<未病の考え方>


     
 
その五「重症」


更新が遅れて、申し訳ありません。m(__)m その上、画像データをHDクラッシュで失ってしまったので、あんまりちゃんと出来てません。

取りあえず、前回書きそびれた「重症コース」(^_^;)を先に上げます。ご参照下さいませ。



<頭部>
脳病/脳卒中

<顔面部>
顔面の腫れ物/頬が腫れる/顔色どす黒い/色盲/耳、及び耳後部の腫れ、熱、痛み、膿、異常/難聴/口の歪み/舌の屈伸不利、根元痛、もつれ

<呼吸器系>
胸苦しい/呼吸が苦しい/呼吸が早い/心臓の動悸/息切れ/喘息/肺炎

<排泄器系>
尿変色/小便不通/排尿困難/残尿感

<内臓>
心臓病/肝炎/肝硬変/胆嚢炎/膵臓炎/大腸腫瘍/腎結石/腎炎/ネフローゼ/潰瘍

<各部>
首の腫れ/脛骨神経痛/胸痛/胸膜炎/乳腺炎/乳腫瘍/脇痛/肋間神経痛/下腹部筋ひきつり、痛み/背痛/腰部、下腹部、睾丸にかけて、けん引痛/インポテンツ/坐骨神経痛/足に力がない、力が入らない/足の外側が熱い

<全身・局所>
眩暈/吐き気/血痰/喀血/皮膚異常/化膿/黄疸/脚気/中風/リュウマチ/屈伸困難/骨の痛み/筋肉痛/筋無力/知覚鈍感/しびれ/身熱/全身の冷え/全身倦怠感/疲れやすい/高血圧/血圧異常/不眠

<異常行動(現象)>
うわごと/喜び、笑い止まらず/狂騒/言語障害/卒倒/意識障害/人事不省/癲癇

<精神面>
精神不安/精神異常/ノイローゼ/鬱症/恐怖感/気力全く無し/精力、性欲全く無し



これらの症状まで来ると、多少個人差はあるでしょうが、日常に支障があるなど、自他ともに「病気」という認識を持ちますから、病院に行く人は多いように思えます。

ただこれまで、未病主義としてしつこく言って来た通り、一応、基本として、東洋医学では病院で病名がつくほどひどくなった病気は治せません。

これに対して西洋医学は、犯罪になってからでないと動いてくれない警察のようなものです(^_^;)。東洋医学がはっきりとした科学的根拠を数値で提示できないのは、西洋医学が「病気」と定めている症状を、前もって防いでしまうため、犯人検挙率が低いからなのです。(爆)

さて、それでも、ガンでも治った、などのケースは東洋医学にもやっぱりあるワケでして(^_^;)、病院を抜け出して担ぎ込まれ、見事に生還したなんて話もよく聞きます。

ガンは、もちろん東洋医学的にも非常な重症ですが、実は西洋医学でさえ、早期発見できなければ治せないことは、これは皆様もよくご存知の事と思われます。

病院では、発見が遅れた患者には、ほとんどただちに「末期ガン」の名を与えてしまいます。これはガンに限らず、アレルギーや精神病、あるいは近眼などの体質的、遺伝的とされる病、又は高齢者がかかりやすいあらゆる病や、お若い方でも難病の類では同じでして、特に中高年の方に「この年になったら、体がこうなるのは多少仕方がない」と言われた方は多いのではないでしょうか。

振り返れば、子供の頃の虫歯を削る事や、思春期の頃近眼になり、眼鏡をかけたなど、これらは古代からあった「当たり前」のことでしょうか(^_^;)。

元はといえば、体を老いさせない事がすなわち仙人になることであり、東洋医学の目指す原点はここにあることは、最初に述べた通りです。

つまり、もう治らないとされる、ありとあらゆる病……それは例えば、虫歯だから削らなくてはイケナイ(^_^;)というような、皆様が「諦めるのが当たり前」を、いつの間にか受容なさって来られた全てに該当しなくてはならないのです。

