「嵐待つ」
作/こたつむり



〈第一部〉10p

「ちょっとお待ちなさい。誰がそんなことを言いました」
  果して望春院は、話がちがうという具合に言いかけたが、阿梅は容赦しなかった。
「敗軍の将の女なら、どんなことをされても我慢しろとおっしゃるんでしょうか」
「何をされました」
  阿梅は原田の見ている前でもおかまいなしに片足を立て、その脛をまくって見せた。くるぶしから膝小僧にかけて、ぱっくりと斜めの裂け目が入っている。雨の馬上、鞍に押し付けられ引きずり出されたためについた傷だ。踵に近付くほどに、傷の周辺が青黒い。
「それがなんです?」
  殊更に冷たく言い放つ望春院の声も、さすがに震えた。
「田鶴どのに怪我を負わされました。今はふさいでますが、当時はそれはひどいものでございました。跡が残るやもしれません。なにゆえの怪我かは原田様がご存じです」
  原田は棚のひしゃくをひったくり、戸外へとびでていった。自分は用があるから呼びとめないでくれと背中に言わせている。
「伊豆守には伊豆守の考えがあったのですよ。あなたはまだ幼くて何もおわかりでないでしょうけど、伊豆守がどれほどあなたを大事に思い、守っていこうとご決意されているか、この私にはよくわかりますよ」
「ちっとも守って下さらなかったわ。そうじゃありませんか」
「だから、考えがあったのですよ」
「どのようなお考えでしょうか」
「それは知りません。ただ、あなたが下手に抵抗なさらなければ、こんなことにはならなかったはずです。ええ、そうですとも。真田どのの娘ごなら武将に知略謀略があるのをよくご存じでしょう。取られたと見せて奪い返す。真田家得意の戦法じゃありませんか」
「私は城や砦ではありません」
  望春院は額に皺をよせて黙った。くだらぬたとえをしたと自分でも思ったのだろう。後家にふさわしい敗将連れの娘と侮ってしまった悔いが、今さらに敵の真田をもちあげる卑屈さにつながったと気付き、自分を恥じているのかもしれない。
「帰ります」
  腹立たしそうにそう言うと、望春院は立ち上がり、すそを裁いて囲炉の脇を慎重に通って外に出た。
「なんて強情なのでしょう。原田どのもご領地におもどりください。こんな小娘にかかわっているお身柄でもござるまいに」
  聞こえよがしに捨てぜりふを投げた。そのあと、自分でよこした下働きの少女に長々と小言をくれているのが聞こえたが、こちらは何を言っているのかわからなかった。おそらく、阿梅に迫られるままに重綱とたつ女の噂を教えたことを怒られているのだろう。
  そのようにして、自分の耳に何ひとつよこさぬ用心をされてきたという実態が知れるほどに、阿梅の勘にきりきりと障った。急に立ち上がるや、怪我をした足を引きずりながら煙りよけに設けた例の小窓に近付き、音をたててしめてやった。
  夫になる人間の風聞など当然に知るべきことであって、何もこそこそ聞き耳たてて知ろうとは思わない。そうした幼い意思表示だった。

