「嵐待つ」
作/こたつむり


〈第二部〉17p

  姉の芳乃に縁談がもちあがったころ、弟の宗根が養子に出され、それきりもどってこなくなった。
  母の香の前は以前にもまして口うるさく愚痴っぽくなった。今まで年端のいかぬ弟にばかりむけられていた日々の苛立ちが、すべて自分一人にむけられているようで田鶴にはやりきれぬ思いがあった。おまけに室内にしつらえてある仏壇の傍らには、いつのまにか、宗根の身代わりと称して地蔵が安置され、朝に夕に母の喧しい読経の声がおこった。いかがわしい旅の僧侶がどこに宿を得ているのか、半年にもわたって茂庭家の松山城に出入りしていた。
「母が子を思う心は天さえも覆うものがございます。その祈りが御子に通じましょう。そして、いつの日か仏道に入られるその時に、お子への煩悩に思い乱れぬためにも今の内に、存分に供養するのです」
  などと吹きこむ。
  後妻とはいえ、母は家老職家の女主人である。家の管理をほうり出し、前妻の遺児のめんどうも顧みずに通ってこれたそれまでの月日は、とりもなおさず、幼い子供の養育という大義名分があって成り立ってきた。
  田鶴はもはや目が離せぬほどに幼くはない。今ひとつ小さかった弟も他家に養子に出された。茂庭の家事に手を染められぬ理由はどこにもない。その母が、旅の僧侶などを家に呼びいれ、死んだわけでもない子の供養を面当てがましく行っている図は、子供の目にも異様にうつった。
「この家にいて跡継ぎになれぬのなら、どこぞ由緒のある他家へ……それも、伊達家と縁戚の間柄である家へでも養子に出してくれた方がまだよいと申したのはそなたではないか。それゆえにお館様(政宗)も、お心を砕いて下さったのじゃ」
  父、延元も困惑を隠しきれなかった。帰るなり、迎えにも出ぬ母の背によくこんな言葉を浴びせかけた。
  母はだんまりを決めこみ、何を言われても身動きひとつせずに地蔵にむかって手をあわせていた。いかにも、自分の中では一人息子は殺されてしまったのだと言うような頑ななふるまいだった。勤行は延元が帰城するや始まるように田鶴には思えた。
  母とは逆に、このころの父、延元は通常よりも饒舌気味であった。だまっている母に、
「それともそなたは、良元に跡継ぎの座を譲れとでも申すのか。それはできぬぞ。あと数年のうちに、わしとて隠居する。あれにはもうすでに、領地の仕置きや家臣の管理、家老の役割まで分担し代行させておるのじゃ。今さら年端もいかぬ子供に代がわりさせるなどかなわぬ話しじゃ」
「そなたに一言足らなかったのじゃ。茂庭でよいなら、良元の養子にすることとてできたものを。なれば、わしはすぐにも隠居する。良元にも、ほどほどのところで退いてもらい、わしの生きておる内にでも宗根に家督を相続させるという手段もあったのじゃ」
「亘理家は、政宗公の御祖父の代から分家した家柄じゃ。留守や国分など、伊達家より養子を出して跡をついだ家とはわけがちがう。れっきとした伊達親族の尊き筋目の家じゃ。茂庭などの比ではない」
「亘理は近い。会いたくなればすぐに会える。呼びよせるのは失礼にしても、そうじゃ、会いに行けばよい。いつでも行くがよい」
  言う内容こそ日によって異なるものの、そうして重ねる言葉の裏には、日ごろの父にはない、ややもすると必死のふるまいがあった。どうして父がそうまで母に認めてもらわねばならないのか、なぜ母を放っておけないのか田鶴にはわからなかった。
  思うような結果が妻から得られぬとなると、延元はきまって田鶴だけをさそって芳乃の部屋に行った。
  かわいそうに。行き場がないのだと思うと、暗い廊下を歩きながら、田鶴は体中からこみあげる同情で父の大きな親指を片手いっぱいの力で握った。そうした幼い田鶴に、延元は乾いた唇を結び、何度もただうなずいて見せる。その喉から一声も出ない様子を、田鶴は泣き出してしまいそうになる我を堪えて見守った。
「女の子はよい。女の子はよいな」
  芳乃に、双六をしてもらったり草紙を読んでもらったりして遊んでいると、時折、こんなつぶやきが父から聞こえた。
  そう。女の子である以上、たとえ母がちがっても自分は芳乃と同じように茂庭で育ち、父に愛され、茂庭から嫁いでいくのだと思いこんでいた。思えば弟が養子に出されたこのころ、まだ信じること待つことが苦にはならなかった。それが女に生まれた者の、自分や芳乃にゆるされた特権のように思っていたのだ。

