらあった。何か自分の将来に対して力強い手だてを与えてくれそうな人間は、どんどんと自分から遠ざかっていくのだとばかり思えた。
  一方で、自分が自分にとって、これが最善と思ってやることは、すべて失敗するのだと思えてくる。何ごとも、はじめの一歩がおそろしくなった。小さなことでも決められなくなった。
  朝、ここは藤兵衛の屋敷なのでは、と目すら開けるのも恐ろしい。そして片倉屋敷と確認するや、まずは安堵するものの、
「吉次とやらにお会いになるなら、上田どの(真田信之)につてを取りますが」
  などと、重綱に伺いをたてられると、びくびくと声を震わせ、
「叔父の迷惑になりますから」
  以前言われたことを逆手にとって、首をふる。
  なぜ今さら、吉次のことなど持ち出すのか。そう誘いかけ、自分から何をひきだすつもりなのか。あるいはどこぞに連れこんで手にかけ、人目のつかぬところにでも葬るつもりなのでは、と恐ろしかった。
  重綱は人が変わったように、丁寧で親切だった。藤兵衛の屋敷での事には、皆目ふれてこなかった。以前の押し付けがましさも影をひそめていた。しかしそれが返って無気味に思える。答えかたひとつまちがえば、何時すらりと抜刀し、両断されるかわからないと一層おびえた。
  吉次には会いたい。しかしそのために、一度も会ったことのない叔父にも会わねばならないのが息苦しい。きっと叔父とのやりとりから、何か伊達家に類がおよんだなどと言い掛かりをつけらる。それが命を縮めることにつながりかねない。そうこう思いめぐらせるうちに、不思議と吉次にすら会いたくなくなってしまう。
  会おうとおもえば会える人には、誰ひとり会いたくなく、すでに遠ざかってしまった人ばかりが恋しい。重綱が刀の柄に手をかけたあのとき、身を賭して自分を庇ってくれたたつ女の背が恋しくさえなった。少なくても彼女は、自分の知らない伊達家の事情をたくさん教えてくれた。
  そんな折、重綱の母、望春院が病がちであると聞いた。
「あなたが白石に戻り、おそばにいて下されば、病も癒えるかと思うのですが」
  そうもちかけられただけで、怖くなった。白石なんぞに連れていかされた日には、ますます殺されやすくなるように思えた。
  重綱は見舞いを薦めなくなる。すると又、怒らせたと思い、気が気ではなくなる。
  気分は日に日に衰え、食事もろくにとらず、肉がそげ落ちたかと思えるほどに窶れ細って動作のいちいちが弱々しい。これが小太郎にまで伝染し、二人して始終寝込んでしまう。
  いっそ、死病にでもとりつかれたがよいと阿梅は、自れの健康すら呪わしくなる。
「お母上にお便りでも」
  と、荒井にすすめられるや、飛び付くように墨を磨る。そのくせ、書かれる内容は、めそめそと意気地ない泣きごとの羅列になった。
  自分は病を得て、片倉家に身をよせてはいるものの、この先はどうなると決まったわけでもなく、たよりない日常をすごすうちに命のこととておぼつかなくなった。妹の菖蒲の行く末は気になってしかたがないが、このような自分を頼ってきても何もしてあげられない。かわいそうだと思い涙に暮れているが、どうかわかって貰いたい。
  荒井は一読して絶句したが、これよりは随分とましに自らしつらえて、阿梅に伺いをたててきた。阿梅は震える指で、それを清書した。
  大事にされればされるほど、その中に以前には無かった屈託を見付けられた。屋敷の中は始終ぴりぴりとした空気に満たされ、まわりじゅうが息をひそめ、自分が浮き上がるのを待っているように阿梅には思えた。
  重綱にも小太郎にも、何かにこじつけては遠ざけた。すると、荒井だけが阿梅の前に顔をだす。何もかもが素直にすぎ、不自然に仕組まれた配慮に感じられた。
  この荒井から、大悲願寺の僧正、回善の死を知らされた。すでに半月も前に亡くなったという。
「今日は何日ですか」
  阿梅は呆然として聞いた。
「二月二十五日。はや春もまじかにございましょう」
  阿梅はうなずき、荒井がいるのもかまわずにポロポロと涙を流した。
