「嵐待つ」
作/こたつむり



〈第二部〉12p

  唇をとがらせて田鶴は突っ返す。片足の先を、もう片方のふくらはぎに当てたが僅かほども温まらない。
  雪の上に一歩でもおろす気にはなれない。田鶴は両手をのばして縁にすがりついた。痺れきった両足をひきずりながら戻ろうとすると、
「海誉和尚なら、つきあたりの茶室にいらっしゃる。いったん外に出なさい。茶室は躙口からしか入れない」
  意外なほど近くで声がして、田鶴を立ちすくませた。声の主は、田鶴のいる縁を端までいった下から、ぬっと姿をあらわした。
  朝粥の膳をすすめてくれたあの青年僧だった。袈裟のかわりに野良着をつけ、そのまわりじゅうから埃をかぶっている。
  田鶴は縁にはいあがり、まずは両手をあてがって存分に足を温めた。言われたとおりにひき返して玄関に出ると、柱に草履が大きく束ねてぶらさげてあるのが目に入った。その一つをほどき、足にひっかけてからもどってくると、庫裏の角に青年僧が先まわりして待っていてくれた。
  玄関を出ると、南側に面した庭は、半分が畑に、残りを花壇と物干し場に仕切ってある。どちらも雪が払いのけられて朝日を浴び、槐の木陰には、大小ふたつの雪だるまが土の斑点を含んだまま並んでいる。
「この冬、はじめて積もった雪だから、みな珍しがってかような物を作りたがるのじゃ。このあたりでは積雪はめったにない」
  田鶴が近付いてくるのを確かめると、彼は埃を両手で勢いよく払いながら、
「履物が二そろいあるから、きっとお二人いらっしゃるのだろう」
  先に歩きはじめてそう言った。
「回善様とご一緒なのですね」
  冬日に踊る埃に息をとめながら、田鶴が念をおすと、彼は、
「いや、回善様はご病気で寝付いていらしゃるから、とても人に会える状態ではない。きっと、茶のお相手をつとめておられるのは竜雲様だと思う」
「竜雲様?」
「そう。昨夜、そなたの尋ね人を思いあたらぬかと聞いてはみたが、この寺には見当たらなかった。唯一名乗りでたのが竜雲様だけであったので、海誉和尚様が伴われておられる」
  意外な答だった。田鶴は、
「私のさがしているのは秀雄という名のお坊様です。いろいろと調べているうちに、回善様がその名を漏らしたことがあると伺いました。回善様がここにおられないのなら、もうお一方は秀雄様ではないのですか」
  もう茶室まで来てしまっている。
「秀雄というのは私の名だ」
  くるりと振り返って彼は答えた。
  えっ、と田鶴は瞠目した。
「ただ、私はそなたの訪ねる人とはちがう人間だろう。私が伊達様からのお布施や頂戴物などを受け取る係なので、私の名がそなたの耳に届いたのかもしれぬ」
「でも、あなたは陸奥守様の、伊達政宗公のご舎弟なのでは」
「ちがう。この寺には戦災孤児ばかりが収容されておるということで、引き取り手の情報などがずいぶん乱れとんでくる。こちらもそうなのだから、寺の外にもそうとういいかげんな噂が漏れているだろう」
「そんなことが……」
「よくある。さきほどの僧侶も親に生き別れたまま何年もこの寺におる。外から人がたずねてくるたびに、もしや親類縁者では……と、寺じゅうが色めき立つ。しかし、宛はずれが多い」
「でも、私は秀雄様と申し出ました。どうして昨日のうちに教えて下さらなかったのですか。私が誰かご存じなかったのですか」
  いっきに質問を浴びせかけられて、秀雄と名乗った僧は困惑した。
「茂庭延元様のご息女とか」
  そう確認しなおす彼からは、どこをたたいても何かをかくしているようなところは感じられなかった。田鶴は青ざめた。
「それでは、竜雲様とおっしゃる方は」
「さあ」
  首をかしげてから、秀雄は、
「竜雲様は確かに武家の出でおわすが、伊達家にゆかりの方と伺った覚えはない」
「いつからこちらにおいでなのでしょう」
「私は物心ついた頃から、ここの僧侶であるし、竜雲様もずいぶんと昔……たしか、小田原落城のころからいらっしゃる。北条家ゆかりの方ではないかなどと言う者もおるが、お身元のほどはわからない」
  そこまで答えると、あとは田鶴にかまわず声をはりあげ、
「和尚様。秀雄でございます。昨夜からお泊まりの客人をお通しいたします」
  茶室にむかっていっきに言った。

