「嵐待つ」
作/こたつむり



〈第一部〉7p

「私、茂庭石見の娘で、田鶴と申します」
  たつ、というその娘が顔をあげると、ちょうど一番近くにあった燭台の炎が木屑でもふりかけられたかのようにバチバチと火花を放った。阿梅にはその様子が、まるでたつ女の面を輝かせるために炎の方が跳ね上がったかのように見え、そら恐ろしくなった。と同時に、たつ女のその面の整いすぎてきわどさまで感じる美しさに息をのんだ。
  阿梅は黙っていた。どう挨拶したらよいのかわからなかった。
  重綱も黙っていた。彼が場を仕切るべきだったが、なぜか彼は憑かれたように二人の女のちょうど中間の闇を見詰めたまま、何ひとつ動かそうとしなかった。口火を切ったのはたつ女であった。
「阿梅様にお会いいたしたくて白石様に無理を言いました。本日のところはお姿を拝見すればよしと思うておりましたが、やはりそれだけでは物足りのうございます。これよりおつきあいいただけましょうか」
  涼しげな声で、しかしずいぶんとはっきりものを言う女だと阿梅は驚いた。あるいは奥州の女というのは、こういうものかとも思った。阿梅はこの土地の人間をほとんど知らない。
「この嵐の日に」
  控え目ではあったが、非難の調子をこめて反対しかけたのは重綱だった。阿梅も同感だった。
  だいたい、お姿を拝見すればそれでよし、のくだりから反発をおぼえた。同性とはいえ、見てやろうとはっきり決めてくるなんて失礼だと思い、
「私は見世物ではありません」
  低い声を返した。
  たつ女は、ほほ……と袂を口にあてて笑った。大きな声ではなかったが鋭くはねかえって広間に響いた。
「失礼をいたしました。私の言い方が気にくわないと、田舎者だと、きっとそうおっしゃりたいのでしょう」
  阿梅の胸はきつく高鳴った。しかしすぐに、奥州の女と思っただけで田舎者だなんて思ってない、そう思い直すと相手の言い方に猛烈な怒りをおぼえた。
「私、とにかく阿梅様についてきていただきたいのです。今日が嵐だからとおっしゃるなら明日、明日は道が悪くなっていましょうから二、三日後ということになりますけれど。本当はそんなになる前にと思って今日お迎えに参ったのですよ。とにかくこれは、政宗公のご命令と思っていただいてもかまいませんの」
  たつ女はしゃべるのが早かった。ここまで息もつかせずに一気に続けたが、重綱が、
「それは嘘だ」
  と止めた。
「嘘ではありません」
「いや、嘘だ。だいたいそれならそれで、茂庭様からお使いが来られるというのはおかしい」
「あら」
  田鶴は大ぎょうに目を円くしてみせ、濃いまつげをしばたかせると黙った。
「あの」
  阿梅の方は黙ってはいられなかった。
「これは一体どういうことなんですか。私は陸奥守様(政宗)の元にでも召されるのでしょうか」
  言ってはいけないと思いつつ、阿梅の口をついて言葉は出た。あんのじょう重綱は腕で阿梅の前をふさぎ、
「あなたは」
  そう言ってから、ちょっと迷い、
「田鶴どのは、政宗公のお文でもお持ちですか」
「いいえ。これしきのことで殿様がわざわざ筆をはこばれましょうか」
「しかし、政宗公のご命令という証拠はどこにもない」
「証拠ですって」
  たつ女は、筆で曳いたような鋭い眉を片方だけつりあげた。よくそんなことができると思うような器用で奇怪なしぐさだった。そうしたままで、
「一体、片倉様には、どういうお積もりでそうも軽々しく疑われるのでしょう。そういった格別な権限がおありなのでしょうか。先ほどから私ども茂庭家にたいしてだけでなく、政宗公にまで、いちいち文を書けだの日を替えろだの。私がお使いではご不満ですか。父が参上すれば良かったのですか。片倉様は茂庭家の当主を使いに出させるご身分だというわけですか」
  著しく飛躍した当てこすりだった。しかし重綱は、
「無礼があったらお許しいただきたい」
  としぼりだすような声を震わせ、
「ただ、これは私が、若輩者のそれがしが申すから不遜にもなりましょうが、父の小十郎もこのようでありました。茂庭様を疑っているなどではなく、ましてやお使いに不服などではむろん無く、むしろ、今まで茂庭様に政宗公の使いをしていただいたことなどなかったと存ずるので、ただめずらしい、訝しいと感じているだけでござる」
  必死の弁解をする。
「おや、私なら、ずいぶんとこちらには使いしたものでございましょう」
「しかしそれは、主に石見守様(茂庭延元)ご自身の言づてをもってこられたり江戸や大坂その他のめずらしい土産などをお持ちになられたり、言わば家臣同志の誼ではございませぬか。なぜ政宗公が、この片倉家に直に令さず茂庭様をわざわざ介されます? やはり奇妙ではありませぬか」
  どう考えたって重綱の論理のほうが正しいように阿梅には思える。しかし言葉を重ねれば重ねるほど、重綱からは力が失われていき、聞いているたつ女に吸いとられていくように見えた。たつ女はどう反駁されても、たじろぎもせず、
「そうでしょうか」
「それに、この……」
  と言って、重綱は阿梅をふりかえり、
「この阿梅の姿を見てこいというのも政宗公のお達しですか? それもおかしい」
  阿梅もそうだと思った。見にきて、それだけでもの足りなかったら連れてこいなどと政宗が言うだろうか。
「そのことなら政宗公の仰せとはちがいます」
  たつ女はあっさり認めた。
「私、個人が、阿梅様を識りたかったのですわ。おかしいですか? べつにちっともおかしくありませんわ。だってそれはそうでしょう。私は」
「田鶴どの」
  重綱が止めるとたつ女はピタリと口をつぐんだが、その目は異様に大きく、何かを物語ろうとした。
  ふと見ると、たつ女の膝もとから影がとてつもなく大きくのびて、阿梅や重綱を占領していた。彼女の背にある炎が不自然に背伸びをしたためにそんな風に見えたのだろう。
「伊達政宗は何をしても許されるのです」
  影の主は言った。
  阿梅はいすくんだ。政宗、と呼ぶ捨てる度胸にも驚いたが、女から出てきたものとは思えないほど底響きする声が恐ろしかった。
  たつ女はつづけて、
「伊達家の家来なら、それくらいおわかりではありませぬか。お逃げになられても無駄でございますよ。今度こそ片倉様の番なのです」
  今、目の前に座す茂庭延元の娘の体は異常に大きく重く、その影をして自分や重綱を侵食しはじめたかのような錯覚が次いで起こった。首筋めがけて這いあがるおぞ気にたえかね、思わず尻の位置をずらしかけたその時、
「わかりました」
  重綱のとった態度に愕然として、阿梅はそのまま立ちあがりそうになった。
「何も心配は要らぬ。こちらは仰せの通り、茂庭様のご息女であらせられる」
  重綱が阿梅の背に腕をまわして引き留めるではないか。呼吸をおかず、
「阿梅。雨脚が激しくなっているから、母上に支度をととのえてもらいなさい」
  と信じられない命令をぶつけてきた。

