「嵐待つ」
作/こたつむり


〈第四部〉32p

  片倉屋敷では、小太郎が熱を出して寝込んでいた。
  あまり丈夫な生れつきではないらしく、医者が泊まり込みでついている。これは伊達家からつかわされた、政宗とその家族のおかかえ医師というから、子供のくせにいいご身分としかいいようがない。それでも、阿梅は、
「こんな時でも伊豆守様(重綱)はいらっしゃらないのですね」
  小太郎を気の毒に思い、荒井にそう言った。
  阿梅としては、この屋敷で荒井に会うのは初めてだったが、通常は彼がめったに江戸屋敷を空けることはないそうである。
  阿梅が仏頂面をかまえていると、荒井はふと、笑みをもらした。
「なんです?」
「いいえ」
「なんです?」
  荒井は目くばせで阿梅を誘い、小太郎の寝ている部屋からつれだして奥座敷にはいった。
「あのように病弱では、先が思いやられること」
  阿梅が小さくつぶやくと、
「そのことでございます」
  荒井は相槌をうち、
「お寺で阿梅さまにお会いしてから、こちらに戻ってまいりました。その後、小太郎様から阿梅さまの話をお聞きして、少々おどろきました」
「なにがですか」
「子供好きでいらっしゃる」
  阿梅は思いっきり、
「子供は大嫌いです」
「そうでしょうか。殿は小太郎さまに、阿梅さまをお連れするように催促されてお困りのご様子でした。殿は当初、阿梅さまに御子さまがたのご養育をおまかせするお気持ちではなかったようでございます。阿梅さまにはお年も若くいらせられ、また、前の奥方との間にお生まれになった方々を、そうそう快くお引き受けにはなられないだろうと見越しておいででしたから」
「継子いじめをする女だと思われていたということですか」
「そうではございません。むしろ、阿梅さまのお心を思いやられてのご配慮と思っております」
「私の? なんのことです」
  荒井は目をふせ、
「成さぬ仲と世間では申します」
「成さぬ? ……ああ」
  やっと思いが至った。言ってる内容はわかったが、やはり阿梅には要領を得ない。
  重綱の前妻、針生氏の女のことを言っているのだろう。
  どのように重綱に愛されたかはしらないが、もうとっくに死んだ女ではないか。そんな相手にどのように妬心を抱けというのだろう。なんとも不思議な配慮である。
「あのとおり、小太郎様は繊弱なご体質でいらっしゃいます。多少のわがままもおっしゃいます。姉君の喜佐さまは健やかにお育ちなので、阿梅さまにおひきあわせしても心配はないやもしれぬ。殿はそれがしに、そのように仰せでございました」
「そう」
  やはり阿梅にはわからない。
  死んだ前の女房やその残した子供たちより、当の重綱本人とうまくいかないということをどうしてこの連中は思いつかないのだろうか。
「阿梅さまが大悲願寺へいかれたことは、それほどおかしいお振る舞いではございませぬ。行儀作法の見習いのためとも、亡き父上への法要のためとも、いくらでも言い訳が立つことと存じます。あのお寺には伊達家として十分に寄進もしております。殿も決してご不快にはおぼしめしていらっしゃらぬご様子です。なにもご心配にはおよびませぬ」
  言われなくても、そんな心配はしていない。
「今宵、お戻りあそばしますが」
「伊豆守さまが?」
「はい」
  厄介なことになった。そう思ううち、荒井に案内をうけ、阿梅はさらに奥にある座敷にとおされた。
  去年、すごした部屋である。
  一日じゅう歩いたので、だいぶん疲れている。重綱を待たずに寝てしまうわけにもいくまいから、夜具を敷かず横になるだけにした。
  成さぬ仲。継母。継子。
  自分は本当の子供ではないから愛されていない。そういった主張で母を怒らせたことがある。
  このとき、そばで見ていた父、幸村は、そのようにきかない阿梅を叱らなかった。むしろ阿梅の肩をもち、実際に本当の子供ではないから、そういうこともありうる、と遠回しに母を責めた。
  とうぜん母は激高した。今までの自分の苦労はなんのためにあったのかと泣きわめき、悲観論を次々と飛躍させた。
  そのすぐあとに、ともに抱き合い泣きくずれる母と阿梅の姿が台所にはあった。たがいにゆるしあい、おのが寛大さに気持ちをよくして存分に泣きあった。
