「嵐待つ」
作/こたつむり


〈第三部〉28p

「きちじ。吉次が生きていた」
  空に雲に風に、沈みゆく夕日に、ありとあらゆるなにもかもに感謝せずにはいられない。
  吉次はおもに諜報活動をおこなう真田家の工作員だった。幸村の大坂入城にともない、近江や美濃を中心に関西一体の情報収集に活躍したときいている。非常に危険な任務であり、幸村親子の高野山脱出にさきだち、決死のつゆばらいもかって出た。幸村や大助が絶命したいじょう、吉次をはじめ多くの忍びばたらきの者も生きていまいと阿梅はみこしてきた。
  吉次にまつわる様々な思い出が、阿梅の体じゅうから沸きおこった。霞みのかかった灰色の目。鈎鼻。割れ目のはいった太いあご。強靭なわりにふっくらとやわらかい背に阿梅は何度もおぶさられた。頭髪にしみついていた藁のにおいを嗅ぐと、帰宅をまてずによく寝入ってしまったものだ。ずれおちる阿梅の頭を、首をつかって器用にもちあげてくれた。お市から聞かされればけむたい信州の話しも、吉次から聞かされると懐かしさがこみあげてくるのが、いつも不思議でならなかった。
「吉次にあいたい」
  夕日を背に浴びながら、ふりかえって阿梅は嘆願した。
「それは」
「妹の沙汰は吉次と相談します。だから吉次にあわせてください」
  荒井に手をあわせた。
「なんと」
  荒井は当惑の色をかくさなかった。ついで憐みが浮かんだ。
  そうだろう。阿梅はうなだれた。
  女子供ならいざ知らず、伊達との戦闘にくわわったかもしれぬ大坂方の密偵を人質同様の阿梅にひきあわせるわけにもいくまい。
  おまけに吉次は侍ではない。ひとたび侍として働けば、農民あがりの者でも当然もっている武士のたたずまいを吉次はもっていない。忍び奉公をしてきた真田家の者たちは誰しも、侍らしからぬ風貌のまま年をとる。それもが役割の一部なのだが、そうした理解のない者にとっては、ただ卑しい身分の人間としてしか目にうつらないだろう。
  そんな人間に、仮にも武家の娘のゆくすえを相談したい、ときいては首をかしげるのも無理はない。むしろ、断絶した家系の子女とはいえ、そうまで落ちぶれたかと、阿梅を哀れんでいるかもしれない。
「阿梅様」
  どういう意図があるのか、荒井は、
「お母上様にお便りをお書きあそばしてはいかがでしょうか。それがしが都合いたし、お届け申しあげましょうほどに」
  提案した。
「ありがとう」
  阿梅はほほえみ、しかし断った。
  母にはなんとしても返事をださぬばならない。しかし、その手段はどうにか自分でこうじるしかないだろう。
  片倉家の人間は信用できない。それが今日、阿梅の得た結論だった。

