<掲示板・議事録>

このページは、2013/07/21〜08/20分の議事録に相当します。
2013/09/29の更新で「636」として載せましたが、07/21〜08/20分を抜かしてしまったため、翌月10/29の更新で、07/21〜08/20分を新たに「636」として挿入し直し、このページは繰り延べとして、「637」と番振りし直しました。

     
  「城主のたわごと」2013-02(上下毛編2)


<さま 2013/08/05(Mon) 20:31>

(↑「紫」様の許可を得て、頂いたメールより転載しました↓@こたつ城主)

こたつ城主さま

お久しぶりです。メールありがとうございました。

GW前半は牡丹を見に行ったり真田まつりに行ったりと絶好調でしたが、後半は風邪をひいてしまい喉の奥が痛んだり声が出なくなったりと、何もできずに終わってしまいました・・・

あの喫茶店は、やはりカフェロッシーさんだったんですね。
あのお店は数年前に開店したお店のようですが、県内のカフェのガイドブックなどに紹介され、休みの日にはけっこう賑わっているようです。
354線は東照宮や近くのホームセンターに行くときによく通るのですが、休日の朝には駐車場が車やバイクでいっぱいになっていることもあります。

カフェロッシーさんのブログで知ったのですが、旧境町には『境町かるた』というのがあり、その中に「馬に蹴られた甘酒ばあさん」というのがあるそうです。
何かと思って調べたら、新田義貞の軍勢が鎌倉攻めに行く途中、休憩をとっている新田軍に甘酒を振舞っていたお婆さんが馬に蹴られて石になったという伝承とのことです。

世良田東照宮には、毎年桜を見に行っています。数年前には、知り合いも連れて行き、「懐かしい」ととても喜んでくれました。うちから行くよりも近くに住んでる方ですが、近いとかえって行かないらしく数十年ぶりだと言っていました。

栃木県出身の方の「無条件で尊敬の対象でした」というのは、やはり子どもの頃から日光東照宮を地元の名所として慣れ親しんだからでしょうね。
上田に行くと何でも真田、山梨県へ行くと武田、新潟県に行くと上杉というのと同じでしょうか。
以前読んだ本では、山梨県出身で武田氏を研究している方が群馬県出身の女性歴史研究家に「あんな人でなしを研究して何になるの?」と言われたとか、松代で講演したときに松代城(海津城)は武田の城だったんだから半分くらいは武田好きかな・・・と思ってお客さんに武田と上杉どちらが好きか 聞いたところ、武田好きは1/4くらいしかいなくて驚いたということが書かれていました。
真田氏にしても、群馬県の一部ではいまだに敵視している人がいるらしく、郷土出版本には幸隆の死について「さしもの上州を荒らしまわった真田幸隆も・・・」と書かれていたりします。
地元にとっては郷土の英雄であっても、長野県・群馬県の人間から見れば、信玄は侵略者であり幸隆は侵略者の手先なんでしょうね。

(2013/05/13(Mon) 19:52)



<こたつ城主 2013/08/05(Mon) 20:45>

紫さま、お返事ありがとうございました!

GWは牡丹に真田祭りと、写真もいっぱい載せてましたね(^^)。
風邪は喉風邪ですか(>_<)。。声が出なくなる程とはツライですね!
亭主も声帯ヤラレて一ヶ月以上も声が出なかった事があり、大変でした。

カフェロッシーさんは、メモは無くしたけど、地図で確認できるはずと、ずいぶん探したんですが、紫さまが示してくれた位置を見ると、世良田東照宮の周辺をもうちょっと離れて探せば見付かったのに、と思います(^_^;)。主人も、「こんなに離れてたか!でも道を見ると、確かに間違いないな〜」と言ってました(笑)。
でも、近くのホームセンターなんて聞くと、本当に近隣におられるんだな〜と嬉しくなりました(笑)。

新田軍に甘酒を振舞ってたお婆さんが、馬に蹴られて石ですかっ(*o*)。。

大学の頃から10年以上かけて、毎年長野・松代に行ってました。
信州は上杉贔屓ですよね(^^ゞ。北信濃は特に。景勝について会津に行った家も多いから、米沢に行った時には地元の信州に戻って帰農したとかいうケースもあるんですかね。