  阿梅の胸に去来したせつなさは、夜になるといっそう増した。
  今の身の上もみじめだったし、望春院とやりあってしまったことも辛かった。しかしつきあげてくる思いの中には、一時のこととして片付けられぬ重みが隠されていた。
  父のことを知らない。
  この伊達家中で噂される真田幸村を、自分は見たことがないという思いがあった。
  望春院の言うとおり、人里離れた山奥に暮らした。それでも幸せにすごしたと思ってきた。それが突然に住居を転々とさせられ、父の命で片倉家に預けられた。この上は片倉小十郎の妻となり、その子らを育てて伊達藩の支えとも柱ともなる覚悟は阿梅なりにあった。ただ、その裏に合わせるものがない。
  女の価値が、その家柄によって決まることに今さら異論はとなえまい。しかし自分の生まれ育ちには、家柄にまつわるものは何ひとつ備わってない。隠居暮らしにあけくれる祖父昌幸と父幸村には、いつも自分には理解しにくい武将としての一面が隠されてはいた。そこに触れる事の許されない自分を寂しく思うことも無くはなかった。
  が、だからと言って、それをついに探りだし目にしたことは一度もなかった。そうした部分は兄の大助がすべてうけついでいるように思えたし、それでいいのだとも思ってきた。
  そうして今、兄も父もこの世をはなれ、自分には真田が何なのか教えてくれる者はいない。毎日を片倉家で、真田とはこうだ、真田の娘ならこうしなくてはならぬと言われるいちいちが阿梅にとって肌にあわなかった。たとえそれが、重綱の真田家に対する気負いゆえであったとしても、威張ってよいのは父であって自分ではない。ついにはそうして押し付けられる真田式を、そうと受けとめていくしかなくなると思うと、この先がどうにも生き難かった。
  別れの朝、高野山は一面の霧に包まれていた。その中を青白い顔の父と、真っ赤に目をはらした兄の二人がほとんど無言のまま家を後にした。黒々とした常緑樹の森にとうとう彼らが姿を消した時、阿梅は母にどんなに叱られても泣くのをやめられなかった。森をいつまでも見詰めながら、名をあげひとかどの地位を得るためなのだと、言葉をつくされるほどに、彼らが死にに行くのだと思いきわまった。その後、大坂城を見ても真田の武功を聞いても、あの朝に何もかもが終わってしまったのであって、今後の自分になにか取り返せるものなどないように思ってきた。
  しかし白石城に来てからは、そのように達観しては過ごせなくなった。精一杯に想像をふくらませ、合戦の様を思い描いても、大坂城の軍議の席上で、冬の真田丸で、夏の道明寺口で、華々しく活躍する騎馬武者の兜の中に、父や兄の顔がどうしても入ってこなかった。それは、田畑を耕し紐を編み、佃煮を作る自分や母を手伝っていた彼らではなかった。今の孤独の全てが、あまりにも長閑に過ごしすぎた自分への罰だとさえ思えてきた。
  大坂の陣に散った父と兄が、今に「日本一のつわもの」と評されることが子としてうれしく、誉れにも誇りにも思ってきたが、そのことと自分の縁談とは分けてほしかったと、父が恨めしかった。父にまで、見苦しく生き残りたい娘と思われていたのかと口惜しかった。直接あって抗議したかった。愚痴のひとつも聞かせてやりたい。しかしもうこの世にいない。この一年、気強く突っぱねてきた父の死が、今こそどうしようもなく阿梅に迫ってくるのだった。
  父と片倉家とが最後の最後まで敵味方であったということもやりきれなかった。娘の自分を人質に、父が徳川がたに寝返ったのだと思いこみ、まるで両家の橋渡しのような気負いを胸に伊達の陣営にはこばれていったあの夜のおめでたい自分が思い返される。
  自分の輿入れが何か家族の役にたつような性質のものでない事も、ひどくむなしかった。そして同時に、重綱を望春院を、あるいは伊達政宗をも怒らせたところで、誰かを困らせるとか何かの面目がつぶれるなどということが自分にはありえないのだ、というふてぶてしい思いが広がった。
  一日おきに原田はやってきてくれたが、会うや、今日は白石城に戻るかそれとも明日にするかと催促した。
  ここには長くいられないという焦躁感とともに、戻りたくないとわざわざ口にせねば今日一日とて安泰にはくらせぬ我身を今さらに知らされた。しかし言葉とは不思議なもので、白石城には戻らない、戻りたくない、片倉はいやだと重ねていくうちに、阿梅の心にある考えが焦げ付いた。それは日に日に薄れていく脛の傷とひきかえに、空虚な生活の中で徐々に目立っていった。
  自分は心のどこかで片倉家を許していないのではないか。
  それは浮かぶごとにとんでもない発想であったが、一度そう思うとどこかに納得してしまう自分があるのも否定できなかった。
  片倉だけではない。伊達も、伊達をふくめた徳川体制をも憎んでいるのではないか。
  しかしそれはちがうと首を振った。なじめない環境を否定するため、孤立感を正当化するための単純な対立意識にすぎない。伊達や片倉より、おのが生家の真田の方が上だと思うことで孤独な自分をより高い位置におこうとしているだけだ。
  心のよるべき生家を滅ぼされ肉親を殺された。その仇を討とうと思う。それは持とうと思えば阿梅にとって、あまりにも手近にある美意識だった。落ちてはいけないと強く念じると、かえって足元を吸い込んでくる谷底がそこにはあった。
  それはいつまでもポッカリと阿梅の胸に残り、おりあらば誘いかけてくるのだった。

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