  ところが、その翌日になると、またすぐに母の逆襲がはじまった。
  阿梅を、おまえの母親は日本一の醜女だったのだと言ってさいなんだ。生みの母が醜女だから、おまえもどうせ醜女になるだろう。
  元々この騒ぎは、阿梅が着物を新調したいとごねたのが原因だった。流刑のこの一族はすこぶる貧乏だったから、これが我がままである点は阿梅自身もよく判ってはいたが、母はそれをたしなめるより、いくら着物で飾りたてても血でひきついだ醜さは隠せない。そんなことを言って意地悪をした。
「母上は、私の母を見たことがあるのですか」
「あります。おまえによく似て、たいそう貧相な顔立ちの女でした」
「父上、それは本当ですか」
  これにはさすがの幸村も困りはてた。しばらく考えてから、
「阿梅の母より、お小夜(大谷刑部の女)の方が美しい」
  とまず言い、目の前の正妻をもちあげ、
「しかしお小夜より、阿梅の方がもっと美しい」
  と阿梅をもちあげてくれ、
「阿梅は生みの母親にではなく、このわしに似たのだ」
  と、さいごに自分の容姿をもちあげて結論づけた。
「あぐりも菖蒲もおかねも、みなわしに似た」
  そうつけたすと、大助と四人の娘をつれて戸外に散歩にでた。新緑に満たされた野道のあでやかに咲きそろう花々に気持ちをよくして、大助は母に似た、と一言いった。男の子だから顔のことはどうでもいいと思ったのだろう。ついで、
「男は母に似、女は父に似ると幸せになる」
  わけのわからないことを言ったが、五人の子供たちはみな、なるほどと納得して仲良くあそんだ。
  おさまらないのは母であった。
  夕餉がおわると、さっそく、
「おまえさまは、いつでも阿梅の肩をもつ」
  と不平をもらした。
「それはちがう」
  この時のこう反論した父の顔を、阿梅は今でもよくおぼえている。
「阿梅が妹たちと喧嘩をすると、自分はいつでも妹たちを庇い、阿梅をせめている。これはどんな事情があったにせよ、年端のいかない幼いものは年長者には叶わないからだ。
  また、あぐりや菖蒲がお前に逆らったときには、いつでもお前を立ててやっている。これは、やはりどんな事情であれ、子供は母親のいうことをきかねばならないからだ。
  しかし、おまえと阿梅がやりあってしまった場合、阿梅だけを責めたら、阿梅は、やはり母が生んだ子ではないからこんなにいじめられるのだと思うばかりだろう。一番上にある者がそんなことでひねくれ、いじけて成長するのは、下の者たちにとって決して良い結果をうまない。
  阿梅が妹たちをよくかわいがり、あぐりや菖蒲がお前を立てれば、お前だとて血のつながらぬ阿梅を悪くは思うまい。そのようにしてくれるお前の恩を、阿梅だとて一生忘れまい。おまえたちがいつも幸せに暮らしてくれればこの私も嬉しい。だからこのようにするのだ」
  いろりの火に照らされて、輝くばかりに血色のいい幸村からは、その日一日を我が子とぞんぶんに過ごした満足があふれていた。
「おまえさまが嬉しいのなら、わたしも嬉しい」
  母はすぐに納得し、まだよちよち歩きのおかねを抱きあげて、残りの飯を食べさせ寝かしつけた。
  おもえば、このように単純な性格であったから、自分を気持ちよく育ててくれたのだろう。母にたいしていつも思うことであった。
  このような摩擦や軋轢も、今から思いおこせば実に他愛がない。
  他愛がないが、醜女だといわれたことだけは、いつまでも忘れられなかった。
  事実、妹たちはみな、ある一定の年令をこえるとはずみをつけて美しく成長していったが、自分はそうではなかった。
  とくに、すぐ下の妹のあぐりなどは、隣の山まで噂がたつほどの美少女だった。成長が早く、とびぬけるほど目鼻立ちが整い、体つきも豊満になっていった。
  大坂で暮らしたおりも、真っ先に目をつけられ、あからさまに花嫁修行用の娘としてもらわれていった。
  幸村にとっても自慢の種であったらしく、絵師が村にきたおりに、自分の肖像画ではなくあぐりを描かせようとして家族ともめた。


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