「嵐待つ」
作/こたつむり


〈第一部〉3p

  夏のあつい盛りに、いっときの雨を借りた過ごしやすい日だった。
  とつじょ伊達政宗がおとずれた。前触れはなかった。片倉家のものに驚きや動揺があらわれないところを見ると、政宗という上司のこうした行動はめずらしくないのだろう。
  阿梅はめずらしく呼ばれ、たて長の広間に通された。
  上座はずいぶんと遠く、政宗の顔はほとんど見えない。見覚えのある眼帯だけが確認できた。政宗は、その幼いころに病で片目を潰し、以来、眼帯を装着したままをその人相としているときく。
  近くに来いという声がかかった。膝をかがめて通る座敷は長く、まっすぐ前へ進んでいるのかどうかわからなくなりそうだった。その途中で横合いの庭から水音がはね起ったのに驚いて、阿梅がすすむのをためらっていると、政宗は勢いよく立ちあがり、
「わしが来たので水をひいたのだろう。驚くことはない。いつもそうするのだ。おそらくわしが来る時だけ水を入れるのだろう。先代の小十郎のころよりそうであった。小十郎は吝い男だった。あとをついだ今の小十郎も同じだ」
  この瞬間、おかしな調子に政宗と目があった。吝い男、という言葉に阿梅が笑いをこらえていると、政宗は近づいてきた。近よられた分だけうしろにさがると、政宗は、
「かまわぬ。近う近う」
  と気軽に手招きし、自分から阿梅の真正面にあぐらをかきなおした。
「仙台の湊はどうであった。海を嫌いなまま帰したな」
「いいえ。とても良いところでした」
  自分でも意外なほど、はきはきと答えが出る。
「私は山で育ちましたので、海をこわいものと思ってましたが」
「こわかったか」
「いいえ、美しいものとわかりました。海は美しいです」
  今も瞼の裏に、あおぐろい仙台の海原がやきついている。水面に散らばる舟はかわいらしく、数えているうちにそれぞれが移動して目算をまどわされる。海上ごとすべてが、まるきり大きな生き物が呼吸しているように蠢き、恐ろしくも新鮮な印象を放っていた。
「あの折」
  政宗の声を聞いて、阿梅はあらぬ方を眺めていたことに気づいた。しかし政宗は気分を害するでもなく、阿梅が自分に目をうつすのを辛抱づよく待ってからうなずいた。独眼竜と呼ばれる武将の、眼帯を施していない方の目から、思いがけずいたわるような温かさがいっぱいにこぼれ出る。阿梅は驚き、こうした笑みをこのところ見たことがないと思った。ふと、亡き父を思い出す。
  そこへ待女が挨拶を入れながら入室してきた。やがて低頭する彼女をうしろから通り越して入って来たのが望春院である。自ら茶をささげている。
「ごぶさた申しあげております」
  恭しく挨拶しつつも、望春院は目を上座から移動させて政宗を見つけ、目を見張った。つづけて阿梅を睨む。
  阿梅はあわてて尻をずらし、政宗と距離をあけようとした。すると肩になにか掛かった。
  見ると、政宗の手が阿梅の動きを止めだてしている。望春院はしかたなく茶碗を下座にさし出したが、政宗は、はっきり聞こえる舌打ちを鳴らしてから、
「二代目(重綱)はまだ帰らぬのか」
  気のない声で望春院に聞いた。
「はい。お館様のお供で江戸に参ったきりでございます。てっきりご一緒させていただいているものと思っておりましたが」
「さても忙しきものよな」
  そう言う声には、うっすらと冷たい感触がたくわえられていた。つづけて、
「むこうではひっぱりだこなのだろう。奴め、ずいぶんと名が売れたものよ」
  望春院からかすかに笑みがうすれたのを、阿梅は、政宗に後頭部をむけて見た。そういう阿梅に望春院は顔じゅうを強くしかめ、たしなめるように首をふって見せたが、政宗はふたたび阿梅の肩に手をおき、
「阿梅。この城に移って幾日になる」
  頓着せずに話しだす。
「早、一月ほどになりましょうか」
  望春院は即答し、指をおって日数を考える阿梅の袖を厳しくたたいた。ところが政宗は、阿梅の肩から背にいよいよ手をまわし、
「小十郎には会うたか」
「ここに参ってからでございますか」
