「嵐待つ」
作/こたつむり


〈第三部〉22p

「なにも」
「ずいぶんと親しげなご様子でいらしたけど」
「べつに親しくなんかありません。秀雄様なんか知りません」
  すると田鶴は含み笑いをした。阿梅は、はっきりと田鶴をにらみかえして、
「私、片倉重綱様とは結婚しません」
  言いきった。
「ですから、どうぞご安心くださいまし」
「どういうことです」
  あまりの唐突さに、田鶴は目を見開いた。
「どうもこうもありません。私、あの方とは結婚しないつもりでここにやってきたのです。ですから、片倉様とは、どうぞ、あなた様が結婚なさったらいいではありませんか」
「何を言ってるんです」
  自分でもおどろいたことに、田鶴の声は掠れていた。阿梅はなおもたたみかけ、
「ですから、もう私をつけねらうのはやめて下さい」
  言いたいことを言ってやった。ここには重綱も望春院もいない。ちょっとぐらい思いきったことを言ってもいいのだと思った。何かされようものなら、大声をあげてもよい。
「私は白石にも仙台にも戻りません。陸奥守様も伊豆守様も、仙台も白石も大嫌いです」
  言うや、くるりと背をむけた。田鶴から遠ざかるにつれ、胸のつかえもおりた。
  ところが田鶴は走り寄り、阿梅の襟首を髪の毛ごとつかんだ。
「あなたはそうやって、いつも好き勝手やってきたんでしょうが、そうはいきませんよ」
「離してください」
  ふりむきざま、阿梅は田鶴の首もとを小突いた。子供のやるような仕草になった。その手首は田鶴の手ににぎられ、
「そうやって秀雄どのも、重綱どのも、手玉にとって……」
「そんなことしてません」
「いいえ、してます。原田どのまでいいように言いくるめて」
「原田様ですって」
「なんで原田どのにまで擦り寄るんですか」
  こういう女はゆるせないと田鶴は思った。被害者ぶって男にすりより、自分では戦おうとしない。そのくせ恩を仇で返そうとする。いつでも身にふりかかった義理を平気でかなぐりすて、別の庇護者の元に走って、また擦り寄る。
「おっしゃい。原田どのにどのように近付いたんですか」
  ものすごいけんまくで阿梅の両肩を前後にゆすった。
  阿梅は田鶴の耳をつかみそこない、耳に流れる黒髪をひっぱった。
  田鶴は思わず頭を手でおさえ、急に放された阿梅は二、三歩うしろへ退き、地に尻餅をついた。
  それを合図に、今まで見て見ぬふりをしていた職人たちがいっせいに手を休め、めいめい顔を見合わせながら集まってくる。
「何言ってんのよ」
  恥ずかしさが全身をつきぬけた。痛みも忘れて阿梅は、
「原田様は、あなたから私を助けてくれたんじゃないですか。見てたでしょう、あなただって」
「なんですって」
「あなたに浚われかけたあの時、馬で追いついて私を……」
「あの馬……」
  ひっぱられた田鶴の前髪が、ぶざまに顔面にしだれかかっている。
  片倉家の家人などではなかった。あれが原田宗資だったとは……。
  その時、
「やめなさい!」
  老人の声が二人の会話をはばんだ。
「これ、女ごが二人で何をしでかすつもりじゃ」
  本堂から駆けおりてきたのは海誉上人だった。
「和尚様。助けてください」
  真っ先にその裾にすがりついたのは阿梅だった。
「どうしたのじゃ、これ」
  海誉はやはり阿梅に先に声をかけ、いたわるようにかがみこんだ。
  それを憎々しげに見詰めながら、田鶴はほどけた髪に指をあてたが、簡単には整わない。いらだってうしろに束ねてある結びを解くと、夜叉のような風体になってしまった。
「片倉さまが気にくわないなど、何様のおつもりです」
  はきだす声が震えているのが、自分でも忌ま忌ましい。
  女が好き嫌いを通すなど、できないことだと田鶴は思った。それが出来るはずであった自分ですらこれほど追い詰められているのに、どうしてこの女は負けずに押し通せるのかと、口惜しさで身が焼け付きそうになった。
「そればかりか、政宗公にまで。伊達家のさんざん恩顧をうけておきながら……」
「ですから、もう世話にはなりません。そんなに伊達がお好きなら、あなたの方こそ……」
「好き嫌いの問題ではありません」
「嫌いなものは嫌いなのです」
「真田幸村の娘というだけでなんでも思うとおりになるとお思いなら、大まちがいです」
「あなたこそ、伊達政宗の娘だからって……」
  二人はつづけて言いかけ、同時に息をのんだ。
  聞かれていた。
  言ってしまった。
  田鶴は首筋をふるわせ、阿梅はとっさにうつむいた。
  海誉が目を見張って近寄り、声をかけようとしたとたん、田鶴は、
「私、大阪方の間諜との同室は、おことわり申しあげます」
  その坊主頭に言い放ち、髪ふりみだしたまま駆け去った。