ただ信州では、観光ガイドには書かれず、あくまで地元の人に直に聞く限り、それも謙信贔屓がちょっと現れる程度ですが、上州では、わりと恨みが籠ってる感がありますね(^_^;)。。

ただ、上州における武田はそんなもんだろうと思いましたが、真田の悪評価は私も去年ごろ気づきました(^_^;)。。

武田に関しては、今回も上泉信綱の話など書きましたが、信玄の召し抱えの申し出を断わった下りなんか、ちょっと英雄伝っぽく書かれてました(^_^;)。。

上州では、「真田は武田の手先」と云うより、私の受けた印象では、武田より、むしろ真田の方がより具体的と云うか、水牢に現地人を拷問して納税したとか、武田という大勢力のバッグをいい事にやり放題的な(^_^;)?
ただ、江戸期の悪政なんか聞きますので、沼田藩の真田氏が、評判悪いのかなとも思いました(^_^;)。。

今回のレポも、最後の方、次月あたりになりますが、真田の史跡もちょっとだけ行ったので、そこで述べるかもしれませんが……。

武田・真田の侵略との関連の可能性には、今までまるで気づきませんでしたが(^_^;)、山梨出身の人が群馬出身の人に、信玄の悪口を言われたという話を聞くと、群馬にも「ほうとう」があり、甲府のより、古くて伝統もあるのに云々、という話を読んだ事を思い出します。

(2013/06/10(Mon) 13:24)



<さま 2013/08/05(Mon) 21:00>

(↑「紫」様の許可を得て、頂いたメールより転載しました↓@こたつ城主)

こたつ城主さま

お久しぶりです。

大館氏明は四国にも渡っていまして、四国の大館氏に関係のあるお寺からお坊さんが尋ねてきたことがあるそうです。
前にこんなページを見付けました。
http://www.setayakushi.or.jp/profile/index.htm
明王院かどこかで講演みたいなことをしたそうですが、終わってから知ったので聞けませんでした。残念。

(2013/06/17(Mon) 21:26)



<こたつ城主 2013/08/05(Mon) 21:10>

紫さま

大館氏は新田軍でも有数の武将ですね。新田一族は、義貞戦死後も上州には戻って来れず、鎌倉公方が京の将軍家(本家)に逆らう意思を持って召し抱えた頃、ようやく返り咲くほど水をあけてしまうのですが、そんな中では、大館氏は九州に潜伏していたのを佐々木道誉に見出され、娘婿になったとか。道誉は幕府きっての与党ですから、幕府の近習として 抜擢され、十ヶ国に所領を持ったそうです。当然上野国の新田にも室町時代に所領を確保したんですね。

(2013/07/11(Thu) 22:13)
 
     

     
  「城主のたわごと」2013-04(上下毛編4)


<さま 2013/08/05(Mon) 20:31>

(↑「紫」様の許可を得て、頂いたメールより転載しました↓@こたつ城主)

「城主のたわごと」4月分も拝見しました。
大胡城にも行かれたんですね。いいですよね、大胡城。
私が初めて行ったときは8月だったのですが、本丸の広い空き地になっている部分が1メートルを越すような草が生い茂っていて入れませんでした。 (涙)
その後に行ったときには人の手が入ったらしく、枯れた草もなくキレイになっていましたが。
私は整備されすぎた城跡(松代城は整備されすぎてしまったかと・・・)よりも、崩れかけていても当時の遺構が見てとれる城跡の方が好きなので、大胡城を初めて見た時には感動しました。

熊といえば・・・昨年の10月上旬に長野駅に熊が出没したとニュースがあったのですが、松代真田まつりに行ったときに行列参加者らしきお嬢さんが 「長野駅に熊が出たと聞いてアルクマのことかと思った」と言っているのを耳にしました。
アルクマは、緑のボディに真っ赤なリンゴをかぶった長野県観光PRのキャラクター。「上手いこと言うな〜」と思っていました。(笑)

