「嵐待つ」
作/こたつむり


〈第四部〉36p

「もはや、政宗公のご遊興という程度ではすまされなくなっているのです。こたびこそ、お忍びという恰好ではありますが、おそらくこの先は予測していたより早く、阿梅どのお室入りのはこびとなりましょう。今宵のありようによっては、このまま政宗公自ら阿梅どのをお連れになるやもしれませぬ。そうなってからでは遅すぎましょう」
  田鶴が話すあいだじゅう、竜雲はいらいらと手で膝をゆすり、
「失敗は許されぬ」
「だからこそ……」
「話がうますぎる」
「……とは?」
「罠だ」
「ワナ?」
「片倉が承諾するわけがない。そなたはそう申していた。しかし承諾した。側室になるにも時間がかかると言った。しかし今宵よりすぐにも、になる」
「それは……」
  今から説明しているゆとりはない。
  田鶴は焦躁しかかる自分をこらえた。説明したとて、目の前のこの男にわからせることなどできない、と思った。
  竜雲ばかりではない。
  重綱の重綱たる所以。政宗の政宗たる所以。それらが余人の納得するものであったためしがあっただろうか。だからこそ自分が動いたのだ。
「このたびの事について、片倉様は、心より承諾なさったわけではございません。これからも何かにつけて、阿梅どのを政宗公より遠ざけようと画策されましょう」
「ならば何故こういう運びになる。妙なことだ。片倉が反対する。それゆえに政宗にも手を出しかねる。確かそう申したはずだ」
「以前と今とでは、お二方の状況がちがいまする。阿梅どののことばかりではなく、現在、政宗公と片倉様とは相入れぬことが多ございます。先年、キリシタンの国へ渡航いたした支倉常長どのの件でも、その帰国後の沙汰について、始終対立なさってばかりおられると聞き及びます。それゆえに、政宗公は片倉様を、やや遠ざけておられるご様子です。できる部分は妥協せねば、片倉様とて伊達家の中で立ち行かなくなりつつあるのです」
  竜雲は説得をさえぎるように、
「何故、こうも早くすすむのだ。相手は敵将の娘ではないか」
「真田の姫だからです。真田幸村の娘とは、そういうものなのです。伊達家にとって、真田の血を残すことこそ……」
  田鶴は熱にうかされたように、真田だから、伊達だからと言うしかなかった。ところが、
「真田は信用できぬ。あれは裏切りの家系だ。それを思うと、あの女は信用ならぬ」
  竜雲は首をふり、唾をはいた。
  なんのことかわからなかった。竜雲が伊達小次郎であったなら、あるいは海誉の言ったとおり北条家の者であったなら……。思いをめぐらせかけて、田鶴も首をふり、
「阿梅どのはともかくも、今回のことは政宗公さえ確かであれば」
「政宗に会ったのか」
  田鶴はやはり首をふり、
「お会いせぬでも」
  言いながら、自分の誘いにのってこぬ政宗ではない。そう思っている自分に愕然となった。
「政宗はやって来ぬ。これは罠だ」
  竜雲はひざをにじり寄せた。
「まちがいございませぬ。とにかく今宵しか、もう……」
「思い込みだ」
  思い込みにすぎぬと言い、竜雲は立ち上がった。
「ちがいます」
  田鶴の頭に血がのぼった。
「女の思い込みにのせられて、本懐は遂げられぬ」
  と、竜雲は部屋を出ていこうとした。
「本懐。そのようなもの、いつまで待っても遂げられませぬ」
  寺の奥内で、こそこそと命を囲ってきた者には、いざというときの腹が定まらぬのだと田鶴は思い、
「やはり、あなたなど信用するに足りませぬ。はじめからわかっていたことです。武家を捨てた者になど、この私を操ることは成りません」
「信用ならぬのは、お前の方だ。何をする気でおる。お前のほうこそ、この俺をどう使うつもりだ」
「見事、政宗をこの手で……」
「うそだ。お前はまだ解けておらぬ」
「果してみせます」
「お前はやはり、伊達政宗の娘だ。いざとなると人を裏切る」
  段々と自分に不審の目をむけてくるこの僧侶に、田鶴は幼い弟の顔を見ていた。弟そのものと言ってよかった。もはや自分には、つなぎとめられぬ人間の顔だった。
  刻一刻と、政宗の足音が近付いてくるような錯覚が田鶴を襲っている。
「今は、私が伊達政宗の子であろうとなかろうと、あなたにとってはどうでもよろしゅうございましょう」
  気付くと田鶴は、竜雲めがけて竜雲の放った同じ言葉を奮っていた。
  竜雲は、なにかにとりつかれたように田鶴への関心をそれ、そのままふらりと部屋を出ていった。

