「嵐待つ」
作/こたつむり


〈第二部〉13p

「ほお」
  海誉は、やはり頷きながら、
「さよう。北条家はそれ以来滅んでしもうての。栄枯盛衰の定めとはいえ、おいたわしゅうござる。しかしその後は、徳川家が無事に治めてくださる世の中となりもうして……」
「お待ちください」
  過ごされまい、と田鶴は声をあらげて制し、
「さきほど私が御名をあげた小次郎君とは、その、小田原合戦のころに伊達家から姿を消された方にございます」
「ふむ」
  海誉は首をかしげながら、
「そのようにござるな」
「ご存じでございましょう」
「存じおる。しかし……」
  海誉が手をのばして田鶴の茶碗をとりあげかけたそのとき、
「わしが伊達小次郎であったなら、なんだと言うのだ」
  竜雲がはじめて声を放った。地下に誰かいたかと思うような底響きする声であった。
「田鶴どの」
  海誉は面を伏せて、そうした竜雲を見ない。
「小田原の戦のおり、なにゆえに北条軍が敗北を喫したか、こなたはご存じでござろうか」
  一段と声を落とし、つづけて、
「小田原では援軍を待っておった。来もせぬ援軍を、と世間では今でこそ笑う者もおろうが、当時はそう約する御仁のありもせぬ誠意を、それこそ藁にもすがる思いで待つことに懸けていたのじゃ」
「伊達家のせいだと言われるのですか」
  田鶴は青ざめた。たしかに伊達と北条は盟約をかわしていた。ゆえに当初、政宗は秀吉の北条討伐に従わなかった。それを瀬戸際にきて秀吉の威圧に屈し、遅ればせながら小田原攻めに参加したことは有名である。北条への裏切りにはちがいない。
  背筋まで寒くなる思いであった。十九年の生涯で、伊達家に恨みを持つ人間を初めて見たと田鶴は思った。
「そうではござらぬよ」
  海誉は穏やかに言った。
「ただ、なんの故あって、政宗公の弟君などというお方を当寺がお預かりいたさねばならぬのか、よくお考えあれ。今ならともかくも、小田原落城のみぎり、当寺がどのような立場、心情にあったか、こなた様にはおわかりになられぬか」
「それゆえにこそ」
  言い出した理屈は、本人の田鶴ですら驚くべきことであった。
「小次郎君を、政宗公を廃し、一族家来が擁立をもくろんでいた小次郎君を匿われたのではないのですか」
「笑止」
  海誉は呆れたように笑みこぼし、首をふって相手にしなかった。
「いいえ。伊達政宗を本当に恨むのなら、政宗に敗れた小次郎に同情があっても良いはずです」
  大悲願寺という一風変わった寺の名に、田鶴は以前から魅かれるものを覚えていた。
  政宗は、伊達とその家臣団をまとめあげ、蘆名、大崎、佐竹、最上、相馬などととも苛烈に戦ってきた。侵略が目的としか思えぬ戦のためにも、おびただしい血が流れている。蹂躙された土地からは、自分たちと同様に関東の地をも荒らしまわってくれという要請が日増しに大きくなった。
  それは、長きにわたって踏みにじられつづけた土地の者にしかわからぬ歪んだ心境によろうか。
  強い風なら仕方ない。自分の稲だけがたおされるのは許せないが、全国の作物が被害をうけたのならあきらめもつく。それは人のしわざではなく神のせいだからだ。政宗を風と思い神に仕立てて、むしろつけられた傷を誇ればよい。自分を力ずくで犯した男に、せっせとつくして貢ぐ女のように。
  しかしそういう卑屈さが、田鶴にはどうしても受け入れられない。
  政宗が小田原参陣に遅れをとった原因は、暗殺されかかったからだという。暗殺しようとしたのは、政宗の母、保春院だったが、それを指示したのは保春院の兄、最上義光だったと言われている。政宗には伯父にあたるこの隣国の領主は、自分とそりのあわぬ政宗より、同じ甥なら、まだ幼いほどに若い政宗の弟、小次郎を伊達家の当主にしておいた方が良策と思った。
  北条を平らげたあと、さらに大きくなった秀吉の牙が奥州にむけられることを見越して、伊達を懐柔しようとした。
  ところが暗殺は失敗に終わり、その容疑で弟の小次郎は殺された。
  その墓がない。兄殺害未遂の罪深さゆえに埋葬を許されなかったのだという。
「この世のどこかに、生きて、ずっとずっと生きておられる。私はそう信じて今日の日を迎えました。お願いです。本当のことをお打ち明けください。これは誰かに頼まれたことではありませぬ。伊達家からの指図などではないのです」
  ごとりと茶器が転がりおちた。
  海誉がさしだした二杯めの茶を、こともあろうに田鶴は撥ねつけてしまった。
  海誉がころがる茶器をひろいあげた。すると、呼応するように、ふふふと小さく渦巻く声が竜雲からおこった。
  三人居合わせるには、息も触れあう密のすぎる空間で、彼の発する笑い声は、皮膚を揺さぶられるほどに不快な響きがあった。
  田鶴が、思わず躙口に手をかけようとすると、もう片方の腕をつかまれた。
  振りかえる間もない速さで後ろ手にまわされ、畳のうえに踏みしだかれた。空転する天井がようやく目にとまるや、それを遮るように竜雲の顔が目の前を塞いだ。
  かぼそい悲鳴が田鶴の口からもれた。
  逆光で気づかなかったが、竜雲のあごより下の皮膚はいちじるしく変色し、首から背にかけては、一本に引き絞ったような目の粗い傷がくっきりと走っている。
  これを見せようという意図だけはわかった。そして、わかったことを伝えるために、何度も床におしつけられた首でうなずいて見せなくてはならなかった。
  海誉はおちついていた。竜雲の行為を咎めも止めもせず、しかし、ひっくり返された虫けらのように手足を縮ませている田鶴に素早く両腕をさしいれ、ふるえる背をさすり起こしてくれた。
  正面から見る竜雲は仏像に目鼻立ちがにていた。道具がどれも大きく、輪郭はつくったようにきわだっている。整いすぎてかえって均衡のとれぬ唇でつめたく笑い、背をかがめて田鶴を無造作に踏みこえ、躙口を出ていった。