そして、そう考えるのであれば「早期発見できなかったガン」も、又しかりでして、私はむしろ「ガンになったら東洋医学」とすら思っております。

ただ一つだけ、この際、はっきり申し上げておきたい事があります。

病院に行ったけど望みがかなわなかった、という内容で東洋医学を訪れる人を、私はずいぶん自分勝手な人だと思います。

そこまで悪くなるまで東洋医学の「と」の字も振り返らず、せいぜい本で読むだけ。自分の体で試そうとはせず、誰かの実験結果を待っている。こういう勝手な人達のために、医道(医学が西洋なら、医道は東洋の呼び方)の専門家たちは命を縮めてきたからです。

まず、どうしてもわかっていただきたいのは、前にも言ったように、「気」というものは、無限ではないのです。重症患者を治すに費やす気の量は、決してバカになりません。一人の重症患者のために、他の患者が助からなくなる可能性が高くなる事を、よく心にふまえていただきたい。

多くの重症者を治す日々のうちに、自身がガンに侵され「なんだ、東洋医学ってのも、大した事ないな」などと言われるのがオチの治療士たちが少なくない現実を、まずわかっていただきたい。

東洋医学には最初と最後に頼れ、などというニュアンスとも受け取れる漢方関係の本を読むと、どうも私は、こういう考えでは困る、と思う事が少なくありません。また、漢方や鍼灸を、年寄向けの医療だと思っておられる方は、「精神的な末期症状(洗脳)」にかかっておられると思います。

なぜなら、若いということは、それだけ未病の原則に近いという事です。ある程度年がいき、薬害やストレス社会に長くつきあった人ほど、東洋医学の世話になっても、なお病気から解放されないケースは多いものです。

東洋医学とは、美味しい手作りケーキを、毎日台所でフライパンを使って作っているようなものです。こうやって作られた物が、工場で大量に作られ、コストを安く設定されたケーキより美味しいのは当たり前です。

それと同じように、治せない病なんて本当はないのです。治し方が全て手作りになってしまう所に問題があると私は思っています。だから、現代医学や西洋医学の方が、手っ取り早くて良い面ももちろんあります。

この辺まで読まれて、「なぜ仙人たちが意地悪なのか」が、もうおわかりいただけたと思います。仙人は、物分りの悪い、つまり都合のいい時だけすがりつき、世界や自然を壊す事が得意な人間と、つとめて接触をはからないようにして生きていかざるを得ないからです。仙人が意地悪なのではなく、人間が悪質すぎるのです。

ガンになるほど自分を放っておいた人は、まず己を反省すべきです。西洋医学では、病名がつかないのに症状を訴えて止まない人の「心」を疑いますが、東洋医学では、病名をもらって得意になってる人間の「人格」を疑います。この人は勝手に悲劇に酔って泣いてれば済みますが、限られた自然はこの人一人のために大変な迷惑をしているのです。

未病のうちに手をうつ事は、自分自身のためだけではなく、社会全体、世界にとって必要な事を、まず認識しなくてはなりません。

だからここでは、 「奇蹟の生還」みたいな見世物パンダ的な話はあまりやりたくないです。自分の体は自分で治す、気の大家の手を煩わせない、これが一応原則です。また、自分の病気も満足に治せない人に、仙人の修行はまず無理です。

と言いつつ、かつては……そして時折今でも、私はこのレベルに入り込みますから、お互い様ですよね。(爆)

それに、最初から自分で治す事は不可能です(^_^;)。たぶん、いろいろ試してみても、面倒臭い事が多く感じるか、「気」を感じにくいと思います。

仙人の修行については、おいおい書いて行きますが、病んでいる「気の通ってない体」で始めても、何も感じません。どっかで気を注入してもらってから始める方がスムーズでしょう。

というわけで、次は、東洋医学にかかる時のコツと心構えのような事をお話したいと思います。
 
     




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