  雪が溶けたあとは、よく晴れる日がつづいた。道もぬかるむことなく、むしろかげろうが地面ごと駆り立てるように空へのぼって、なんとも土臭い。
  大悲願寺をかこむ小さな村落から、ときおり村人が出入りする。
  作物でも納めにくるのか、彼らはきまって背に荷物をかついでいる。門をくぐり、乾いた石畳のうえに荷をおろし、逞しかったりかぼそかったりする膝をつく。寒空の下で、長々と地べたに座って、空に聳える寺の屋根を見上げたり、たいした手入れのなされぬ表庭を見渡して、たいていは門から見える縁側の田鶴に気付く。
  気付いて礼をする。手はつかない。武家の娘だとまでは気付かない。
  内部へのとりつぎを期待されている。そう察しつつも田鶴は無視する。そのくせ縁を立ち上がりもしない。太陽のふりそそぐ門の内側で、距離をはかりそこねて喧嘩にも求愛にもならなかった二匹の猫のように、各々あらぬ方向を見つめながら座りつづける。
  そうして、いつも村人の来訪に気付くのは、どういうわけか秀雄なのである。
「そこは寒いから、遠慮せずに上がりなさい」
  一言のもとに彼らを引き上げる。
  村人は立ち上がり、たいそうありがたそうに秀雄に頭を深く垂れ、ついで田鶴に一瞥をくれてそこを去る。
  なんだ、あの女は……。そういう目である。
  そんなことのあった直後だった。原田左馬助宗資が突然やってきたのだ。
  頼もう、と呼ばわり門を入りあぐねていたものの、田鶴を見るや、枯れ腐った草藁をまたいで縁近くまで踏みいってきた。
「お一人でいらっしゃいますか」
「原田様も」
  田鶴は笑みをこぼした。無粋にも無礼にも思える所作ではあったが、原田の取り乱しようが不思議と田鶴には不快ではなかった。
  原田は人目をはばかるように、ここを上げていただきたいとささやいた。
  田鶴は素直に、どうぞと会釈して先にたちあがった。部屋に入ろうとしてふりかえると、原田が雑草の中を泳いでいるように見えた。
「どうなさいました」
「いや、草履が」
  草むらの中に落としたのだろう。ずいぶんな慌てようである。
「見付かりませんか」
「もう結構です。それより」
  手を貸していただきたい、と無遠慮に原田は言った。そういわれてみれば、原田は見てくれのわりには背が低い。
  さすがに田鶴は躊躇した。上がりにくいから、何気なく言ったことなのかもしれないが、男性にこのようにふるまわれたことが田鶴にはない。
「ご無礼つかまつった」
  原田はすぐに田鶴の戸惑いに気付き、ぼそぼそと縁に近寄り両手をつくと、えっ、と気合を入れておのが身体をもちあげた。
  縁にあがると、原田は胸元から懐紙をとりだした。指先をそろえて額と鼻をおおうと、ひと呼吸おいていっきに顔中を拭った。
「今、水を、それと布を持ってまいりましょう」
  気をきかせてそう言うと、原田は、いや、と首をふり、
「それより、本当にお一人でいらっしゃるのでしょうね」
  性急な物言いになって、田鶴に詰め寄った。
「どういうことでございましょう」
  なんだか厭な思いになり、
「どなたが、ここにいればよろしゅうございますか」
  案のじょう原田の目は、田鶴の肩ごしに、あきらかに特定の誰かを探しはじめていた。
「失礼ではありませんか。いったいなんです」
「無礼は承知のうえです。隠し立てなさるとお為にはなりませぬぞ」
「何を、どなたをお隠ししたと言うのでしょう。言い掛かりはおやめ下さい」
  原田は肩をいからせて田鶴を睨んだ。本当のことを言っているのかどうか、この目でたしかめてやる。そういう睨みかただった。やがて思い切ったように、
「真田家の姫です」
  と彼が言ったのには、田鶴も肝を冷された。


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