  はじめて重綱に目通りして、
「田鶴さまに一度お会いして、ことの真相をたしかめとうございます」
  そう申し出た。観念するときが来たのだと思った。
  重綱は、
「田鶴どのは松山にもどられたそうです。お元気になられれば、お連れ申しましょうほどに」
  優しげに答えながら、「事の真相」については明言を避けた。
「竜雲さまは、何故あのようなことに」
  阿梅は聞かずにいられない。
「あの僧侶のことなら、お気に病むことはない。あれは、あなたとは何の関係もない者ですからね」
「関係ない?」
  阿梅が、自分もあのようになるのではないか、と口走ると、重綱は目をぱちくりとさせ、不思議そうに、
「あれは北条家の血縁者です。さるおりに政宗公が、権現さま(徳川家康)とはかり、あの寺に隠してこられたとききます」
「北条の? 大坂ものではないのですか」
「ちがいます」
「本当ですか」
「本当です」
「あのあと、皆さまで、私の沙汰を相談なさっていると田鶴さまに伺いました。それはどうなったのでしょうか」
  阿梅はわざわざ蒸し返してそう聞いた。重綱は首をかしげ、
「夢でもご覧になったのではないですか」
  そんなことはなかったと答える。
「嘘です」
  阿梅の脳裏に、ふたたび疑心が激しくうごめきはじめた。重綱は迷い、
「あなたのことは相談しました。きっとそうした声がお耳にとどいたかもしれません。しかし田鶴どのはあの場にはいらっしゃらなかった。やはり意識を失ってたおれられ、すぐさま茂庭家に担ぎこまれたそうですから」
  怖いものを見ずに育った良家の子女だから、人の死体をみて強く興奮したのだろう。重綱はそんなふうに結んで、田鶴のことを片付けた。
  夢だったのかもしれない。
  阿梅もそれには折れた。すると重綱は、
「いちど、伊達屋敷にご奉公に上がられては」
  意外なことを持ちかけてきた。伊達政宗の長女、五郎八姫が江戸で住み暮らしているらしい。
「ゆくゆくは仙台へお引き取りあそばすそうですが、このところ女人が江戸を離れるに、幕府の詮議が長引くむきもあり、遠慮なさって当分は江戸にいらっしゃるご予定とか。お話し相手になる方をお求めのよし」
「そのような方に」
  大坂方の遺児である自分がつかえては、何かと迷惑がかかろう。言ってしまってから厭味だったと気付いたが、重綱は怒らない。
「五郎八姫さまが、上様(二代将軍、徳川秀忠)のご命令で、松平忠輝さまと離縁され伊達家に連れもどされた仕儀は、あなたもご存じでしょう。夫婦仲はお宜しかったと聞きます。それを切り離され、ご実家にて肩身の狭い思いに耐えておられるのです」
  阿梅が何とか断ろうと頭を働かせていると、重綱は、
「これは、もっとご回復なさってから、と申しつけられているのですが」
  と始めた。
「姫様のお相手というのは、伊達家に奉公するための名目です。そうしたご身分……つまり侍女という立場は一生涯お変わりになられぬやもしれませぬ。それがおいやとあらば、この片倉の家でお暮らしになられるという方法もございます。それがしの妻という名目になりますが」
  伊達家の侍女と片倉家の室。
  ずいぶん種類の違う二つの選択であった。なんのことを言われているのか、ここまでのところ阿梅にはさっぱりわからなかったが、
「さすれば、この屋敷か白石城のどちらかに、政宗公が時折お通いあそばすことになりましょう」
  この一言で決定的にわかった。重綱はつづけて、
「側室という立場をご遠慮いただかねばならぬ伊達家の立場を、どうぞおくみ取りいただけますよう。これは、この片倉伊豆守からのお願いでございます。どうか、政宗公をお恨みあそばさぬよう」
  今度こそ片倉様の番なのです。
  たつ女の勝ち誇った声が、聞こえてくるようだった。
「それは主命なのですか」
「そうです」
  答える重綱の顔を、阿梅はむさぼるように見詰めた。
  淡々。苦悩。冷静。屈辱。どうとでも受けとれる具合に彼の顔はできていた。


40p

戻る

42p

進む