  政宗が松山城をおとずれたのは、七ヶ月前の五月であった。
  田鶴は母とともに政宗の接待をつとめたが、政宗にはずいぶんと前からこの日のために心づもりがあったと見えて、その前日から、大勢の侍女たちを青葉城から送りこみ宴の差配をとりしきらせた。
  元々、政宗には、家臣やその家族にたいして奇妙に気のきいたところがある。しかしこのときのこの好意は異例中の異例であり、父、延元も母、香の前も感激のあまり、政宗の到着時には主君の顔をあおぎみるや落涙をもよおすほどの興奮状態となった。
  政宗はこのとき、城主、延元にはうなずいてみせただけだが、むせび泣く香の前の姿を見てとるや、その手をおのが両手にとりあげ、
「そなたの意趣を今こそ晴らしたぞ」
  と、声をかけ何度も意味深に彼女の手をなでた。一見、なんのことかわからぬようにふるまいつつも、そこに居並ぶもの全員が、大坂の陣終結の報告と察した。
  田鶴の母、香の前は、元は豊臣秀吉の側室であった。それを秀吉が賭博で負けて茂庭延元にうばわれた。香の前にしてみれば、酒がらみの席上とばくの身の代にされたあげく、太閤秀吉の側室という立場から臣下のそのまた家来のなぐさみ者へと転落させられたのである。
  政宗はこれを哀れに思い、
「延元では、その手合の気づかいがいたらぬにより」
  つまり女ごころに疎いだろうからということで、今までも何かれとなく香の前に対する心づかいが行われてきた。
  延元との間に田鶴が生まれれば自らの異名である独眼竜から竜の字をとって「たつ」と名のらせ、田鶴に弟が生まれるや我が名の一字を与え、しかも奥州の地に根づくように「宗根」と名乗らせることが、元服をはるか前にして決まっていた。
「たつ」の方は、父延元が政宗に対しあまりにおそれ多いと、ひっくり返して「つた」と呼ぶことにしたが、主君のせっかくの好意であるからと、母は内々に「田鶴」という字をあてて呼んだ。鶴はめでたく長命の生き物ではあるが、その神格性において竜には劣るから、政宗の一族に対しても、これなら失礼にはあたらないというのが母の言い分であった。いかにも都ぶりで、こうしたところが政宗には気に入られるのだろうが、田鶴には、母の才気走りに思えて嫌悪があった。
  しかし、こうした政宗の後押しの結果、延元の正妻が他界するや、香の前は後妻とはいえ、茂庭家正室の座についたのである。香の前の政宗への心酔は絶頂をきわめ、それがひいては茂庭家の伊達家忠誠へのてこ入れにもつながったのだから、政宗にとって損はなかった。

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