なんか、だらだらと長文になってしまいましたが、この辺で失礼いたします。
最近は寒暖の差が激しいので、体調を崩したりしないよう、気をつけて下さいませ。

(2013/05/13(Mon) 19:52)



<こたつ城主 2013/08/05(Mon) 20:45>

「城主のたわごと4月」ありがとうございました(^O^)!
大胡城も紫さまに初めてお聞きした城でした!
http://kotatu.jp/hyo/shohin/tour/siseki/391.htm
紫さまが行かれた時よりは整備されてたように思います。草はよく刈られてました。
でも紫さまの言われる通り、整備されすぎてる城……松代城は建物に古めかしい雰囲気を造ってるのでまだしも、花壇を作ったり、やたら立派な植え込みや並木を配して、都内の大型公園のようにしてる城跡は、訪れる客層まで変わってしまう感じがします(^_^;)。。
大胡城は深い山奥にあるというほど天然の自然のある城ではありませんが、その奥に何か恐いものがありそう、という感じは、やはりあの高い土塁や深い濠から醸される雰囲気なのでしょう。私も何となく圧倒される感じを受けました。

長野と群馬は雰囲気が似てます。やっぱ山が多いからですかね。
若い頃、長野の葛尾城でも熊に出会いましたが(^_^;)、こたつ城のレポ開始してからも、熊の湯で、大きな熊の剥製が置かれてる店に行った事があります。熊の湯は殆ど群馬との県境、このほど老神あたりでも熊の剥製やリンゴ畑に出会いました。

(2013/06/10(Mon) 13:24)
 
     

     
  「城主のたわごと」2013-06(05)(上下毛編5)


<さま 2013/08/05(Mon) 21:00>

(↑「紫」様の許可を得て、頂いたメールより転載しました↓@こたつ城主)

「城主のたわごと」5月分も拝見しました。
内容の濃いレポートで読みごたえがありますね。
赤城山は友人と何度も行っているのですが、いつ行っても良いところです。
11月初旬に行った小沼は、ほとんど人もいなくて静かな神秘的なところでした。
私が行った時には、道路から沼へ降りていくところは何の整備もされていなくて砂に足をとられたり滑りそうになったりしたのですが、4月のレポートを拝見すると、随分とキレイな遊歩道のようなものができているんですね。
もう10年以上行っていないので、赤城山も随分と変わっているようです。

上州おやき、私の住んでいるあたりでは「やきもち」と言います。
母がよくフキノトウと味噌で作っていたのですが、茶のみ友達の隣のおばさんが2年前に亡くなってから作っていないような。
小麦粉ではなく残りご飯で作っていたこともありました。

国定忠治は、私が住んでいる伊勢崎市(旧東村)の出身です。知り合いの家の近くに国定駅があったりします。
最近は活動していないようですが「いせさき忠治だんべ会」という国定忠治の ファンクラブがあり、焼きまんじゅう屋さんが本部になっていました。
「いせさき忠治だんべ会」とは「「伊勢崎(いっさき)ってえば国定忠治だんべ」(伊勢崎といえば国定忠治だろう)からつけられたそうです。(笑)

>この定食屋さんには、群馬県の県民性と題して、色んな事が書いてあるプリントが置かれていた。
>……どれもこれも良くない事ばかり書いてあって、ビックリした(・・;)。。。
>普通、ヨソから来る人に自分の県を悪く言わないと思うんだけど(笑)。

群馬県人には少々自虐の気があるようです。昔、所ジョージさんの番組のダーツの旅で群馬県に来たとき、通りがかった年配の男性に「○○(町名)で良いところは?」と聞いたら、「そんなもん、ねえよ」と言っていました。(笑)
群馬県人は宣伝下手なところもあると思います。
良くない事というのは、短気とか気性と言葉が荒いとか熱しやすく冷めやすいとか新しいものに飛びつくとかでしょうか。

