「嵐待つ」
作/こたつむり


〈第一部〉4p

  玄関から入ってすぐの小室に重綱は端座していた。
  べつに酔っていらっしゃらない。
  阿梅はそう思った。少なくとも政宗を追い返すほどに泥酔しているようにはとても見えない。しかし、それより不思議なのは、
「なぜ、かようなお部屋にいらっしゃるのですか」
  ここは、客人の従者があてがわれる控室である。
「政宗公のお供衆は、奥の控えの間にいるということだったので、わしはここを使っていたのだ」
  阿梅に気づいて、重綱は疲れをふっきるように答えた。阿梅はもってきた水だらいに布を二枚浸し、一枚を重綱に手渡しながら、ちらと玄関の方を見た。
  重綱の荷物を持たされている小者が、敷石にぺたとしゃがんでいるではないか。重綱とともに帰ってきて中に入れず、待ちぼうけをくわされたまま日も暮れかかっている。
  なぜ、政宗公に一言ご挨拶なさらないのだろう。
  すべては、重綱が政宗を避けているために展開される奇異な光景に思えてしかたない。
  阿梅が首をかしげていると、重綱に、
「阿梅どのは、いつもこのように父上の御足を拭いてさしあげていたのか?」
  声をかけられた。
「いいえ。父の世話は母が」
「お母上が……。阿梅どのの母上は、高梨家の出だとか」
  阿梅の生母は高梨内記の娘で、内記はもともと真田家の重臣の地位にいたものである。
「はい。でも亡くなりました。私の申しますのは大谷刑部少輸の娘でございます」
  こちらが幸村の正室にあたる。阿梅はこの人に育てられた。
「父には母が。私はよく兄の足を拭いてました」
「兄上……大助どのか」
  身をのりだして重綱は聞いた。その目が輝き、見る見る疲労が後退していくようだ。こういう重綱が阿梅には不思議だった。
「はい。父は罪人でしたので、下働きの者などあまりおいてませんでした。私が兄の着物を仕上げたり、風呂では背中を流したり……。兄も毎日、薪を割ったりして、家中のもの皆でよく山菜を積みにも参りました」
  言いながら阿梅の手は止まっていた。父や兄が戦をするために生まれてきた人間であることを、阿梅は深く考えずに育った。戦で命を落とし二度と会えなくなるなど、幸村が大坂城に呼びだされるその日まで、考えたくなかったのだとあらためて思った。
「蒔き割りに、山菜積みか」
  露骨に期待はずれらしい応えが重綱からはもどってきた。
  どうやら真田幸村の娘はそういう事をしないらしい。無造作に投げすてられた布をひろいながら阿梅はそう思った。