  とじこめられたまま、許されている唯一の行為に阿梅は耽っていた。
  文を書くことである。
  先日、たつ女にうながされるまま、伊達政宗にあてて書いた。たつ女は一読してところどころ直すよう指示してきた。書き直したものはたつ女がもっていってしまい、今は、母にあてたものを書いている。
  書いてはいるが、その内容は読み返すたびに、何ひとつとして母を安心させられる材料がないと認めざるをえなかった。
  自分は片倉重綱には嫁がない。伊達政宗の側室にあがることになった。
  これが果して父の遺志に沿う結果なのかどうか。妹の行く先にとって、自分のこうしたふるまいは不利に働きはしないだろうか。
  顔のみえない母の、想像しうるかぎりのさまざまな表情を思いうかべると、気持ちは千々に乱れた。ひどくよそよそしい文体を書いては、衝動にかられて破りすて、いきなり幼稚な訴えに終始したものを紙につらね始める。
  いっそ、政宗の側室という立場に早くおちついてしまいたかった。
  それが決定的になってしまえば、これまでのいいかげんにすごしてきた日々も恰好がつくように思えた。母も納得し、妹の沙汰もそれなりの配慮がなされ、吉次にも叔父の真田信之にも、屈託なくあえると思った。 ところが先程、たつ女の使いのものがあらわれて、
「今宵、大殿がお越しのよし」
  と告げてきた。この使いは茂庭家から来た。たつ女は、このところ茂庭の江戸屋敷によく戻ると聞く。真田家の娘をつれ去った一件が、このように落着したわけだから、たつ女の行動に否やをさしはさむ者はいなくなったのだろう。
  政宗は明け方近くに、ごくごくお忍びで現れるという。その前に夜食でもとり、一眠りしておいたほうがよい。たつ女からは、阿梅の身体を思いやってかそのような指図がつけ加えられてきた。
「今夜」
  そう思うと、今度は泣きだしそうになった。急いで床をしいて横になってみたが、とろりとも眠くならない。
  ただでさえ静まりかえった辺り一帯が、普段にもまして物音のない夜更けである。その中を、ごとりと、腹にまで届くような重い音が、阿梅をとびあがらせんばかりに響いた。
  阿梅はとっさに、部屋の隅へ目をやった。
  机の上には、母にあてた文が、そのままの態で放りだされてある。政宗がこれを見つけ、文を書いていたのかと聞いてくれるのを阿梅は期待している。
「はい。母にあてたものにございます」
  と答える。そして、なぜそんなことをしなきゃいけないのかを聞いてもらう。政宗が自分に対して、男として振る舞いはじめるよりまえに、なんとしてもこちらの事情をうちあけねばならない。
  阿梅は、白石城で最後にあった政宗をおぼえている。
  彼は父の幸村と同い年でもある。きっと、きっと、きっと、かわいそうな自分を助けてくれる。そうに決まっている。それしかもう自分にはない。
  場合によっては、
「それほどの苦労をかけて悪かった」
  といって側室にするのを諦め、片倉重綱を呼んで叱りつけ、おとなしく尼にしてくれるかもしれない。
  この期におよんで、阿梅はまだそんな期待をしていた。権力の、より大きい座にすりよれば擦り寄るほど、守ってもらえるのだという甘さを捨てきれない。さらに救いがたいことに、それが甘えであると心のどこかで気付き、誰かに責めたてられているような罪悪感に刻一刻と蝕まれていくのだった。
「それは、それとして」
  などと政宗の手が、おのが両肩をおし倒しきったとき、その時はいったいどうすればいいのだろう。
  ちがう、ちがう、ちがう。そんなことには絶対ならない。
  入ってくる者のひそやかな足音を体じゅうに感じながら、阿梅は夜具の中で激しくかぶりを振った。
  神様、仏様、助けてください。
  父上、兄上、おじいさま。父上、兄上、おじいさま。父上、兄上、おじいさま……。
「起きろ」
  決めつけるようにそう言うや、その者は阿梅のかぶっている夜具を、いっきに剥がした。
「あ!」
  顎がはずれると思うほど、阿梅は口をひらいてしまった。
  竜雲である。
「なぜ」
「よいか。よく聞け」
「あの……」
「よいから聞け。時間がない」
「いま、母に文を……」
  錯乱して、政宗に用意していた言葉をぶつける阿梅を、竜雲は引きずるようにして隣につれていき、阿梅のいたへやとの間のふすまを閉めた。
「田鶴さまはまだですか」
「あれは信用ならぬ」
「中止ですか。今日は」
「よいか」
  竜雲のそういう声とともに、阿梅の両手に、ずしりと堅く冷たいものが下ろされた。
「そなたがやるのだ」
「え?」
  見ると、懐剣ではないか。あっと叫んで手放そうとすると、再びしっかりと両手の上から握らされた。
「親の仇を討たせてやる」
  そういうと竜雲は、口元だけで笑った。
「伊達政宗を刺せ」


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