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「嵐待つ」
作/こたつむり
〈第五部〉38p
「貴様らの不始末で命を奪われた」
夢の中で、竜雲は恨めしげにそう言葉を吐いたが、阿梅はさほどに心を病まなかった。おそらくたつ女とて同様だろう。
おそろしいのは、彼への疚しさより姿そのものであった。
うなされて目覚めるたびに、それは変形してゆく。鱗をおびた怪物であったり、首のない僧形をしていたり、蛆のわく腐乱裸体であったり、血だらけの鎧武者であったり、実にさまざまであるにもかかわらず、なぜか阿梅には、それが竜雲であると認識されている。
夢のそとでは、口論の声が聞こえてくるのだが、時折、
「起きておるのか」
などと急に静まり、顔のすぐ真上を人の気配が覆うと、阿梅も妙に安心して眠りにおちてしまうのだった。
妹たちと結託していたずらをし、蔵にとじこめられたことがある。
夏であった。
熱射病にかかり、水を浴びせかけられ、うなされながら引きずり出された暗い納屋を思い出す。
あるいは家の近所の浅瀬でおぼれ、救出されたときにも似たような意識の混濁があった。
たつ女に連れ去られたときも、原田に助けられて、やはり夢うつつをさまよった。
助かった。
安堵とともに、心身にうけた損傷をまだ見届けていない不安がしばしば現実に我をつれもどそうとする。
ふと目をあけると、たつ女が端座して自分をじっと見守っている。
「ご無事でしたか」
夢かと疑いながらも、阿梅は声をかけてみた。気丈な彼女が失神するさまが、今も目にやきついている。
たつ女は答えない。が、やはり目を凝らして阿梅の寝姿を見守っている。
気がふれているのか。
阿梅はそう思った。まばたき一つしない目が尋常のものには思えない。
しかし、しばらくすると、たつ女はゆっくりと瞼をとじ、
「殿方がいま、話をされておられます」
ささやくようにそう言って、一差し指を口におしあてた。
「私たちのことで」
「そうです」
あたりを見回すと、その部屋にはたつ女と自分しかおらず、確かにふすまで隔てた隣の部屋から、三人ほどの男性のものと思われる声が、ひそひそと聞こえてきた。たつ女は、圧し殺した声のまま、
「阿梅さまの沙汰をどのようにするかを決めているところでございます」
「どうなるのでしょう」
すると、たつ女は笑いをこらえるように口元を歪めた。
「なんですか」
阿梅が問うと、
「いいえ」
たつ女は首をふり、しかしやはり忍び笑いを止めなかった。
「言ってください。何がおかしいのですか」
「おかしいのではありません。感心しているのですよ」
「何がです?」
「愚かにも、私、今になって気付きました」
「気付いた?」
「阿梅さまは、真田様のご息女でいらっしゃいました」
「そうですが?」
たつ女は、しばらく皮肉っぽく黙っていたが、やがて、
「さすがは天下の知将、真田様ですこと。娘を敵中におくりこみ主従の仲を混乱させようというご裁断でしたのね」
と、にくたらしいことを言った。
「どういう意味ですか」
たつ女は何かをうかがうように腰をかがめていたが、ややあって、ひざを進め、阿梅の耳元に唇を近付けて、
「お聞きなさいませ」
ささやいた。
隣の部屋からは、ときおり激高した声が届く。阿梅たちを憚るように、その都度、声をひそめ、あらためて別の声が空気をかえ、低い声でなにごとか話しはじめる。
あきらかに口論になっている。
「そも、大殿のなされようこそ……」
「何を言う。このわしがいつ……」
「とにかく真田の娘が相手では……」
「それこそ、小十郎(重綱)が我がものにせんと、このわしをたばかりおって……」
「言い掛かりにございまする」
「そのほうこそ言い掛かりじゃ」
「それがしがいつ……」
たいていのやりとりは、伊達政宗と片倉重綱との間でかわされているようである。時々、両者をなだめるように入る声の主だけが誰なのかわからない。老人にも中年の声にも聞き取れる。あるいは、政宗と重綱いがいに、二人以上の人間が隣には居るのかもしれなかった。
自分をめぐる議論であることは歴然としていた。
興奮が静まるたびにおびただしい溜息が流れ、なかなかに決着しない様子が伝わってきた。
「とにかく、それがしは反対にございます」
と始めるのは、いつも重綱である。
「一度は賛成したではないか」
政宗の反論も、判を押したようにこう続く。
「しかしこうした事態を招いた以上、一度、白石に連れ戻すのがよろしゅうござる」
どうやら、これが重綱の阿梅に対する主張のようである。
「治外法権というわけか」
「それがしが、いつ……」
と、同じ会話のくりかえしになる。誰かが止めに入る。
今は身内が争っている場合ではない……などという。これも先程から、全く変わりばえのしない論法のようである。
目をあけると、眠っていたことに気付いた。くりかえされる談話に神経を尖らせているつもりでも、ささやきと沈黙がかもしだす波間が睡魔をさそう。
ふと天井から目をおろしていって、阿梅はおどろいた。
たつ女がいない。
夢を見ていたのか、それとも僅かな仮眠のあいまに、どこかに姿を消してしまったのか。
主従の仲を混乱させるために送りこまれてきた。
たつ女はそういった。
だとしたら、片倉小十郎を用いて奥州に嵐をまきおこそうとした豊臣秀吉より、さらに陰険にちがいない。
真田幸村の娘という餌を、伊達主従がどのように処していくのかを見届けねばならない。それが父の自分に課した命題だったというのだろうか。
阿梅はたつ女の居なくなった辺りを、恨めしげに見詰めつづけて、そう思った。