「嵐待つ」
作/こたつむり


〈第四部〉29p

  江戸の町はうわさの坩堝である。
  京では、口さがない京わらべたちが噂ばなしに花を咲かせ、この江戸では、大のおとなたちがなんのてらいもなく根拠なき事柄を流布してあるく。
  三日で終わるものもあれば、一ヶ月は続くものもある。どこの浜辺であがった魚は値が高いとか、誰の商う食糧は衛生処理が悪いとか、どこかに悪意の潜んでいる噂にかぎって長続きする。業を煮やした幕府の役人がその出所をつきとめようとすると、潮がひいたように人々の口が静まってしまい、杳として源がしれない。
「いつでも同じ人間が同じような意図をもってふりまいているわけではないからだ」
  竜雲はそういった。
  ほうぼうから人が集まり、寒村風景は日に日にすぼまり、荒れ地の上にも次々と新しい建物がたてられる。定置から作物のとれる日常をきりはなされた人々が、糸の切れた凧のように不如意な生活を強いられ、先行きへの不安から妄想たけだけしくなる。竜雲にはそのように見えるらしい。
「自分が儲からないのは、目には見えぬがたしかに誰かの意図によるものだ。人はそのように考える。見渡すかぎり、見知らぬ者たちに鬱蒼とかこまれて疑心暗鬼になっている。そうしたものだ」
  宿泊すること三日。しかも旅籠から一歩も外にでずに、よくそういうことがわかると田鶴はおもう。
  先ほど、寺から使いの僧侶が海誉和尚からの手紙をとどけにきた。江戸から寺に、寺から再び江戸へと転送されてきた。海誉が江戸城につめたまま正月をむかえ、寺にはいなかったからとはいえ、竜雲は無断で寺をでている。
  使僧に二度手間をとらせたことを、竜雲は少しも悪びれない。ねぎらいの言葉ひとつかけるでもなく手紙を田鶴に渡して、あてがわれた部屋にもどった。
「阿梅どのが人をさがしておるそうです。この江戸で」
「そのようだな」
「しばらく江戸にいるつもりなら、人探しを手伝ってやってほしい、と文にはあります」
「すわれ」
  部屋は天井板が一枚だけない。狭いといって、竜雲が杖でぶちぬいたのである。荷物をその裏に収めた。そして、田鶴がいくら頼んでも天板を元にもどしてはくれない。他の部屋に声が筒抜けになっているのを田鶴が気にかけると、
「夜は金切り声をあげるくせに」
  いきなり乳房をつかんだり足を股の間にさしこんだりする。乱暴というほどではないが優しくもない。
  田鶴を一夜に何度も抱く。そのくせ商売女を決して近付けない。田鶴だけを飽くことなく抱きつづける。
「おまえ次第だ」
  そういって、竜雲はやはり田鶴の耳たぶを撫でた。ついで首筋をたどり胸もとに手をさしいれてくる。
「うまくやれるか」
「何がです」
「あの女もおとこを知らぬ」
「さあ、それはどうでしょうか」
「見ればわかる」
  田鶴はおのが生膚をとらえようとする竜雲の手首をつかんだ。
「教えてさしあげてはいかが」
「ああいう女には」
  竜雲は手紙を奪いとり、田鶴をはなれた。
「恩を売ったほうがよい」
「恩?」
「誰をさがしているのか知らないが、要求をききいれてやればよい」
「なぜ私と同じようにはせぬのです」
「二人の女がいがみあわねば、意味がない」
「いがみあう?」
「蠱よ」
「こ……とは」
「蠱毒の蠱よ」
「蠱毒?」
「知らぬのか」
「呪術でございましょう」
「そうだ。毒虫を用いて人を呪いころす」
  巫蠱術といって、多くの毒蛇や毒虫をたがいに争いあわせ共食いさせ、生き残った生物を操って敵のもとにおくりこむ。
「私と阿梅どのが蠱なのですか」
「蠱は術によってあやつられている。元々の意志によって動いているわけではない。身内と争いあい、他の同類と殺しあうことによる気の昂ぶりを利用される。術が解ければ、当然その毒気は術をかけた者にむく。おのれを操った主こそが、そも憎むべき敵であったと悟る。おまえはその蠱だ。術は解けた」
「では、阿梅どのは」
「術を解け」
「私が?」
  竜雲は静かに座り静かに横になった。ほどなく寝入る。
  江戸の町はひどく騒々しかった。はたごに囲まれる道はいつもなんらかの混雑を見せ、人々がひしめきあったり節操もなく大声をあげたりする。ほこりっぽく風に吹かれ、正月あけというのに夜になってもたびたび往来がある。
  静かな武家屋敷の周辺しかしらない田鶴には、朝早くから耳近かにせまる木づちの音がたまらない。巷では建築が相次いで空き地をうめていく。いつもどこかで何かが変わりつつある日常に、竜雲の尊大な態度はある種の安定をかもしていた。
  一方で、竜雲に奇妙な愛着も感じた。寝顔を見ながら、この男に術をほどこしたのは誰だろう、と思った。
  この男は母親に最後まで見捨てられなかった。もしこの男がほんとうに伊達小次郎であるならば、その兄である政宗と唯一ことなる持ち物は母親の愛情だろう。以前、片倉重綱の叔母にあたる喜多女は、主人、政宗の過去をふりかえり、涙をうかべて言ったことがある。
  生みの母親に殺されかかった子供の傷は、一生消えないものだ。
  その言葉が、いつでも伊達小次郎の存在に裏うちされていたのは確かである。
  寝息ひとつたてずにいる竜雲の蒼白な顔は、弟の宗根を思いおこさせる。癇が強く寝付きの悪い弟だった。そのくせ一度寝入ると死んだように面の皮一枚うごかさない。
  宗根が養子にだされると、田鶴は毎夜、弟の夢になやまされた。宗根にはげしく乱暴される夢である。弟とそれほどに揉めたことはなかった。なのに、夢にあらわれる彼は生々しいほど憎悪をむきだしにして田鶴の髪や襟をひきずりまわし、腹や背を蹴り、きつく罵倒してくるのだった。大声でなにかを叫ぶ彼の声をさいごに目をさまし、汗に蒸される夜具の中で田鶴はよく泣いた。そんなふうに夢をおとずれる弟が憎らしくもあり、また不憫でもあった。夜ごと鳴きちらす仏法僧のひくい声音が、夢のつづきをさらった弟の甲高い声をうきぼりにやきつけてきた。
  低くざわめく夜の江戸で竜雲にいだく愛着の念は、そんなところから来ているのかもしれない。

  海誉が江戸城につめている間、阿梅は増上寺に泊めおかれていた。勤めがおわると海誉もここに泊まる。
  増上寺の住職、源誉僧正は海誉の甥にあたる。北条氏照の旗下にあった由木氏の出という。北条氏の八王子城が落城したために、武家をひきつがず僧侶になったのだろう。
  この寺には、阿梅を真田家の女と知るものは一人もいない。が、源誉は阿梅から身分をうちあけられると、
「幕府は隠密を組織しておる。さがし人によっては、外でやっていただくことになり申そう」
  はっきりと念をおした。源誉の言につけたして、海誉が、
「伊達家の方とご一緒されておることじゃ。誰かにつきあって、これこれの者とどれどれの場におった。そういうことが大切なのじゃ」
  くどくどと諭した。日頃の海誉からは想像のつかない、いかつい感触がそれにはふくまれていた。


28p

戻る

30p

進む