「嵐待つ」
作/こたつむり


〈第四部〉31p

「私、尼になるんです。以前、奉公してくれた者にそれを伝えたいのです。実家では、私が片倉さまに縁付くと思いこんで縁者の世話をたのんできたのです。妹です。私を頼りにして、もうどこぞを旅してきているかもしれません。行き違いになっては哀れです。なんとかしてつてを取りたいのです。
  片倉様はだめです。絶対に反対なさいます。いいえ、わかっているのです。私の出家を手伝い、妹の面倒だけをひきうけてくれる。そんな話のわかってくださる方ではありません。いいえ、妹だってだめです。きっと苦労すると思います。私は反対です。反対だと実家に伝えたいのです。私も妹も、片倉さまから上手に手をひける、そういう方法をその者と……私の探している者と相談したかったのです」
  とめどなく話しだしてから、阿梅はむせび泣いてしまった。泣きはじめると止まらなかった。肉親への未練は出家にあるまじき煩悩、というはばかりがあり、これから世話になるだろう海誉や回善には言えないできた。よりによってたつ女相手に、このように打ち明けざるをえない自分がみじめで仕方なかった。吉次に会えなくなったという事実がそれに加わって、一層たまらなくなった。絶体絶命なのだと思うと、地獄の閻魔だけにでも申し開きがしておきたくなった。
「出家なさるほどの覚悟がおありなら」
  たつ女は阿梅のなりやむのを待って口をひらいた。
「大殿の元へ参られてはいかがですか」
「大殿って」
「政宗公です」
「はあ?」
  変な声をあげて、阿梅は首を傾げた。
「以前」
  思い出した。
「田鶴さまは、私を政宗公の元にさしだそうとなさっておられましたね」
  そこへ、十歳くらいの女の子が、せんばを盛った皿をもってきた。からめた味噌の下から、芋のほどよい焦げ目がのぞいている。味噌からは柚子が香ってきた。
「本来、お父君とてそうしたおつもりだったのではないでしょうか。こう申し上げては失礼ですが、真田家と片倉家ではつりあいがとれぬと思います」
「つりあわぬ? 戦に負けた家だからですか」
「逆ですよ」
  たつ女は驚いたように細い片方の眉をつりあげた。
「失礼と申しあげたのは伊豆守どの(片倉重綱)についてです。真田家といえば、大名の家柄ではありませんか。格から見れば伊達家と同列です。片倉どのは一城をゆるされているとはいうものの伊達家の家来にすぎません」
  阿梅は目をしばたかせた。こういう話はよくわからない。反してたつ女は、
「さきほど妹ごのお話しがおありでしたが、私の伺ったところでは、蒲生家に妹さまが縁付かれたよし」
「あっ。それはすぐ下の妹です。さっきのはそのまた下の妹で……。蒲生家に嫁いだというのも、相手はご家来衆の方で……」
「そうですか。なれど蒲生家は大名の家柄であることはご存じでしょう。そういったものです。家柄というものは。大名の家の姫は大名の家に嫁ぐ。一般的にはこれが常識といってよいでしょう。妹君が大名家の一門に嫁がれたというのに、姉君でおられる阿梅さまが城持ちとはいえ家来の家に嫁ぐというのは、お見劣りの感がございます。ましてや伊豆守様にとなれば、後妻ではありませぬか。大殿には、大坂の陣で日本一の誉れをあずかった天下の真田家に、かような恥をとらせたとあっては伊達家末代までの不名誉とおぼしめして……」
「ちょっと待ってください」
  阿梅は待ったをかけてから、肩で息をしはじめた。頭に血がのぼりそうだった。しゃべり続けるたつ女にかわって呼吸をつなぎ、
「政宗公おんみずから、私をおそばにつかえるようにとのお指図だったのでしょうか」
「嘘とお思いだったというわけですか」
「そう思っていました」
  恋仇を恋人からひきはなすための手段にすぎない。そう思っていた。
「ご希望であって、ご命令ではありません。また伊達家中には反対する者も多くございます。こういったことも事実として申しあげておきましょう。片倉様はその中のお一人です。おそらくは何もおっしゃってはおられぬでしょうが」
「聞いてません」
「伊豆守様らしゅうございます。あの方にはお家の跡継ぎがおられます。阿梅様のお生みになる男子は、どこまでいってもその風下におかれましょう。お跡がとだえたとして、せいぜいが片倉家の跡継ぎどまり。
  なれど、大殿の男子をお上げになればどうでしょう。大殿にはもはや成人あそばしたお世継ぎがおられます。他にも大勢の男子がおられます。阿梅様のお生みになる男子が、伊達やその親族家来の家をうけつがねばならぬ必要はないかと思います。あらたなる真田の発祥とおなりあそばせばよいのです。御子を通じてお父上からのお家を再興できるではありませんか」
「真田の……」
  いいかけて阿梅は辺りをはばかった。それほどに、敗戦の家柄に育った阿梅にとってたつ女の言うことは末恐ろしい内容だった。
  なにを言い出すのだ。そんなつもりは自分にはない。
  すぐにでもそう言わねば首がとぶのではないかと思うほど、とんでもない発想であった。
「それでは阿梅さまは」
  たつ女は追い討ちをかけてきた。
「お父上が、なんのためにお身柄を伊達の陣営におあずけになったとお思いだったのでしょう。戦に露ときえていくその思いを、男子には託せぬ血のなごりを姫君たちを通じて残そうとすればこそではないのでしょうか。尼になどなられて、ご遺志がまっとうできるものとは私には思えませぬ」
  言いながら田鶴の心には竜雲のおもかげがうかんでいた。
  世俗と切りはなされ、家族の縁を断たれ、救いがたい境遇にある長い年月を、あの男はどのように生きてきたのだろう。

