「嵐待つ」
作/こたつむり


〈第一部〉6p

「これは茂庭どのの案じゃ。茂庭という名は、こちらでは未だに鬼庭と呼ばれることが多い。石見守様(延元)のお父上、鬼庭左月様のなごりじゃ」
  重綱は、俄然、あこがれるような懐かしい目をして、
「わしが生まれたばかりのころに鬼庭左月様は人取り橋の戦いで命を落とされたから、むろんのこと覚えてはおらぬが、左月様のころからの家訓と聞く。奥州者は消化が悪い。よく噛んで食せば自分のように長生きができると言うたのが始まりだそうだ。確かに長生きなさった。わしなどは幼いころより、石見守様にお会いするたびごとにそれを言われたものよ」
「茂庭延元様」
「知っているのか」
「太閤殿下から、ご側室をお取り上げになられたとか」
「その話か」
  今度はなにが悪かったのか、重綱は憂鬱そうな顔になってしまった。
  太閤秀吉が、若い側女を身の代に双六賭博に興じ、茂庭延元に負けを喫して女を取られてしまったという。大坂では有名な話だと聞いていた。勝った側の伊達家中では、得意満面に語り継がれているものとばかり思っていた。
「食べ方より食べ物の方を工夫するのは、信州者の特徴ではないでしょうか」
  とにかく話を変えねばならぬ。
「信州?」
「片倉家はもとは信州の出と伺っております」
「らしいな」
  たいした興味もなく相槌をうってから、ああと気付いて、
「真田家も信州だったな」
「そうなのです」
  阿梅は両手を胸の前であわせ、やっと話をここにもってこれたと嬉しくなった。
「父もそれで片倉様に私を託したのだと思うのです」
「ほお」
  重綱は食後の湯を飲みはじめた。
「お米も味噌も、この白石城下では先代様のお指図で改良されたと望春院様に教わりました」
「その通りだ」
「女ごのやることと侮らず、細かいことに目端の効くところは信州者の良き気質です。良き女房役があってこその主君と太閤殿下はおっしゃったそうです。太閤様もその昔は、ご主君(織田信長)の台所番をおおせつかり、見事につとめられたとか。天下をめざすものには、実は細心の目配りがあってしかるべきと、私の父も……」
「阿梅」
「はい」
  重綱は立ち上がり、まじまじと阿梅の顔を見詰めてから、この仙台は一応徳川家に味方したのだから、あまり秀吉をほめてはならぬ、と言った。
  そして床をふんで阿梅をはなれ、広間の中央をひとめぐりして戻り、ふたたび、
「阿梅」
「はい」
  片倉家は伊達家の一家臣にすぎぬ、それを天下人にまでなった人物と同じように言うのはおそれおおい、と言った。
  阿梅はうなだれ、盆に食器をのせて礼をした。退室しかけて、
「嵐でも起こりそうなお天気ですこと」
  独り言のようにつぶやいた。