  それにしても皮肉な成り行きである。
  自分と片倉重綱との結び付きが、生家、真田家にとって、なにか役に立つ種類のものであってくれたなら、少しは張りをもてたものを。
  阿梅は当初、そのように思っていたはずである。あのまま白石城におれば、妹をひきとることも可能であったろう。
  なるほど母や妹にとって、今となっては、片倉家に身をよせている阿梅こそが、もっとも力強い縁故に思えよう。本来、あの戦塵さなかに娘を片倉陣営におくりこんだ父からは、このような示唆があったのかもしれない。
  送りたいとして名があがっていたのは、三人の妹、あぐり、菖蒲、おかねのうち、まん中の菖蒲であった。
  上のあぐりは、大坂に住まいしていたころ、世話をしてくれた商家を介して書家にひきとられていったのである。冬の陣で徳川方との和議が成立すると、このあぐりから手紙がきて、蒲生郷喜という武将に縁付くことになりそうだ。蒲生家は徳川方についているから、このまま和議がおだやかに保てば、また手紙のやりとりもできようし、嫁ぐ前にあえるかもしれないが、もし決裂のこととなれば自分たちは敵味方にわかれてしまい、もうあえないだろう。そんなことが書いてあった。
  叔父の真田信之が一人、上田にあって徳川方に属しているものの、そこからは、阿梅たちが年ごろになってもいっこうに縁談をよこしてはこなかった。
  冬の陣における、父、幸村の武功。すべてはこれがものをいったのである。徳川家と戦うことによって、徳川の陣営にみとめられ、徳川方に靡いた家との縁談がふってくる。奇妙な様相といえよう。名をあげひとかどの地位を手にいれるためと称して高野山を悲壮な決意で脱出し、命懸けのはたらきをもって、見合い話を娘たちにこしらえてやったようなものである。豊臣の陣営にあって彼は、たった一人の息子の命をその渦中で没するように仕向け、そのくせ大勢いる娘にたいしては、一人として豊臣方の武将と縁付かせなかった。
「荒井どのがお持ちくださった。土産じゃそうな」
  そう言って縁の外に立っているのは海誉である。
「和尚さま」
  阿梅はあわてて奥にすわりなおし、低頭した。
「私のほうからお部屋へ参りましたものを」
「なんの」
  海誉は気やすく、ひょいと縁にこしかけ、もってきた風呂敷づつみを横において、上からぽんぽんとたたいた。
「蜂蜜じゃよ。回善和尚が好物じゃに。それと麻布、綿糸、巻紙、いつも決まったよき物をおとどけ下さる。伊達どのは、心くばりのこまやかなお方じゃ。この他にも本堂にたんとお供えしてあるから、ほしいものは後でもっていかれるとよい」
「ありがとう存じます」
「なんぞ、御用がおありとか」
「はい。おりいって、おねがいがございます」
「ふむ、ふむ」
  ぺたっと禿頭を両手でつつみ、くるくるとさすった。
「お寒うございますか」
「寒うはない。凝っておるのじゃ」
「お灸をしてさしあげましょうか」
「もぐさをお持ちか」
「はい」
  阿梅は押し戸をあけ、線香ともぐさ、火打ち石をとりだして縁側にいった。
「おお、そうそう、そこじゃ」
  阿梅のゆびは一差しで海誉のつぼをあてる。つむりのてっぺんに位置する百会とよばれる箇所である。いきなりここにもぐさをのせ点火できるのは、頭を剃りあげた僧侶ならではの冥利といってよい。
「うまいうまい。お上手じゃ」
  もっとも海誉の百会には跡がついている。おそらく弟子たちが何度となく、ここに灸をほどこしているのだろう。
  阿梅は、海誉の頭からのぼる灸のけむりを指先にあてた。からっ風とよばれるこの地域における冬の現象が、阿梅には苦手である。背すじ首すじに直接つきさしてくる夕刻以降の名状しがたい冷たさは、幾重に着込んでもさえぎれるものではない。
「和尚さまは明日、また江戸へいかれるとうかがっております」
「だれに聞かれた」
「回善さまでございます」
「ふむ。今度は長い。正月をお城でむかえるやもしれぬ」
「それもうかがっております。そこで、ぜひ、この私をおつれいただけませんか」
  それをきき、海誉はちょっとふりむきそうに頭をうごかしたが、
「どうやら」
  とためいきをついた。
「地蔵にされてしまったようじゃの」
「は?」
「これこのとおり。身動きひとつできはせん。だまって人のねがいごとを聞いているほかにない」
「まあ」
  阿梅がわらうと、海誉は、じゃが妙じゃなと言った。
「そなたはつい三日前に江戸からここに来られたばかりではないかな」
「まったくです」
  阿梅の口からもためいきがでた。
  たったの三日で敵においつかれてしまった、ということに他ならない。
  阿梅のもらした息にうながされて一瞬をするどく灯った灸の火は、その処理をおいかけ多量の煙を発しながら患部へとせまっていった。


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