「嵐待つ」
作/こたつむり


〈第四部〉33p

  となりの床で寝入っているあぐりの顔を見ては、阿梅は、どうすればこんなに美しくなれるのだろうとよく溜息をついた。月明かりの下、とじた瞼の膨らみがつやつやしくも柔らかい。ふと目をあけて、
「このごろ、まわりじゅうの者にジロジロ見られて落ち着かない」
  などと言う。
  あぐりならば、たつ女にだって引けをとらない。
  阿梅はそう思う。美しさの質こそ違え、人目をひく点においてはあぐりの方がはるかに上だという自信はあった。
  あにはからんや、ここにいるのはあぐりではない。

  荒井の呼びかける声に覚まされて、阿梅は、やはり寝入ってしまったかとおもった。
  阿梅が応える間もなく、衾が開かれ、
「久しく」
  と、入ってきたのは重綱である。
  荒井は露骨に咳ばらいをし、襖をとじると、畳に擦り足の音をたてて遠ざかっていった。
  わざとらしい。
  そう思いつつも、仕方なく、
「本当にお久しゅうございます。お会いしたかったのですが……」
  挨拶を述べると、
  わざとらしい。
  重綱からも、そんな表情がかえってくる。逃げだしたのはお前の方ではないか。そう言わんばかりである。
「あなたは一体、どうしたいというのですか」
  問いかけるや、彼はいかにも大儀そうに座をとった。
「出家したいと思っております」
  口をついて、頭に結ばれていた目標がとび出てしまった。
  重綱は、みるみる不機嫌に顔を硬直させる。
  たつ女にたいしても思ったことだが、出家の何がいけないのか、高野山育ちの阿梅にはわからない。大坂の陣が起こらなければ、父や兄に再起の見込みもなかった。武家も出家も、阿梅たちにとっては、とうぜんありうる同等の将来だった。
「ところが実家の母から手紙が参りまして……」
「それは荒井から聞いた」
「あ、そうですか。とにかく吉次というものを探しております」
  しまった。言うんじゃなかった。そう思ったとき、
「お母上に言づてがあるなら、荒井に言いなさい。妹ごのことは当家でお預かりするのが筋と心得ています。あなたを頼ってこられるのだから、むろん出家などはお考えなおしいただきますが。第一……」
  我をおさえるように息をつなぎ、
「第一、白石をお出になられてずいぶんと日がたちますから、早々にお戻りいただかないと、あなたご自身が妹ごへの配慮をなさりにくいのでは」
「白石にはもどりません」
「こちらにいても構いませんよ」
「いいえ、ここも明日には引き払いますから」
「あなたには……」
  阿梅の言うことなど無視してやろうとでもいうように、重綱は首をめぐらせて天井をながめた。
「小太郎のお世話をしていただくのが良いかもしれない。荒井ともよく話し合っておきますから、お好きになさい」
  まるで下働きの小女にでも言うような口ぶりである。
「それでは」
  そっちがその気なら、こっちにも。
  阿梅は急にふてぶてしい顔付きになり、
「おついでに、おじさまの奥方様のお世話でもさせていただきとうございます」
「なんだと?」
  睨みつけてから、
「私には妻はいない。亡くなったのでね」
「おもらいあそばせばよろしいではありませぬか」
「そのつもりです」
  言うや、いきなり阿梅の腕をひきよせた。
「あなたにも言ってあるでしょう。いいかげんに、馬鹿なまねはやめなさい」
「馬鹿?」
「私は真田の血をこの家に残したいと思っている。男子なれば許されずとも、女ごのそなたには佐衛門佐(真田幸村)どのの血を伝えることができる。佐衛門佐どのとてそれがゆえにそなたをわが家におつかわし下さったのじゃ」
「うそです。たとえ私に子を生ませても、それは世間に度量の深さをみせるためのこと。その子に片倉の名跡をおつがせにさえなりますまい。先の見通しのない子を生むなど、私はいやでございます。どうか、他に奥方をおおきになって下さいまし」
  幸村の遺志。なぜ、皆これをもち出すのか。
  そう思いつつも阿梅の脳裏には、つい先刻やきつけられたたつ女の理論をもちだす以外、重綱に対抗しうる手段が見付からない。
「荒井に聞いたところでは」
  重綱は首をふって阿梅を放し、
「茂庭家との縁談を口にされたそうだが、そんな話はないし、そんな気もない。あなたにとっては不愉快なこともあったろうが、その点については謝ります。私は特にあなたに隠そうと思っていたわけではない。もう済んでしまったことなので言わなかっただけです。それを……」
「済んだこと?」
「そうです。どうでもよいことだから……」
「どうでもよいこと? そうでしょうか」
「そうです」
「ちがいます」
「何がちがう」
  重綱は、いかにも意外だというように阿梅を見詰めた。
  だまされまい。
  阿梅。もうだまされてはいけない。
  阿梅はひと呼吸おき、
「田鶴さまとともに寺におりました」
「そのようですね」
  やはり重綱はいかにも平気そうにこたえた。
「私、それでわかりました。わかったのです」
「何が」
「おじさまが普段、私におっしゃっていらした事柄が」
「何を言いました」
「何かれとなく、おじさまの私に指図なさっていたことのすべては、なんだか、田鶴さまのようになれとおっしゃっておられるようでございました」
  阿梅はいじわるく言った。
  重綱は黙った。
「本当は田鶴さまを奥方に迎えたかったのではありませんか。おじさまの私に要求なさることのすべてが、田鶴さまを理想となさっているようなところがございます」
「そんなことはない。あの人との縁談は断った。けれどもあなたとなら夫婦になってもよいと思ったのだ」
「いいえ、ちがいます。信じません」
「なぜそんな事をいう? あの人との縁談を私が断ったというのは事実ではないか」
「それは、かのお人が政宗公のお血筋だからでしょう」
  ついに言ってしまってから、阿梅を波のかぶさるような激しい後悔がおとずれた。口に出すその瞬間まで、阿梅にとってそれは推測にすぎなかった。そして心のどこかで推測を打ち消すものを重綱に求めていたと気付いた。
  重綱は色を失い、口をひらいたまま沈黙し、阿梅から巨きい身体をひいてしまった。
  もはや取り返せないような空気が二人のあいだにはあった。

  翌日は陰鬱きわまる朝の膳にはじまった。
  重綱も阿梅も一言も口をきかない。
膳をさげに入ってきた荒井は、小太郎の回復を告げ、
「よろしゅうございましたな。阿梅さまのお顔をご覧になって元気をとりもどされたのでしょう」
  などと言った。
  阿梅は吹き出しそうになった。主人の重綱をさしおいて自分をもちあげるとは、荒井も必死なのだなと思った。
  世辞の効果がはかばかしくないのを見て、荒井は、
「阿梅さまに吉報がございます」
  再度、挑戦した。
  阿梅は声もださずに荒井を見るだけにし、内容をうながした。片倉家では許されぬやり方だったが、荒井は、
「どうぞ、こちらに」
  そういって後部に尻をずらし、阿梅をつれだそうとした。
「ここで言え」
  重綱はゆるさない。


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