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<畠山義綱さま
2015/09/12(Sat) 15:33>
エラーメッセージへの対応ありがとうございました。
古河の話で盛り上がっていましたが、その間に古河周辺が洪水で大変なことに…。古河城も水害対策のため削られたと言っていましたが…まさかこれほどひどい水害になるとは…。
<こたつ城主 2015/09/13(Sun) 02:22>
>畠山義綱さま
あ、投稿出来てますね!良かったー!
禁止コードの件スイマセンでした\(>o<)/!(メール届いてますか?)
そそ!古河レポお読み下さって、ありがとうございましたm(__)m!
古河城の遺構開削は残念ですが、公方の時代も江戸期も水害は酷かったようで、本当に今回のような事が起こると、あの辺りの氾濫の恐ろしさを思い知らされます!
(常総の被災時、小野寺維道さんトコにも書いてみたけど、無事かな(;_;))
あと禁止コードの件に気づいて慌ててしまい、そちらでのご質問答えてない事が(^^;)。。<重ねてスイマセン
>>「古河公方の時代が、古河の最も輝いていた時代」と、
これは、ですね。『古河の歴史を歩く』(古河歴史シンポジウム実行委員会編/高志書院)です。
ツイッターやらFBの件、こたつも同感ですーーー!
小田氏は南朝組でアレなんかと思ってたら、小山氏の乱の余波がだいぶアレだったと……これは佐竹氏ツアーで勉強しましたφ(。。)m
<畠山義綱さま
2015/09/19(Sat) 08:35>
>城主様
エラー対処誠にありがとうございます。あれだけの水害を見せつけられると、実害があるのならやはり史跡の損壊も仕方ないのかな…とも思っちゃいます。自然の摂理でもありますし。以前岩手県の志波城に行ったのですが、2つの川に挟まれてしょっちゅう氾濫していたので、10年ほどで廃城になったと聞いて、古河城もある意味その危険性はあったわけなのですね。
『古河の歴史を歩く』を検索してみたらお値段も2000円ちょっとで高くなく城主様も「古河公方の時代が、古河の最も輝いていた時代」と本文を紹介しているところから非常に興味が出るのですが、中身的に古河公方の内容はどんな感じでしょうか?
常総市は本当に心配ですね。家の家具がかなり水没して全部交換せざるを得ないなどと話しているのを聞くと、本当に切なくなります。土木技術が進んだ現代でもこういうことが起こる得るということをあらためて認識しました…。常総の方とは連絡がとれましたか?
<こたつ城主 2015/09/19(Sat) 18:36>
>畠山義綱さま
そちらでの話を持って来ちゃってスイマセン(^_^;)。。後で議事録にでも編集します(ご異論が無ければ)。
畠山様の記事も何か読まなきゃと昨日そちらに行ったんですが、何か眩暈がして「?」と計ったらエライ高熱で!
自覚が無いのも怖いんですが、「熱がある!」と知った途端、急にクラクラ(*o*)してしまい(笑)。
あ〜志波城も水害ですか。10年しか持たなかったんですね。。
私、胆沢と多賀には行った事があります。
四城の位置関係→http://kotatu.jp/hyo/tawagoto/2010/01.htm#e
ただ古河は、古河公方の後の江戸時代も長く継続された場なので、建設10年後に廃止されたという、その志波城とは大きく違うと思います。
先にあげたのとは別の本ですが、「(遺構撤去にいたる)詳しい経緯がわからない」とされてまして、それ以上の事も書いてないので、例えば政治的意図があった的な推測だとかは、何とも言いようがありませんが(^_^;)。。
ただ、『古河の歴史を歩く』には、地域の歴史を残す事に対し、かなりの危機感が感じられるのは確かです。
それで「古河公方の時代が、古河の最も輝いていた時代」という言葉が出て来るのだと思います。
中身ですが、200頁ぐらい、11名の方々による共著で、平将門や下河辺氏など、古河公方より前時代の研究内容もかなり載ってます。
古河公方について……、一言では言えないですが(^_^;)、私的には、かなり栄えた様子が感じられる点など好印象なんですが、そこはもっと専門的に掘り下げてる物もありそうですから、文末に付録されてる史跡案内がお薦めですかね。
ご心配ありがとうございます。常総の人じゃないんですが、連絡は取れてません(ノ_・。) 。
ただそれは、掲示板が放置されてるのが原因で(笑)。
今回の件は、決壊後いつまでもどこまでも被害が広がって行った事に衝撃を受けました。本当に気の毒です。。
(後日談=ちなみに、小野寺維道さまとはその後、年賀状とメールで連絡つきました。ご無事でいらしたようで、一安心でした(^_^A) )〜2016/03記 |