「嵐待つ」
作/こたつむり



〈第一部〉9p

「本当ですか」
「本当です。しばらく気を失われて、しばしば寒がっておられた。お城に戻りたくないとおっしゃいました。それから再び気を失われました。それだけです。きっとすぐに暖をお取りになりたかったのでしょう。そう思ってここにお移ししました。もっともお城に戻られるほうが近かったかもしれませんが」
「ここはどのあたりですか」
「伊豆守様の御領内です。以前、こちらを頼りに狩りを楽しませていただいたことがございます。ここなら当座をしのげると踏んでお連れ申しましたが、冬場しか使わないようで食糧などがございません。嵐が落ち着きましたら出向いて、近在から調達してまいりましょう」
  阿梅は軽く礼をした。迷惑とはわかっていたが、そうしてもらうより他に方法はない。
「あなたは私をご存じだったのでしょうか」
  なぜはじめから自分の名を呼ばわって追い掛けてきたのかを知りたかったのだが、
「真田様のことは、よく存じあげております。この仙台で知らぬ者などおりますまい」
  聞きたいこととはちがう反応をしめされて、阿梅はふと気を変え、
「父のことを、どのようにお聞きなのでしょう」
  促してみた。
  大坂において、伊達と真田が決戦をとりおこなったのは夏の野戦のおりで、伊達軍は道明口の陣をうけもっていた。真田軍はおもに歩兵部隊でたえまなく挑み、対する伊達軍は、得意の鉄砲騎馬隊で猛攻を防いだ。
  何度も重綱に聞かされた話しが終わり、そのうちに聞いたことのない逸話がとびだしてきた。
  伊達の陣営が真田幸村隊につきくずされ、あわや敗退のうきめをくわされかかったことを阿梅ははじめて聞いた。徳川家康の本陣に、父、左衛佐が単身で切り込んだという一件を、阿梅は散り散りになる真田軍のやぶれかぶれの策のように思ってきた。が、幾重にも波状攻撃がくりかえされたというその様には、単純に決死の覚悟ではなしえない層の厚さが内包されていた。
  出会ったばかりのころの重綱を思いおこされる。
  敵ながらあっぱれ、などという余裕があの陣幕には欠けていた。
  あれは恐怖だったのだ。阿梅はそう思い、真田が偉くて、その主である豊臣が鼻先で笑われてよい理由は、こんなところにあったのだとようやくわかってきた。今でこそ鬼などと賞賛される重綱も、駆逐される伊達軍とともに散々に逃げまどったようである。
  原田は夢中になって話しつづける。途中で屋根に穴があいたかと思うほどの衝撃が伝わり、阿梅が、
「なにか落ちたのではないでしょうか」
  外の嵐を案じて言っても、原田は風がおさまったら見に行くとだけ答えて真田軍記を奏でつづける。
  聞いているうちに、彼の話しは阿梅の武勇伝にまで至った。
  白綾のはちまきを締め白柄の長刀をたずさえ、父の遺志を胸に秘めた阿梅が白馬で敵陣にのりこみ、ついに片倉陣を見事さがしあてた、という。
  それだけではない。
  伊達家にひきとられた後も、数々の策をこうじて徳川幕府の追っ手をあざむき、痛快な脱出劇を演じて仙台の地を訪れた、そうだ。
  どうしてそういうことになってしまったのかは知らぬが、事の真相を知り抜いている重綱が、偽りを正さなかったために語り継がれていることだけは明白だと阿梅は呆れずにはいられない。こうした物凄い嘘がすべて奥州人の騙り癖によるのだとしたら、それはすばらしい想像力と思ってやってもよい。
  しかし、重綱だけは別だ。裏では自分に押し付けがましく日々を仕付け、人前では伝説の女丈夫を妻に得たと得意になっているのかと、腹わたが煮えくりかえりそうになった。
  それはまるで、たつ女のようではないか。
  阿梅はそう思った。そして、自分にとっては鬼のような存在が、この地域においては賞賛される対象なのかもしれないと思うと、胃が痛くなりそうだった。
  今度こそ片倉様の番なのです。
  たつ女はそう言った。意味がわからず心からそれていたが、今ごろになって阿梅は思い出し、ついで背筋の寒気がよみがえってきた。
「原田様は伊豆守さまのお指図で、私を追ってこられたのでしょうか」
  ついに話をさえぎると、原田は正気にもどったように、
「いえ、まだお会いしておりません」
「なぜ、あなたが助けて下さったんですか。船岡って近いんですか」
「たまたまこちらに伺ったのです。嵐の状況をお知らせに。それと……」
「それと?」
  阿梅が問い返すと、原田は一気に顔を曇らせ、他に誰かがいるかのように声を落とした。
「実は田鶴どのがこちらに来られていることを道中に知りました。きっと姫様を見にいかれたのだと察し、少々気になって」
「どういうことですか。なぜあの人が私を『見に』来るんです。そうおわかりになったんです」
  阿梅は我知らず身をのりだしていた。
「やはり、阿梅様が伊豆守様のご内儀になられるという噂を聞かれたからではないでしょうか」
  原田は格別に詮索じみた様子を見せずに、さらりと応えた。
「どうしてそれで、私を『見に』来るんです? わざわざ松山から」
  松山は茂庭家の持領である。
「片倉さまと田鶴どのの話しはお聞きでございましょう」
「いいえ」
「ご縁談のことでございます」
「縁談?」
「いや、破談と申しましょうか」
「破談?」
「あ……」
  ようやく原田は黙った。しかし口だけが壊れたように開いたままである。餌を貰い損なった犬さながらに、毛皮にくるまれた大きな肩に首を縮めいれ、先程なにか落ちたようですから見て参ります、と口走って瞬く間に座を立った。
  出て行く原田のうなじに、三、四本のひっかき傷が見えた。阿梅は、自分がやったのではないかと聞きそうになったが、やはりこれも知らぬほうが無難だと思い直し、やめた。

