「嵐待つ」
作/こたつむり


〈第三部〉20p

  阿梅が大悲願寺に到着した時、ちょうど京から出入りの商人たちが大広間に入りこんでいた。
  寺を修築するために、やはり京から前日までに来た大工が何人も宿泊している。彼らのさらなる注文で商人たちが呼ばれ、寺内はさながら市場のような活況を呈していた。
「女ごは女ご同士」
  海誉上人はにこやかにそう言うと、阿梅の背に両手のひらをあて、戸のむこうにいるたつ女の方へ押しこみ戸をしめた。どの部屋も商人や大工でいっぱいなのだろう。仕方のないこととわかっていても、阿梅は海誉に、たつ女との抜き差しならぬ関係を説明しておきたいと思った。
  ここで寝るのだろうかと見渡すほど広くもない部屋を見渡してみたが、すぐにたつ女の目にぶつかった。その場にすわり背に担ぐ荷をおろしながら顔をあげると、やはりたつ女の目がそこにある。
  阿梅は閉口したがすぐに、
「先日は、ずいぶんとお世話をいただきまして」
  いやみったらしく声をかけた。
  いいえ、というように、たつ女も軽く会釈をした。つんとすました顎をもどすと、
「片倉様のご内儀が、私にご用でもおありなのですか」
  皮肉にみちた声で言った。
「ご内儀。そんなんじゃありません」
  阿梅はムッとしながら答えた。
「それに、あなた様に用なんかありません」
「そうですか。それは上々」
  なにが、じょうじょうだ。阿梅はそう思ったがそれには応えず、せっせと荷をひろげはじめた。いかにも自分はいそがしいのだという動作だった。反してたつ女は上体を庭にむけるや、身動きひとつせず、阿梅のあわただしい様子を冷たく観察しはじめた。
  着替えの衣服を出してたたみなおし、今わたされた木の椀をその上におき、たちあがって衣服の乱れを直し、懐にいれた路銀をとり出して確認すると、もうあとは、阿梅にやることはなかった。それでもたつ女の視線を感じるがゆえに、裾や袖をはたいたり指でこすったりして、一刻もじっとしてはおられなかった。
  田鶴は田鶴で、阿梅から目をそらせないような気持ちだった。阿梅のおちつきのない所作を不気味に感じた。いつ何をきりだすかと思うと、背を見せられないように思えた。
  阿梅は、たつ女がどこからか、自分がこの寺にむかっていることを聞き出し、先回りして待っていたのだと警戒した。
  田鶴は、阿梅がやはりどこからか自分の所在をつきとめ、意趣をふくんだ行為をしかけにきたのではないかと疑った。疑うほどに、再会する今日までの時の長さになんらかの計画性を勘ぐらずにはいられない。
  二人はどちらからともなく寝床を用意しはじめた。ほとんど同時に作業をおえ、床にはいり、横になった。相手が寝返りをうつたびに身構え、聞き耳をたてあった。どうやら今夜はここに泊まるらしい。それなら明日にするのだろう。今夜はいくらなんでもさけるだろう。そう思いながらも眠れなかった。
  大工や商人たちが宿泊の用意をしはじめた。めいめいが雑談する声、酒をくみかわす音などがその夜更けまで二人の女の部屋の中に入りこみ、天井に響きわたった。
  その中を二人は、向けあう背に意識を集中させ、やがて静けさがおとずれ夜明になってもなお、根比べのように偽せの寝息をたてあった。