  翌朝、望春院は阿梅をつれて重綱の居室をおとずれた。
「酒なら帰ってきて召し上がればよろしいでしょう。帰りがけにどこぞであおってくるなど城主のすることとは思えませぬ」
「政宗公がご来城とは、思いもよりませんでしたので」
  重綱は言い訳しようとするが、望春院はきっぱりと首をふった。今日こそは言ってやろうという顔で、
「お相手が政宗公でなくとも、城主ともなれば誰が訪ねてくるやもしれませぬ。このあたりの領民の聞こえだとて気になります。このようによく城を空け、あちらこちらに招かれておれば領内の沙汰もおざなりになるではありませんか。少々いい気になられてはおりませぬか。大坂でのご活躍を政宗公に誉められ、他の大名がたからも称賛されて、ご自分だけは特別だという気持ちになってきたのでしょう」
  いっきにまくしたてた。実際、政宗の前で恥をかいたのは自分だから、腹がおさまらないだろう。
「そんなことはありません」
  目をしばたかせながらも、重綱は否定した。
「そのことは亡き父上からも、じゅうじゅうに諭されておりました。今さら母上に言われなくとも、よく心得ているつもりでございます」
  いつにない望春院のけんまくに脅え、そばに座していた阿梅も大袈裟にうなずいた。
「おじさまは、べつだん酔っていらっしゃいませんでした。それでも尚お出にならなかったのは、礼を尽くされたからだと私は思います」
  つい余計な口だしにおよぶと、
「酔っておられなかった?」
  望春院の顔色が変わってしまい、阿梅は身がすくんだ。庇ったつもりだったが薮蛇である。
「では、嘘をついたということですか」
  すると重綱も、ついに母の前に居住まいを正し、
「それなら私も、母上にお聞きしなくてはなりません」
  膝をすすめながら阿梅に目配せをおくった。出て行けと言っているようだった。するとそこを望春院がすかさず、
「なんですか。阿梅どのがいては言えないことですか。なにかこの人に関する話ですか」
  と、つついたので、重綱は、
「どうして阿梅を政宗公に引きあわせたのですか」
  とやや腹を立てたように言った。
  本当に自分のことだった、と阿梅は心底おどろき、今からでも場を退こうかと腰を浮かせた。
「この際かまわぬ。あなたもここにいて聞いていなさい」
  重綱がそれを制した。つづけて、
「私が騙ったという仰せですが、私は母上をだまそうと思ったわけではありません。この人の言うとおり、確かに酔ってはいませんでした。というより酒など飲んではいなかったというのが本当のところです。
  しかし母上、ここにまで政宗公に来られては私に逃げ場がありましょうや。母上なら、この私に聞かねばわからない、などと言い逃れもなされましょう。だが、私が、私の目の前で政宗公に、今この場で真田の娘を出せとお申しつけあれば、どう対処いたせばよろしゅうございます」
  望春院は、あきらかに意表をつかれた態になり、
「わかりました」
  と、そこで言葉をさしはさんだ。目で、もう言うなと言っているようだったが、重綱は首をふって後をつづけた。
「母上のようにすぐにお引き合わせする。そして、この娘を連れて帰ると言われる。あるいは、時折こちらに通ってきたいなどと仰せになる。そのほう、これなる娘を良きように預かっておけ。
  聞いてから慌てて、今は病を得て、お目もじさせかねます、などと申し上げられましょうか。阿梅を御前にさらしおいた上で」
  いたたまれずに立ち上がりかけた阿梅の手を、重綱は膝の上から握った。
  武将の手だった。いかつい威圧だった。立つなという訓命だった。その手に鏝をあて軍配を握る人間の、一方的な意思表示だった。重綱は阿梅の方をちらとも見ずに、ふたたび座に押し戻して、
「仙台なれば、青葉城なれば、いくらでも口実を設けられまする。あちらには大勢のご側室もおられるし、ご正室様の残された奥の方々が目を光らせておいでです。まず、家来にむかって敵方の女人を召し出せと仰せにはなりますまい。
  政宗公は、いつもそういったことを外で仰せになるのです。そして私もそれをよく心得ている。肝の冷える思いで、なんとか茶を濁してつないで参りました」
  すると望春院も、思い切ったようにうなずき、
「私もこのさい、阿梅どのの行くすえについて、伊豆どののご意向をうかがっておきましょう」
  受けて立つとばかりに言い放つ。
「たしかに、阿梅どのを呼ぶようにと政宗公に命じられました。逆らえましょうか。いいえ、逆らえませぬ。だいたい、逆らうような種類のことではありませぬ。もし政宗公が、阿梅どのを側室にとでも望まれるのであれば、黙って差し出すしかありますまい。すでにそのようにお望みのご様子とお見受けいたしました」
  阿梅はとびあがるほど驚いた。やはり昨日の、自分にはなんだかわからないやりとりの間におのれの将来が決められていたようだ。
  そんな阿梅を尻目に、望春院はさらにふみこみ、
「それを、今さら家来が私情をはさんで止めだてすれば、謀反の心ありと決めつけられても仕方なきこと」
「私情?」
  重綱は額に皺をよせて復唱した。
「そうです。阿梅どのを妻になさるおつもりなのではありませぬか」
  と、つづける望春院の言葉に、またもや阿梅は仰天した。
  確かにこんにちの重綱は独身である。先年二人の子供をのこして妻が亡くなった(※)とは聞いていた。それゆえ重綱が阿梅を後釜にすえる予定でいた。望春院はそのように推測していたようで、
「おつらいところではありましょうが、それが家来の分というものです。ここが正念場とわきまえ、なにごとも身をひくのが肝心なのではありませぬか」
  などと言った。

(※片倉重綱の妻、針生氏の没年はもっと後で、亡くなったのは江戸であるようです)

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