茨城県出身の方に知り合いがいますが、茨城の方は男性でもおっとりと話す方が多いのですよ。
群馬県人は、女性でも喧嘩しているみたいに話すと言われます。
でも、群馬県人は基本的には裏表があまりないし(単純なので・笑)、面倒見は良いと思いますよ。
ぐんまちゃんナビの県民性と方言
http://www.gunmachan-navi.pref.gunma.jp/profile/dialect.tpl
を見ると、確かに良いことの方が少ない感じですね。(笑)

>「ウチのかあちゃん天下一」が、「かかぁ天下」になっちゃったんだって (^_^;)。。
数年前に読んだ「かかあ天下と上州女―上州嬶天下考」
http://sanada.blog.shinobi.jp/Entry/2546/という本によると、「うちのかかあは天下一」というのは昭和30年頃に群馬県知事さんが言った言葉だそうです。
ネット上では「うちのかかあは天下一」の方が語源のように語られていますが、もとからある「かかあ天下」を「うちのかかあは天下一」と解釈したのかもしれません。
ネットで調べても、どちらが先かはハッキリわかりませんでしたが、「うちのかかあは天下一」は昔は聞かなかった気がします。
ここ10年以内くらいに「うちのかかあは天下一」というのをTVで見て、「そういう解釈もあるんだ」と思いました。
群馬県は養蚕が盛んだったため、養蚕→糸つむぎ→機織りと女性には農閑期の冬でも稼ぎがあり、家庭内での力も発言権もあったようです。
農閑期に暇な夫は妻の稼いだお金で博打を打ったりしていたため、妻に頭が上がらなかったとか。
うちの近所でも、70代以上の女性の多くは機織りをしたことがあるようですし、
私の母も私が小さい頃は機織りの仕事をしていました。
うちの周囲だけでも、1軒が養蚕、2軒が糸の染色、4軒が機織りをしていました。
でも、特に奥さんが旦那さんより強いってことはありませんでしたけどね。(笑)

・・・また読みにくい長文になってしまいました。(汗)
梅雨時のせいか、急に寒くなったり蒸し暑くなったりしていますが、お体にはお気をつけて下さいませ。

(2013/06/17(Mon) 21:26)



<こたつ城主 2013/08/05(Mon) 21:10>

紫さま

「城主のたわごと6(5)月」ありがとうございます(^O^)!
今回は、書くのが楽しみに思える程、多くの興味ある内容が合わさった回でした。
上州には、「たわごと」レポで、2004〜2006年あたり頻繁に行き、その後、かなり間が空きましたが、その間に長く東北方面に行った視点も交えると、思う事の多くなる地域となって来ました。

赤城山の小沼は、あのように整備されたのは、では最近なんですね(゚.゚)。
はい、あのように、黒檜嶽の真っ白な霧氷からエメラルドグリーンの小沼までが、パノラマで一望できるというのは、あの遊歩道つきの整備があっての風景かと思います。
こたつも子供の頃いった赤城山は、レポにも書いた通り、旧社の方に行ったのだと思いますが、今はちょっとした西洋の山岳風景のような感じ になってて、子供の頃の風景が全く思い出せません(笑)。

上州おやきは、ご飯でも作られてたとは、名称といい、ずいぶんバラエティーな食べ物だったんですね(゚.゚)。しかし味噌の味というのもいいですね〜♪
きっとお母様の茶飲み友達の方、秘蔵の(伝来の?)おやきだったんでしょうね。
私がこのほど食したおやきは、味は塩辛いんですが、食感は蒸しパン風でした(#^.^#)。塩味の蒸しパンなんて食べた事無いので、凄く新鮮で、とても好みの食べ物でした♪

国定忠治は、そういや「国定村」だか書いてあるのは読んだ事がありますが、具体的に今のどの市域かまでは確認してませんでした(^^ゞ。伊勢崎市ですか!ありがとうございます!
しかし活動してないとは言え、ファンクラブがあるというノリが、忠治が過去の人ではない証ですね(笑)!
そうそう、焼きまんじゅうの話も、紫さまから聞いたんですよね〜♪
私が食べた忠治メニューも、思えば味噌味のあつ〜い煮込みうどんでした!
忠治には味噌とアツアツが付き物?(笑) 伊勢崎も行ってみたいです。