  茂庭家の使いがあらわれたのはその日の夕刻だった。
  重綱は青葉城に赴いたのだが、そろそろ空の気色が宜しからぬ、早々に立ち返られ、おのおの領内の仕置き怠りなく、との沙汰をいただいて早馬で戻ってきていた。
  昼間から広間に火を灯し、川や土手の見回りの者、農作物や家畜の被害状況を見てきた者などの報告を次々と聞くうちに、嵐の到着やその被害は今晩か明日以降と判断し、阿梅にも夜中に備えて炊き出しを指示した。
  ところが茂庭家の者が着くと、そろそろ使いで訪れる者などにも会っておいた方が良いだろう、などと指示を変更する。
「嵐の模様や被害などを互いに知らせあうことにしておる。川の氾濫や山崩れのある領地には、他領からも応援を出し合うしくみだからな」
  日に日にこのような家訓講習が増えてくる。
  阿梅は迷惑をおぼえた。このごろになってようやく白石城に居る使用人たちとも息があってきたところだ。
  望春院などはそれを喜んでくれる。しかし重綱は必ずしもそうではない。使用人たちがときおり見せる困惑の表情には、すべて重綱の阿梅にたいする曖昧な扱いに原因があるように思えてならない。
  女中頭とでも思えばいいのか、奥方さまと仰がねばならぬのか。
  たとえば彼らが望春院に不満をおぼえる。前者にならそれを訴えてもよい。後者なら憚りがある。阿梅にとって望春院は姑になるからである。しかし正室ならば発言の権限はある。側室となると話はまた別である。
  片倉家の養女という扱いなら、話はさらに複雑である。嫁入り前の娘に見せてもよい現場とはばかる現場がある。またそういう立場の女性に、使用人が勝手にものごとを教えてよいわけがない。いちいち望春院にでもうかがいを立てなければならない。
  本人の阿梅にはさらに困惑がはげしい。くるくるとよく変わる重綱の阿梅にたいする方針には、なにか特定の見本でも裏に用意されているような執念が感じられた。
  この日は、天災への心得に十分ということはないなどと、くどくど説教を重ねてくる重綱との間に、通りかかった望春院が、
「この姫には、まだそんな仕事はご無理でございましょう。それよりお使いは火急の御用でしょうから」
  などと執り成しに入って、阿梅を庇ってくれた。
  阿梅にあてがわれた部屋は二つあった。ひとつは小さな庭に面していて、望春院が侍女と客の接待などについて相談したり、庭師の持ち込んだ仕事道具を置いたりする。ただ、その奥にある窓のない一室に阿梅が寝起きするので、二部屋とも阿梅の好きなように使っていた。
  この部屋の仕切りだけを見れば、阿梅は全くのところ片倉家に生まれ育った嫁入り前の子女同然だった。
  敗軍の陣営から連れてこられたのだから、この、家族同様の処置は厚遇といってよい。座敷牢に入れられるとか尼寺に預けられるとか、身分の低い侍に嫁がされたり妾にされるなどといった様々な筋だてを阿梅もひととおり覚悟していた。また、兵士の間をたらいまわされて凌辱を受け、自害したなどという武家の女の話が幾たびも脳裏をかすったものだ。
  だから今の状況には満足しなくてはならない。そしてその環境をととのえてくれた片倉家には感謝してもいる。片倉家の主人である重綱にたいしてはなおさらである。しかし満足し感謝せねばならぬと思えば思うほど、阿梅には重綱の自分に対するある種の執拗さがいらだたしくうっとおしく感じられてならなかった。
  あまり日の射さない小づくりの庭も、はっきりそうと感じられるほど重く曇る空模様が伝わり、見る見る影が闇に近づくや、大粒の雨音がいっせいにあたりを覆った。
  建物のどこかが開け放してあるのではないかと疑うほどの轟音だったが、歩きまわって確かめると、どこも暴風雨にそなえた厳重な戸締りがしてある。雨風が本格的になったらそうしなさいと命じられている通りに、阿梅は庭に面する廊下の、わずかに一枚だけ開けておいた雨戸を立て掛けてしめた。
  真っ暗になってしまった。ふさいでもなお、滝の中にいるような激しい雨音の坩堝であった。目が慣れるのを待ってじっとしていると、いきなり侍女に呼びかけられた。重綱が呼んでいるという。
  やれやれと思いながらも、言われたとおりに侍女のあとについていくと、大広間に近付くほどに火の気が中央にさし、やがて数箇所の灯りの中を連れていかれた。侍女はそこで退いた。
  中をのぞくと、ほの暗く蒸し暑い広間の中心に女人の端座している姿が浮かんでいる。まだ若い。おずおずと入るや、すぐ手前に重綱が座していた。
「お使者の方は帰られたのですか」
  周囲の雨戸につくり出された突然の夜に、夢うつつの判別すらつきかねる。重綱は、
「お使者はこちらだ」
  と女人の方を手でしめし、阿梅をつれて上座の段をおりた。
  女人の小袖には、その暗がりに、なお浮き彫りが強調されるほどに織りこみの凝った柄がほどこされている。小づくりながら凛と張った肩といい、先の先まで、ねっとりと艶のかかった黒髪といい、相当に身分のある女性の所作、身揃えに見えた。阿梅が座について曖昧に頭をさげると、相手はていねいに指をついて床近くまで深く礼をした。


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