「嵐待つ」
作/こたつむり


〈第三部〉24p

  自分は今、あの暗い井戸の底に放りこまれたのだと思った。泣いても叫んでも、誰にも声はとどかない。誰も気付かない。
  凍えて飢えて死んでも、誰にも見付かりはしない。徐々に徐々に死んでいく。少しずつ少しずつ消えていくのだと思った。
  それならせめて、死んだという証をたてねばなるまい。
  しかしそれを誰に知らせればいいのか。誰にわからせる必要があるというのか。全く無意味な命だからこそ消えていくのではないか。誰にとっても全く無意味な存在になりはてたからこそ死んでいくのではないか。
  死とはそういうものだ。
  やがて白骨となり発見される日が来ようとも、そこには死顔がどのようであったか余人に知る術とてのこされてはいないだろう。
  ならばひと思いに死ねばよい。恐怖もやがては消える。それが死だ。
  醜い断面図を生きる最期にさらそうとも。
  田鶴のその瞬間を竜雲はとらえた。
  生と死の証をたてんがために。

  疲労感だけがのこった。体をおこしても鈍い痛みのために正座はかなわなかった。
「そのままでよい」
  竜雲は起きようとする田鶴の肩をおさえ、仰向けに寝かせた。
「これがそなたの武器だ」
  天井にむいている田鶴の顔におのが顔を近寄せて竜雲は言った。
「証をたてるためと貴僧は申されたではありませぬか」
  はじめて声を出した自分に田鶴は気付いた。鼻孔が凍りついたように閉じきっている。
「武器にならねば証ではない」
  竜雲が冷たく返す。
  鈍く伝わってきた痛みはやがて、なんともいえぬ頼りなさとなり、田鶴は仰向けに寝ていられなくなった。身をよじって腹ばいになり、力のいれようのない奇妙な感覚から逃れようとした。
  ぶわりと床がたわんだ。性交に夢中で気付かなかったが、藁のとぎれた床板の隙間から地下のさらなる闇が見えた。
「その板木のようなものだ」
  竜雲はそういって法衣のそでに通した。
「渡して関係を保つが、自身が腐りかけ、たわみ、重圧にたえかねやがて折れる。関係は断たれる。空いた穴からは、虫がはいあがり草が生い茂り、建物が建物としての意味を失う。たとえ古く荒れ果てほころびかけていても、それぞれが辛うじて関わりあっていれば何かの役にたつ。
  古く腐りかけたものに、ほころびは一つあればよい。たった一本の板木が折れただけで、もはや直して用いようとは誰ひとり思わぬ。いっそ立て直そうという風潮になる。それを待っているのだ」
  黙って言わせておいたが、田鶴にはその意が理解できているわけではなかった。禅問答をしているようにも、気がふれているようにも思えた。竜雲が顔をひくと、その首すじの痣を思い出した。おそらく何十回となく自分の素肌のあちらこちらに触れ、こすりあっただろう。体中にその染みがうつってしまったような、もはやそれを気味悪く思う必要はないような気分であった。
「私と貴僧が何と何の渡し板になるというのですか」
「渡し板ではない」
「それでは一体、何の?」
「ほころびよ」
「ほころび?」
「伊達家のほころびよ。それもとり返しもつかぬ」
「あなたはやはり……」
  言いかけて田鶴は息をのんだ。
「そなたがこのわしに小次郎になれというのなら、なってやってもよい」
「それではこなた様は小次郎様ではないのですか」
「小次郎か。伊達小次郎」
  竜雲は立ち上がり堂の隅からはなれると、中央で何かをひろい田鶴に投げた。
  田鶴の帯であった。
  もはや無意味な問い掛けにも思えた。小次郎が生きていても死んでいても、今はなんの救いにもならなかった。伊達政宗は、肉親だけは殺さないと、心のどこかで狂信してきた自分が滑稽でもあった。目の前のこの僧侶は、殺されなくても生かされていない。自分と同じように闇から闇へと生をうつろわせるしかない。
  竜雲は田鶴の位置にもどってきて言った。
「そなたにとっては、わしが小次郎であってもなくてもどうでもよいのだ。おまえは伊達家を恨んでいる。俺にはよくわかる。おまえは伊達家に恨みをもつ人間をさがしにはるばるここまで旅してきた。一目でそれがわかった。なぜなら、この俺も伊達家を恨んでいるからだ。恨んでも恨んでも恨み足りないほどにな」
  小次郎であっても小次郎でなくてもよい。
  言われてみると、そうかもしれないと田鶴は思った。心の奥底にある感情を今ほどはっきりと言い当てられたことは未だかつてなかった。
  自分は伊達家を恨んでいる。憎んでいる。
  生まれてからこれまで、長い長い年月をおさえつづけた感情が竜雲の口を通してはじめて目前に姿をあらわした。
  そしてそれは一度、形を得てしまうと、それこそ取り返しのつかぬほど大きく黒く胸の内にもりあがり、二度と消える日は来ないように思えるのだった。

