「嵐待つ」
作/こたつむり


〈第四部〉35p

  三日後。たつ女が忽然と片倉屋敷に姿をあらわした。
  阿梅は正直に、救われたと思った。重綱は不在だった。
「あの方がもどられないうちに」
  阿梅はたつ女の背をおしながら連れだしてほしいとせがんだが、
「ご決意がまことのものであるならば」
  たつ女はおちついて阿梅をなだめ、
「この際、きちんとご挨拶なさいませ」
  自分が立ち会うという条件でそう説得してきた。
  もっともな分別であった。阿梅自身の不平不満はどうであれ、大坂落城の前夜から、片倉家には身にあまる世話をうけてきたのである。
  たつ女の態度は重綱に面しても、いぜんよりずいぶんと肩の力をおとして、
「ご家中には阿梅さまのお部屋入りに反対の勢力が多くございますので、うしろだてになってくださる方は、今のところ瀬上様くらいしか見当たりませぬ」
  すなおに手の内を明かした。
「いきなりご側室にあがれば阿梅さまにはずいぶんとご苦労が予想されますし、政宗公もご家来衆も、自分一人が無理をおして閨閥に悶着の種をまいたと言われることを敬遠されましょう。あまりにあからさまに養い親をお立てするのもどうかと存じます。瀬上さまがご贔屓あそばすその商家に政宗公をお迎えいたし、少々の時をかせいで当座をしのぎたいと思っております。ご懐妊の兆しでもあらば、今度はだれもが、阿梅さまを認めないとは言いだしかねましょうし、そうならなくても、要は何度か政宗公がお通いあそばしたという事実を得ることだと思いますよ」
  なるほど、それが伊達風かと、阿梅も得心した。なかなかに古風ではないか。
「なにしろ阿梅さまは幸村公のご息女でいらっしゃいます。あとは日陰で一生をおすましにならぬよう、私共が日々にご配慮申しあげていけばよろしゅうございましょう」
  重綱は、阿梅を絶対にわたさないという態度を今回はとらず、
「この人の身内から真田家を再興するなどということが、本当にできると思っておられるのでしょうか。そんなたくらみを幕府の方々がゆるされましょうか」
  さとすようにつなげた。たつ女も気負わず、
「この江戸では、真田の武勇伝を語り草にする向きがございます」
  淡々とはじめた。
「それを、今さらに目くじらをたてて止めるのは大人げないという風潮でもございます。亡くなられた大御所様(徳川家康)も、幸村公の武勇を好まれたとうかがっております。太平の世がおとずれ、侍が武勇の心を忘れ、日々を軟弱の気風にまかせていくようでは国の礎は築けぬ、というお心からなのではないでしょうか。現に先日、幸村公が薩摩でかくまわれておられると言い触らした者が、徳川家の重臣に呼ばれ、物語させられて褒美までとらされたと伺いました」
「そのようにして、各藩大名の心をおしはかっておるやもしれませぬ」
「まあ、ばかばかしい。一体、なんのために」
  たつ女は笑いながら、
「天下はすでに定まったではありませぬか」
「定まったからこそ、各藩を取り潰すまさに好機なのです。薩摩の島津に圧追をかけるためなら、幕府自らいくらでも話をこさえましょう」
  いかにも重綱らしい底意地の悪さで、重綱らしいつくり話をすると阿梅が思っていると、たつ女もあきれたように溜息をもらし、
「そうでしょうか。大坂がたにて浪人になったものが、どこぞにあつまって再び騒動をおこさぬものでもないという物騒な世の中です。阿梅さまが伊達家の子をなし、真田の名をお継ぎになれば、そうした者たちの先にも光明がさしましょう。きりきりとつまらぬ策をねって臥薪嘗胆にあけくれるより、他家と縁をむすんで家名をたてるほうが得ではありませぬか。阿梅さまがその模範をお示しになれば、幕府にとっても損はないはず。むしろ、寛容さを演じなければ、世間に抑えがきかぬが幕府の立場。