> 良くない事というのは、短気とか気性と言葉が荒いとか熱しやすく冷めやすいと
> か新しいものに飛びつくとかでしょうか。

だいたい、そんな所です。「たわごと」に書くのは控えたんですが、実は写真に撮ってあるのです(爆)。↓

1)義理人情に厚く情が移ったり感動した場合は損得は別にして意気に感じ行動するところがある。
粗暴な面があり、すぐ感情に走り易い、従って少年犯罪の中で他県に比較し殺人罪の比率が高い。
2)新しいものに特に興味をもつ癖がある。各企業や、メーカー等で試作品的なものは群馬県に売り出し県民が興味を強く示す様であれば、その商品は、他県に売り出しても安全性が高いとされている。
3)車の保有率、免許の取得率は全国一であり特に女性の免許取得率が高い。
又自動車の保有率も高い。
4)単純的なところがあり物事を簡単に処理するところがある。離婚の訴訟率は高いが実際の離婚率は低い。
5)江戸っ子は宵越しの金は持たない。千葉県民は金使いが荒いと云うが群馬県民は貯蓄率は日本最低である。
6)かかあ天下にからっ風が有名だが、からっ風は実際だが、かかあ天下は全国11位。女性はキメ細やかで情愛豊かであり妻にするなら群馬県女性と云われている。女性が働き者で「うちのかあちゃん天下一」から出たとされている。

犯罪やら訴訟やら貯蓄率やらまで持ち出したあげく、千葉県民を引きあいに出して、何を言うかと思いきや、「悪い事では負けてない」という感じが(^^;)。。。
特定の事故や病気による死亡率とか、学業・就職・結婚まで色々と持ち出せば、どんな県だって低い方から数えた方が早い事の一つや二つありそうですやん(笑)。。。
しかし、なるほど、自虐(笑)。ちょっと合点が行きましたっ(≧▽≦)。。



<こたつ城主 2013/08/05(Mon) 21:12>

>紫さま、2(つづき)

所ジョージの番組の件、なるほど、素っ気ない人は多かったです(笑)。
でも前に月夜野や沼田に行った時も、困った事とか相談すると、わりと他人の目線に立って機転を効かせた応対をしてくれました。
茨城と言うと、前に東北に行く電車で荒っぽい乗客が多かったので、宮城の人に話したら、「茨城の人では」と言われた事があります(笑)。言わんとする事は海沿い気質という事かな、と(^^ゞ。
一方、長野の人はぶっきらぼうだとか聞いた事もあります。こちらは山が多いからという話を聞いたような……。
群馬出身の知り合いはあまりいないんですが、郷里が群馬って人はいて、そういえば、わりとポンポン言う人ですが、サービス内容が濃く、仕事はキッチリやる人です。

> 数年前に読んだ「かかあ天下と上州女―上州嬶天下考」
> http://sanada.blog.shinobi.jp/Entry/2546/という本によると、「うちのかか
> あは天下一」というのは昭和30年頃に群馬県知事さんが言った言葉だそうです。

「天下一」の方が語源かと思ったら、そうじゃないんですね〜(^^ゞ。
地元の知事さんが言ったと云う事は、「かかあ天下」の悪いイメージから群馬の女性を庇う気持ちからでしょうから、紫さまのお話しの方が真実味がありますね。

養蚕と女性の経済力=かかあ天下は、私の持つガイドにも書いてあるのですが、どうもやはり「かかあ天下」のイメージは、夫に稼ぎがあっても、財布を握ってるのが妻というイメージなので(^_^;)、稼ぎの有る無しの事を言うんだっけ? という感じがします。

もっとも昔は本当に経済力の事を言ったのかもしれませんね。
養蚕は埼玉(秩父)の方も多かったようで、明治以後、生糸の暴落の煽りを受けて、広い地域一帯が窮乏したと聞きます。当時いかに養蚕が地域経済を支えていたかを逆に物語りますね。

それにしても、お母様が機織りをなさってたというのは、やはりさすが上州ですね。
また、養蚕と染色と機織りの軒数など、さすが地元の方の話は具体的で、とても参考になります!

(2013/07/11(Thu) 22:13)
 
     



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