  どういうわけか、作業する職人たちの前でやりあったたつ女に、姉のおもかげが重なってしかたがない。
  姉の名はお市。阿梅とは同母であったが、阿梅よりあとに九度山へひきとられてきた。
  いきさつがある。
  阿梅の祖父真田昌幸と父幸村が関ヶ原の戦犯にとわれ、高野山に流刑をいいわたされた当初のことである。幸村の正室、大谷刑部の女は、自分が生んだ嫡子大助とともに、お市、阿梅姉妹を連れて高野山に入ろうとした。
  側室の高梨内記の女は、信州に残った。故郷を離れたくなかったからときく。我が子のすべてを奪われるのを哀しみ、長女のお市だけは手元におきたいと幸村に嘆願したため、幸村は次女の阿梅だけをつれていった。乳飲み子だった阿梅は正室の大谷刑部の女に育てられ、それゆえ生みの母をまったく覚えていない。
  阿梅が九歳の時、実の母、高梨内記の女が病没する。残されたお市は、高野山にひきとられるしかなかった。
  これらは、阿梅が育ての母である大谷刑部の女から聞かされ、信じていた話であるが、あとから九度山にきた姉のお市によると、これには捏造があるらしい。
「あの方(大谷刑部の女)が私たちの母上を疎んじて、連れてこないように父上に頼んだのです」
  そしてお市と阿梅の生母である高梨内記の女は、
「あの方(大谷刑部の女)に遠慮なさって、生家に身を寄せたのです」
  つまり、正室が側室に嫉妬し、側室が正室に遠慮して、正室が流刑地の夫を独占したという。
「母上(大谷刑部の女)は、そんな人じゃありません」
  阿梅は、はなからこの同母姉とは気があわなかった。
  お市は、なにかというと阿梅を家の外へさそいだし、馬屋や裏の畑で義母の陰口をたたいた。阿梅とともに九度山で育った妹たちのことも好きではないらしく、阿梅が彼女たちと過ごすのを邪魔した。阿梅はよく、この姉と妹たちの間で自分をとりあう構図にまきこまれた。すぐ下の妹、あぐりなどは、あとから来たお市をひどく嫌っていた。
  これには義母の影響もあった、と阿梅も認めないわけにいかない。阿梅の妹たちはみな、義母の実子である。すべて九度山で生まれた。お市をひきとると幸村に聞くや、義母の口から、
「子供たちに悪い影響がなければよろしゅうございますが」
  という言葉がとびだしたのを阿梅ははっきりと記憶している。お市と妹たちとの間の確執は、お市と義母の間の確執であり、お市に言わせれば、生母と義母の間の確執が原因であるようだった。
  であれば、阿梅はお市の味方をしなくてはならないのだが、阿梅にとっては別の理由で、この姉の存在が疎ましかった。
  お市がやってくるまで、阿梅は長女として育てられてきた。大助という兄はいたが、これは父や祖父とともに寺住まいしていたので、ときおり顔をたててやればすむ。次々と生まれる妹たちの中で、阿梅は一番えらい存在だった。母を助け、妹たちの面倒を見てきたのはこの自分だという自負も芽生えていた。姉がいるのを知ってはいたが、ともに暮らす日がこようとは予想もしなかった。姉が来るのだと聞いても、何を今さらという思いであった。嬉しくはなかった。


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