  阿梅は詰まった声で言った。これいじょう政宗とあいだをあけるには首を縮めるしかない。
「そうじゃ」
「いいえ、まだ」
「やえ」
  政宗は、望春院の俗世名を呼びすて、
「阿梅は青葉城はいやじゃと言うてな。瑞巌寺での、はっきりとこのわしに、あの小十郎めがおらぬからいやじゃと言う。それで、仕方なくこの白石に移してやったのだ。かように伜が寄り付かぬようでは、阿梅が不憫ではないか。おこととて、さみしかろう」
「まあ、阿梅がさようなことを」
  望春院は戸惑ったようにほほえんだ。阿梅は驚いて政宗と望春院の顔を交互に見守った。重綱のいる城に行きたいとも、青葉城がいやだとも言った覚えはないし、望春院がたしなめなくなったのも不思議だった。一体、自分の沙汰は、この人間たちの中でどのような展開になってきているのだろう。
「阿梅」
  ふたたび呼ばわると、政宗は笑みこぼしながら、
「臥龍梅がまだ欲しいか」
「臥龍梅?」
  望春院がまず、するどく反応した。阿梅は困り、
「あれはあのあと、朝鮮より原田様がお持ちかえりになった貴重な株とうかがいました。春になり、紅白そろえて花を咲かせたおりにでも拝見できれば嬉しいのですが」
  口ごもりがちにそう答えると、政宗はワッと口をひろげ、愉快そうに笑った。
「そう聞いたか。小十郎にか。そうかそうか」
  何度もうなづき、脇息をたたいた。そして笑うのをやめ、
「遠慮はいらぬ。どのように貴重な品であろうとも、そなたの名とおなじ梅じゃ。欲しくば株分けしてやらぬでもない」
「臥龍梅を」
  息をのんだのは望春院だった。そうした彼女を見てはじめて、阿梅は、瑞巌寺にあった小さな植木の価値と政宗の自分への好意のほどを知った。そこへ、
「お方様」
  すでに退室していた先程の侍女が、ひそひそと入ってきた。
  望春院はうなずき、やや退がって侍女と何やら話しこみはじめる。そして、
「なぜ、通せないのです」
  などと問いかえす声を放ったあげく、要領を得ない顔つきのまま戻ってきた。
「小十郎が帰ったか」
  政宗が言い当てる。
「はい。……ですが、なんでもずいぶん深酒をあおっての帰城とのこと。万が一にもお館様にご無礼があってはならぬから、後日、あるいはこれより酔いが冷めるのを待って、仙台に伺候しなおしたいと申しておりまする」
  これには阿梅ですら、肝を冷した。
  主君の方から訪れるというだけでも、家来にとっては恐縮なはずである。留守ならばともかく、戻ってきたのであれば体調や恰好がどうであれ挨拶に出向くのが当然ではないか。望春院もさすがに恐れ入り、顔を上げられないでいる。
  しかし政宗は、不機嫌にはちがいない無表情な落ち着きかたで、
「さようか。それならそうしてもらおう」
  あっさり引き下がってくれた。早くも立ち上がりかかっている。
  望春院は引き留めようとした。申し訳ないという思いもあろうが、存分にもてなすつもりで城中に様々な指図をしたにちがいない。
  しかし政宗は、接待には及ばぬ、小十郎とは仙台で会えればよい、前触れなくきたのは自分の方だ、小十郎には小十郎の都合もあろう、などと、言葉の優しさのわりに能面のような顔のまま、スラスラと望春院の誘いを断った。先に広間を出て床に指をついていた阿梅がなにげなく顔を上げると、政宗はそれを待っていたように、思いっきり笑みを浮かべた。片方の目だけでそうするせいか、ななめ下から仰ぐとそれは、魚が笑ったかのような不自然なものに思えて無気味と言わざるを得なかった。

  二代目片倉小十郎、重綱は、関ヶ原合戦に十六歳で初陣をかざり、先だっての大坂の陣では、その活躍ぶりから「鬼の小十郎」なる異名をとった。
  今やその声望の高さは、知将と謳われた父の小十郎景綱にもひけをとらず、仙台ではむろん、江戸や京でもずいぶんともてはやされ、諸国の大名などにも酒宴に招かれることが多いという。
  それが、たった今帰城したという。

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