  伊達家は大坂の英雄の血をとりたてた程度で取り潰されるような小者ではありません。いつも何かを後ろめたく思っていればこそ、どこかで足をすくわれるのではないかと思ってしまうのです。迷いを断てば……」
「これ以上、事が荒立つようなら、それがし」
  重綱は、もう聞きたくないという態度で一方的に中断させ、
「この場にて、阿梅をあやめることもできまする」
  刀の柄に手をかけた。
  息をのむ阿梅の顔前を、黒髪の匂いがふさがった。
「殺してごらんあそばせ」
  田鶴が阿梅の前におのが背をよせて、両手をひろげているのだ。
  このあいだと逆であった。
「わかりました」
  重綱は片立ちさせていた右足を静かにおさめ、立ち上がって荒井をよびつけた。客人のもてなしを取り消すと、座にはもどらず歩をすすめて戸をあけた。
  玄関に近いほうの戸である。お出口はこちら、というわけだ。
  これで万事、話しはついたのである。この半年あまりの脱走劇はなんのためだったのだろうと思うほど、あっけない幕切れであった。
  阿梅はともかく、主君、政宗が望むなら。
  片倉重綱からは、日々にもてあましつつある主人に対するあきらめが漂っているようでもあった。
  阿梅はたつ女に案内されて、刀剣の目利きを営む品川の商家を頼った。
  商家のあるじを藤兵衛といい、刀剣の売り買いのほかに金貸し、足袋や紐、襷などの小物売り、使い古した具足のひきとりなども手掛けていた。
  たいそうな稼ぎがあるらしく、敷地は広い。阿梅の住まう新築の別棟には、広間のほかに小さく仕切られた部屋がいくつかもうけられている。本業より、このような部屋貸しによって財を得ているようでもある。広間には日中から芸人がよびこまれ宴会が開かれたり、小料理屋が始終出入りする。
  藤兵衛の姪がどこぞの武士の思いものであるらしく、昼間からたいそう豪華な小袖をまとい、しかしずいぶんと老けこんだおさまりの悪い化粧をして阿梅の前にあいさつに出た。
  全体として世慣れをせぬようで、この女に世話をされると思っただけで阿梅は憂鬱になった。相手も武家の娘の世話ときいたせいか、始終おどおどと口ごもり、阿梅が聞き返そうものなら目を見張ってだまりこんでしまうのである。
  この女のせいもあろうが、阿梅にはこの場がひどく居心地わるく、あずけられて数日のうちに、やはりたつ女にだまされて軟禁されてしまったのではないだろうかという気にもなった。
  建物すべてが湿っけて、重く厚塗りされた壁に空気ごと密封された部屋で、政宗の来訪をひたすら待つ。
  なんだか世界中に騙されているような、地に足のついた感じのまるでしない毎日だった。日の差さぬ部屋にいて皮膚は衰え食欲もなく、便秘がちになり気鬱が増して、藤兵衛の姪にあってもどもったり声がかすれたりする。
  二月になれば、伊達政宗は家来たちをひきつれて仙台へ帰国する、と荒井には聞いていたのだが、今はもう、その二月なのである。

  いよいよ今夜だと、竜雲は何度もつぶやいた。
「今夜です」
  田鶴はその都度そうこたえた。
  今夜か……。
  竜雲はいっときもじっとしてはおらず、しかし田鶴のおちついた様子を見るにつけ、
「申しておくことがある」
  などと急にすわった目をして対座した。
  そのくせ、なかなかに口を開こうとはせず、再び立ちあがって外出してしまうのである。
  夕刻に宿にもどると、とつぜんに話をはじめた。
  酔っている。
  田鶴は眉をしかめた。口臭がきつく、せまい部屋の中で顔をあわせているのが耐えられなかった。竜雲の口をついて出たのは、
「今宵は中止する」
  ということである。田鶴は驚愕し、
「そのような事、もう出来ませぬ」
  厳しく首をふった。


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