  阿梅はここに来る前、半月ばかり江戸に居た。
  白石城を出てからは、原田宗資の船岡領に身をよせていた。はじめ、原田の好意をありがたくも訝しく思っていたのだが、彼が田鶴と縁組を予定していることを知り、婚約者の尻拭いとわかったので居直ることにした。ところがその直後、伊達政宗が江戸に出府することになり、原田はその供連れの一人に選ばれた。
  江戸には政宗の嫡子、忠宗が居している。政宗は今回、原田宗資をこの忠宗の側におく所存のようだった。
  そうなると政宗が仙台に帰っても、原田宗資は江戸にのこることになるのである。原田はそういって、阿梅を江戸にともなおうとした。
「そのことと私と、どういう関係があるのですか」
  厄介になっているのだからめったなことは言うものではないと思いつつも、つい聞くと、
「白石どの(片倉重綱)のお心にもなってみて下され」
  原田は困じはてた顔でそれだけを言い、大いそぎで阿梅に旅のしたくをさせた。
  言われるままにあわただしく船岡を発つと、馬にのせられて一度仙台にでた。仙台からは輿にのせられ、仙台湊から船につめこまれ、波酔いをくりかえしながら江戸に入った。浅草寺の宿場にある安い木賃宿にとめられ、
「よろしいか。二三日のうちに政宗公も江戸に入られる。もしたずねてこられてもお顔を出されますな。この宿からも出てはなりませぬ。おって白石どのも江戸にこられましょうから、そのおりには良くご料簡あって、せめて江戸の片倉屋敷にお引き取りくだされ」
  と、原田に言われ、ようやく納得した。そして自分が片倉重綱の白石城を出るということが、伊達家の家臣たちにとっていかに迷惑なことかも同時に知った。
  たしかにあのまま船岡領におれば、やがて仙台にもどってくる政宗に居所をつきとめられる可能性はないとはいえない。
「わかりました。江戸の片倉屋敷に身をよせます」
  阿梅は自分のほうから折れた。重綱にやがて迎えにこられるくらいなら自分の方から行って迎え撃ってやろうとその時は思った。
  阿梅のそういう言葉を、原田は破顔して聞いた。気前よく小者をつけ、江戸の雑踏の中をおくりだしてくれた。
  片倉屋敷には重綱のまだ幼い長子、小太郎がいる。家来数人と乳母、小者、下働きの女たちがついている。母親が亡くなったため、妹の喜佐だけが母の実家の針生氏にひきとられたときく。一国一城令が発布されてもなお、政宗の青葉城以外に城をもつことを許されている片倉家は、大名なみに肉親を江戸におかねば通らない。
  この幼い、片倉家の跡継ぎを一目見るなり、阿梅はこれを餌に江戸にいついてやろうと思いついた。小太郎にとって阿梅は継母という立場が近い。小太郎とともに江戸で人質をやっていればよい。
  しかしそうして過ごすうちに気が変わった。そのためには重綱と結婚しなくてはならない。どうしてもそれだけは避けて通れない。小太郎となじめばなじむほど、あとでこれを裏切るのだと思えて疲れた。重綱が今日くるか明日くるかと気をもむ自分にも嫌気がさした。
  重綱は忙しい。領内の仕置き、伊達家への奉公、幕府への配慮、片倉家の存続に奔走する。多忙をきわめる日々のほんのひととき、そういえばそんな一件もある、という程度の思い付きで自分を訪れるのである。
  一方、阿梅の脳裏には、重綱と体面したおりに発するだろう言葉と、彼からかえってくるであろう言葉のやりとりでいっぱいに満ちていた。一度は決めた方針が、時がすぎるうちにだらしなく変更され、結局は悩み、悩むことに疲れて、今ひとたび心変わりしそうな自分に焦った。これではまるで彼の訪れを待っているようではないか。
  ちょうどそんな矢先、江戸城に出入りの菓子商人から情報を得た。
  四月に亡くなった徳川家康の神号をきめるため、神仏をとわず宗教界のおもだった長老者が招集されることになった。その面々に、大悲願寺の住職、海誉上人が名をつらねている。菓子をおさめにいったおり、出入り門から使いの僧をおくりだしていたところに出くわしたと商人はいう。その使いの僧に、
「であいがしら、いきなり近所の薬屋の居所をたずねられましてね」
「お薬を? お上人様がご病気でも?」
「へえ、あっしもそう思いやしてね。もしお急ぎなら、顔のきく薬屋があるからそこなら夜でも開けてくれると教えてやったんですが、その小坊主さんは、和尚様にはお城で勧められた薬屋があって、顔をつぶすわけにもいくまいからそこに行きたいが、自分ははじめての御供でくわしい行き方に不安があると言いなさる。なるほど、ああいうご身分の方ならそんなこともあろうと思いやしてね。まあ、教えてやったわけで」
「それでは和尚様はお城で難儀なさっているのね」
「いや、ご病気は、お寺の方だそうで」
「お寺の? お名前をうかがった?」
「たしか、かいぜん様とか」
「まあ、回善様が」
  阿梅はひとしきり哀れを感じた。ここのところに嘘はない。
  徳川家康の死後、京から海路を江戸にのぼったが、江戸は通っただけで、すぐに武蔵の山深い里にある伊達家ゆかりの寺にうつされた。
  それが大悲願寺である。
  転々と移り住まわされた寺の中では、阿梅にとってもっとも居心地のよい場所であった。
「高野山に似ている」
  それがその一番の理由だったが、寺内の人々にもずいぶんと世話になった。その中でも、今病気だという回善上人はもっとも好ましく思える僧侶であった。
  しかしながら、
「小太郎どの。私はお見舞いにいってきますよ」
  というせりふを吐いた瞬間から、同情は口実にとってかわった。
「もう、二度とはせぬ」
  と小太郎は阿梅をひきとめた。背によじのぼられ髪の毛を数本ぬかれたことがある。
  不憫とは思いつつ、子供の執拗なまでに自分にむけられる数々の甘えに疲れさせられている。再び髪の毛をひきぬかれるまで待っているわけにもいくまい。
  こんなに辛抱がきかないのでは、子を生む女としては失格だろう。きっと望春院ならそう言うに相違ない。
  しかし、自分はもう子供も生まない。誰とも結婚しない。大悲願寺のつてで、高野山に未だ住まいする母の元にかえしてもらおう。せっかく仙台を離れたのだ。伊達領内にいれば、真田の姫と知られただちに拉致されて、青葉城か白石城につっかえされるに決まっている。


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