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「嵐待つ」
作/こたつむり
〈第三部〉27p
するとたつ女は、ようやく阿梅をふりかえり、まじまじと見詰めてきた。
阿梅は息をのんだ。
なんて大きな目だろう。
そう思った。この女を怖いと思ってきたが、要するに目が大きい。睨まれれば物凄いし、このように見詰められれば視線をどけられない。
「そうかもしれませんね」
たつ女はあっけなく同意した。
これにも拍子抜けした。阿梅は溜息をつきながら、
「そうだと思います。朝晩の用事がいそがしいのです。そうした時に顔を出せば私も怒られます」
「それで注意をうけたのやもしれませぬ」
たつ女はそう言って素直にうなずいた。つづけて、
「阿梅様はこの寺をどうしてご存じでいらしたのでしょう」
「以前……」
こたえかけて阿梅はだまった。
一体、どういう風のふきまわしだろう。なぜそんなことを尋ねるのかと思うと迂闊にはこたえられない。
「洗ったものなどは、どこに干せばよろしいのでしょう。阿梅様は部屋の中に干してはいらっしゃらぬご様子。どこか別の場所をご存じなのでしょうか」
「それは」
そういう内容だったのか……とばかりに、阿梅の気持ちは軽くなった。
ついで口まで軽くなった。寺の内部構造、規則、制限、物売りのやってくる日にち、日用雑貨のありか、その使い方、それぞれの修行僧の役割分担にいたるまで、懇切丁寧に説明してやった。たつ女はいやな顔ひとつせず、長々と語られる内容におとなしく聴き入っている。
阿梅は我知らず得意になった。何においても風上に立たれるたつ女に、はじめて優越しえたことで上機嫌になった。仙台や江戸ではいざ知らず、この寺においては自分のほうが物知りなのだと思うと、固くつかえていた身内が、ゆったりとほぐされていく。
そうした阿梅を、たつ女はふしぎそうに見守っている。
とつぜんそうした視線に気付き、阿梅はとたんに不機嫌を催した。
なんで、こうジロジロ見るのかしら。
なにもかもを観察してやる。そんな意図がふくまれているようで不愉快な気分が蘇ってくる。説明の最後の声を急にあらげ、
「とにかく、洗濯物をもってついてきて下さい」
一方的に結んで、ぷいと背をむけた。
片倉家からの使者が着いたのは夕暮れであった。
たつ女は夕餉を前にでかけてもどらず、部屋には阿梅だけが膝をかかえてまどろんでいた。
「茂庭様のご息女がご一緒の由」
入ってくるなり使者はそういった。
「しりません」
阿梅はこたえてから、そのぶしつけな態度に腹をたてた。
片倉家、家来、荒井五郎太。その使者はそう名乗った。
一面識もない。名乗るより先にたつ女の消息を口走ったのも慮外なら、自分を誰ともたしかめず一方的に名乗ったのも無礼であった。
「田鶴姫様がご一緒とうかがっております」
眉ひとつ動かさずに、荒井は決めつけた。
「誰から」
「阿梅様」
荒井は、ぴしりと四面の壁にひびく声で呼んだ。
ああ、うるさい。
思い出してしまった。片倉家の人間は、まずこうなのである。そっぽをむいて応対するのを許さない。ちゃんと座を相手にむけるまで言葉を発しないのだ。首だけむけようものなら、このように主人の名を呼ばわり、あくまでも待ちの姿勢を貫くのである。
はいはい、と対座してやると、
「どなたから……と、そのようにおっしゃってはいただけませぬか」
「何がですか」
「誰から……と、そう仰せでございました」
さっそく説教である。
「では、『どなたから』?」
阿梅は口元だけをほほ笑ませて言い直した。下半身から疲れがのぼってくる。
てめえの無礼はどう説明するつもりなんだ。
そう思っていても、なぜかそのように反駁できない。白石のあの巨館にただよう、なんともかたくるしい空気が、いちいち阿梅から言葉をうばったものだ。
「原田左馬助様からお伺いしました」
「原田様?」
「さよう」
重々しくうなずいてから荒井は、心当たりがあるだろうとでもいうようにまっこうから睨んでくる。阿梅はいそいで咳ばらいをし、
「あの方にはいろいろとお世話になりました」
原田がそこにいるかのように一礼した。荒井は、阿梅の言葉をさえぎるように先をいそぎ、
「田鶴姫様とはどのようにお過ごしでいらっしゃいますか」
「どうって。べつに」
もはや憂鬱になった。自分には阿梅様で、たつ女は姫様か。そんなささいな部分に差をつけ、ことさらにへりくだることを強要してくるおしつけがましさには頭がさがる。どう答えようと、この先、おまえが折れろといった説教が降ってくるのを止められそうもなかった。阿梅は、
「田鶴ひめさまとは」
と皮肉をこめて呼び、
「たいへん仲良くさせていただいておりますので、どうぞご心配なく」
と、とりあえず取り繕った。居住まいをただすように前のめりにかがむと、思い切ってたちあがり、
「そうそう。ご祝儀には私もなにか差し上げたいと存じますが、なにぶん田舎育ちゆえ、気のきいた贈り物など思いつきませぬ。お寺の住職様なりとご相談にのっていただきますので、もう少々こちらに逗留いたしたい。望春院様にはそのようにお伝えください」
言い放った。
「ご祝儀?」
はたして荒井は妙な顔付きになった。
言ってやる。
そう思うと、阿梅の胸はつきあげるような興奮に踊った。
「そう。近々、片倉家のご当主には、田鶴姫様と祝言をあげられると伺っております。おめでとう存じます」
荒井は目を見張った。小気味のいいほどの驚きようである。
「どなたがそのようなことを」
「おや。もともとはそのようなお話しであったと原田様にもお聞きしておりますが」
そして自分は、晴れて尼になるのだ。回善からの許可をうけたのだから、誰にも文句はいわせない。阿梅はそう思った。
「それはそれとして」
荒井は咳ばらいをしながら、元のしかめ面にもどした。
「本日、おうかがいいたしましたのは」
と手をふところに忍ばせ、手紙らしきものをとりだす。
足元にさしだされ、阿梅は仕方なく再び座についた。
「あっ」
折り畳んだ和紙の上から、おうめどの、とゆるやかな仮名で書かれたそれは、
「母上の字、母上のお文!」
開くよりさきに阿梅の目からは涙がほとばしった。
荒井はつられて、いったんは顔面をほころばせたが、すぐに、「じ」ではなく「て」と言えなどの注文をつけた。
馬の耳に念仏である。
阿梅はひとしきり啜り泣き、文を胸にこすりつけ、しばし懐かしさにひたったあと、
「妹が……」
すでにすまし顔をくずしていた。
「いかようなお文で」
「妹の一人をこちらに……いえ、白石におくりたいといってよこしています」
「望春院さまにご相談なさってはいかがでしょう」
間髪いれずに荒井はこたえる。
阿梅の涙は、またたくまに乾いた。
「この文をよんだのですね」
「めっそうもない」
「使いは誰でした」
つっけんどんにぶつけ、立ち上がる。
「は」
「使いの者がもってきたのでしょう? 私の知っている者かもしれません」
「さあ、名は……」
「申したはずです」
阿梅は荒井の頭上から、居丈高に声をふらせた。
「誰から誰に。使いの者は誰々。それが真田のならわしです」
「たしか、きちじ……とか」
「きちじ!」
絶叫にちかくなった。これも死ぬほどなつかしい名である。踏み抜くほどに音をたて、阿梅は縁側をかけおりていった。