  やっぱり捨てられたと思った。
  阿梅は、もはや誰にもすがれぬ切羽詰まった思いで白石城を出た。
  片倉家からは馬が一頭与えられただけだった。小者ひとりつけてはもらえなかった。そうしたことも阿梅の心を暗く塞いだ。そしてこれが、これこそが落人の運命なのだと言わんばかりに、激しさを増す風雨の中を蓑一つつけただけの体を馬に乗せられて山を下った。
  突風に煽られるたびに、つい手綱を強く引いては馬に抗われて難儀した。前方を見ると、同じように難儀しながらもたつ女の背からは、なんの戸惑いも感じられない。風や雨に慎重な前進を強いられながらもその乗馬は巧みで、阿梅の方に泥をあげたり行く手を阻んだりしなかった。むしろ、阿梅の乗る馬が草ごと路上を跳ね上げてしまい、そのたびに後ろめたさを押し付けられるようでやりきれなかった。たった一、二町行ったところで、
「このまま」
  ついに前をいくたつ女に声をかけた。遠くにそびえる蔵王山から、ごおっと風が吼えかかる。
  たつ女は阿梅をふりかえらない。
「こんな状態のままでは、どこに行くのも無理です。どこか、どこかに一度、宿でも借りたほうが……」
  怒鳴るように提案した。
  たつ女はやはり振り向かない。


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