  大坂方の話しが出ると、母はきまって意見をさしはさんだ。
  延元はいつもたしなめたが、母はきかず、
「茶々どのの差し出口でございましょう。おなごのくせに、いつも太閤殿下のなさる取り決めに口ばしをはさんでおられましたゆえ。このたびの沙汰もきっと茶々どのが裏で糸をひいておるのです」
「ご側室の方々には、茶々どのより名家からお出になられた方も多くいらっしゃいましたが、茶々どのにはみな頭があがりませぬ。ご懐妊のきざしすら見えぬころから、京極局より西の丸の局より席次も上なら太閤殿下よりの拝領の品々も、いつもあの方が先にいただいたそうでございます。むろん太閤殿下のお指図などではありませぬ。茶々どのはいつでもご自分から、ああしたいこうしたいと仰せになられる。そういった方でございます。太閤殿下も、お世継ぎがどなたか別の方々から生まれてくれればよい。私にいつもそう仰せでございました。本当のことです」
  香の前は、それを秀吉との閨において聞かされたとは言わない。しかし延元は、はしたないことを申すなと叱りつけ、芳乃や田鶴を部屋からつれだして、その先の話を聞かせなかった。
  秀頼の母、淀の方をいつも「茶々どの」と呼びすてる。家康ですら豊臣秀頼に対しては臣下の礼をとっていたころである。伊達政宗など秀頼の一家来にすぎぬ。天下人の母堂を呼びすてにする人間など大坂はおろか全国にもおるまいと、延元はよく香の前を叱った。しかし叱られれば叱られるほど、
「私がそう呼ぶのではありませぬ。太閤殿下が私に、茶々は、茶々が、と仰せだったのでございます。私にもそう呼んでかまわぬとの仰せでした。太閤殿下はあの女人をそのていどに見下しておいででした。この私ですら、たね、ではなく、香どのとお呼びいただいておりました。だいたい秀頼君とて太閤殿下のお胤ではございませんでしょうに、それを申すは殿下の恥とみな心得て……」
  男女の沙汰がわかる年令になった田鶴の前でも、臆することなく香の前はこうもちだして延元を悩ませた。徳川と豊臣の間に摩擦や亀裂の生じるたび、なんらかの大坂の噂話が流れるたびに、日ごろは鈍重にも見える母が、すさまじくいきりたつ。そして、話しの内容より、その下世話な表現に眉をひそめずにはいられなかった。大坂城の乱れきった風紀を、茂庭家にもちこんできているだけに見えた。
  どんなに無縁でささいな事柄からも、母の話しはかならずや淀の方の話しにおよんだ。
「私がこなた様と太閤殿下の賭事にもちいられたのも、茶々どのの入れ知恵なのです。私ははっきりとそうお聞きしました。ええ、太閤殿下からでございます」
「茶々どのは、子をあげそうな女ごを太閤殿下から遠ざけようとあれこれ画策なされておりました。焦っておられたのですよ。鶴松君のおられる時ですら、太閤殿下のご自分へのおわたりは少なく、ましてやお子を亡くされた茶々どのなど太閤殿下にとっては……」
  大坂冬の陣、夏の陣のあいだ中、伊達軍をふくめた東軍有利の報がもたらされるたびに、
「天罰じゃ。因果応報とはこのことじゃ。かの治部少輔(石田三成)同様に、あの女ごもさらしまわされて首でもはねられればよいものを。いいえ、いっそ、どこぞの田舎侍の妾にでも下げわたされて生きながらえるのが分相応やもしれぬ」
  田鶴はこのとき、まざまざと知らされた。常に特別に遇され、大坂に住まうをゆるされつづけた側室への母の呪い。選ばれずに、草深いみちのくの地へ追放された。その思い。


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