  竜雲は夜中になって宿にもどった。
  阿梅をここへ連れてくるや姿を消し、もどってくるや、
「あの女はどうした」
  不機嫌そうにきいた。
「片倉屋敷にひきとられていきました」
「解けたか」
「わかりません。尼になられるくらいなら、政宗公のもとに行かれたほうがよい、私はそう申しました」
「尼に?」
  竜雲は皮肉そうに笑った。
「そうした気持ちは、私にもわからぬでもありませぬ」
  田鶴は静かにいった。手には竜雲の法衣をもち、ほころびを繕ってやっている。
  田鶴にとっては素直な思いであった。男同士の偽の忠誠心やうすっぺらい友情を守ってやるために、女と女はつねにいさかいあわねばらぬ。そう思うと、なんだか阿梅とやりあうのが、いかにもばかばかしく思えてならない。
  なるほど、この男のいうとおり蠱だ。
  政宗は自分を追い詰め、おどり狂わせようとしているのだ。しかし、もう操られたりはしない。阿梅もおなじだろう。
  今度こそ片倉様の番なのです。そういった途端、あっさりと阿梅を手放した重綱を田鶴は思いだしていた。
  茂庭と片倉とはともに伊達家をささえる盟友の仲。頬を紅潮させながらそんな大義を口走っていた少年のころの面影は、あそこにはもう無かった。彼は茂庭延元の二の舞だけはしないだろう。
「尼になりたいというのは、私の母の口癖でした。そんなことを言いだすとき、母はきまって父に何かを要求したものです。本気であったためしはありません。源氏物語の一節や和歌などをよくもちだし、女が出家の心境になるのはこんなときなのだと言わんばかりでした。父はよく、母の要求をききいれてやったものです。あるいは口実にすぎないとわかっていたのかもしれませぬ。母も愚かなら父も愚かだったのでしょう。
  私は要求することなく出家を決意する女人をはじめて見たような気がしております」
  片倉重綱に嫁ぎ、父の遺志をのろって生きるよりは、阿梅にとってよほど賢明な選択とも思えた。
  父が自分を裏切るわけがない。その思いは、田鶴には痛いほど理解できた。


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