  望春院には会いたかったが、重綱には会いたくなかった。
  知るほどにたつ女と重綱の縁談と破談の話は有名だった。それをまるで教えてくれなかったばかりか、そうした相手に要求されるまま自分をひきわたした行為が堪忍できなかった。
  教えてくれたのは、原田から連絡をうけ白石城から遣わされた下働きの少女だった。はじめ、なかなか口を割らなかったが、阿梅がすでに原田からおおかた聞かされているとうそぶくと、この先の気詰まりをおもんぱかったのか、知っているかぎりの噂を話してくれた。
  三日目になって、ようやく望春院がむかえにきた。
「そんなに気強くふるまうものではありませんよ」
  腹をたてている。
「ご自分の身分をおわきまえなさい。今やあなたの帰る所はあすこだけではありませんか。それとも我家にはもう戻らないとでも仰せですか。世間を何もご存じでない、高野山の山奥でお育ちのあなたには、私や伊豆守のような者がそばについていろいろと教えてさしあげるのがいいことなんですよ」
  くどくどと言われたが、阿梅はそっぽをむいていた。しかし、こんな獣臭い山小屋に、出家した貴婦人をよびだしたりして申し訳ないという気持ちもあり、
「田鶴さまのことをうかがってもよろしいでしょうか」
  思いきって言ってみた。
  茂庭家は、伊達六十万石騎下において最も有力な筆頭家老職にある。今なお健在の茂庭延元は、亡き片倉小十郎景綱とともに、藩主伊達政宗を幼少のころから支えてきた大人物であった。思えばこの、伊達家きっての重臣家同志に縁談がおこるのは少しもおかしからぬことであり、そも、重綱がこの年頃まで妻帯せねば、はじめからたつ女に白羽の矢がたてられていたかもしれぬ。それを蹴らせてまで敗軍の家系から嫁げば、片倉家にとって災いの種になるのではないか。阿梅は、まずは遠慮ぎみにそう持ち掛けてみることにした。すると、
「田鶴どののことは、むしろこちらがへりくだってお断りしたのですよ。茂庭家には他国から縁をもちこまれるほどに御名が高い。なにしろ豊臣の亡き太閤殿下から、そのご側室を拝領されたほどですからね。お館様が江戸へご出府ある時には上様(徳川秀忠)から同行を命じられることも多いと聞きます。そのようなお家のご息女を、分の悪い後家の座にお迎えできますか」
  まんまとひっかかった。望春院は目を吊り上げたまま、
「伊豆守には、もう子もおる。女の子の方はともかく、嫡男もいます。いくら茂庭どののご息女でも、この先男の子を生んだとて跡目を継ぐのはすでにある小太郎です。そうしなければ今度は針生氏との間が気まずくなりますからね。
  あなた。阿梅どの。縁談というのは、そういうことまでよく考えてとりおこなうものなんです」
「私なら良いのですか」
  そこが気にくわない。今までは言うまいと思ってきたが、こうまではっきり後家専用の女と決めつけられたからには黙っているわけにはいかない。


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