  茶室では、海誉和尚が亭主をつとめていた。
  当座の二人の間に暗黙のうちに序列が成立しているのを、田鶴はくぐり戸に頭をさしこんだ時点で嗅ぎとった。
  手前に端座している竜雲とおぼしき僧の方が圧倒的に格が高い。
  背を、低い天井にむけて柱のようにつきたて、田鶴が礼をしても身動きひとつおこさない。病的なほど尊大である。
  たいして海誉和尚は肩が円く、驚くばかりに小柄な老僧で、茶をたてる動きのひとつひとつに入念な謙遜がこめられていた。
「たつどの……と申される」
  そうな……と語尾をのみこみながら、海誉が手をさしのべると、田鶴は、
「小次郎様でいらっしゃいますか」
  はっきりと言って、竜雲の顔に目をあてた。
  竜雲の目はまばたかず、しかしなぜか、見詰める行為のどこかに、ぽっかりと穴が空いてしまっているような印象を田鶴に与えた。
「田鶴どののおっしゃるのは……」
  海誉はおっとりと、
「伊達陸奥守様(政宗)のご舎弟とか」
「そうです」
「まずは」
  軽く裾をおさえ、海誉は手をさしだして茶をすすめる。ふわりふわりと漕ぐように背を浮かせて間を保たせ、田鶴に場を仕切らせない。
  相手は茶の道に長い。田鶴はしぶしぶとひざもとの青磁を手にした。
「この大悲願寺は、建久二年、源頼朝公の命より醍醐三宝院の澄秀僧正を開山として建立されもうした。それより以前には、聖徳太子の全国行脚の際に草庵を結んだなどという伝説もありもうしたが……」
  いきなり寺伝がはじまった。
  話が鎌倉時代を終え、南北朝、室町期を経て、後北条氏の加護によって寺運が成り立つあたりまでを辛抱強く待ちながら、田鶴はときおり、竜雲の様子を垣間見た。
  そしてそのたびに、竜雲のほうでも自分の様子を伺っている、いや、瞬かぬその目に激しい熱をこめて、自分をむしろ凝視しているのを知った。
「戦乱の世に、この寺はずいぶんと傾きもうした。寺の山道をのぼれば、甲斐に至る山越え筋がほうぼうにござる。武田家ゆかりの人々が隠れひそむたびに、その追っ手が寺内を詮索する。落人も探索の人も、あたりかまわず付近の農作物を食い荒らす。寺は北条氏に恩顧を得ているのだが、このすぐそばの戸倉城が武田方に内応したりしての。なだれこんでくる人々を、誰が敵で誰が味方かなどと料簡いたす暇とてない。病人もおれば盗っ人もおる」
  北条一族の支城があった桧原も近い。一族の氏照が、小田原落城のあと、北条氏滅亡の間際まで立てこもった要の城山である。
「ようように落ち着きを取り戻したは、すべてこの陸奥守(北条氏照)どののお陰でござっての。野盗、浪人ものの類いの横行するを、時におうじて手の者を遣わして追い払うてくださった。それゆえに、この竜雲のようなご家来衆の御子を寺では引き取り……」
「それゆえに、北条家ゆかりのお方だと言われるのでしょうか」
  その辺で、田鶴は水をさした。放っておけば、いつまで続くかわからない。
「いかにも」
  海誉はうなずく。自らも茶器を手にとり喫した。
「さきほど、秀雄さまから」
  田鶴は眉を吊り上げながら、興奮を抑えた。
「竜雲様は、小田原落城以来、僧侶におなりあそばしたと伺いました」


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