<掲示板・議事録>


     
  「城主のたわごと」2012-10(松戸・千葉北西部の桜編2・下妻編1)


<こたつ城主 2012/10/20(Sat) 11:55>

題名:「城主のたわごと」2012年10月

↑出来ました! 宜しくお願いします(^O^)

※ 過去更新状況
09/22「城主のたわごと」2012年9月
他、「今週のご挨拶とお知らせ」「議事録」など〜詳しくは「更新歴」を



<Syoさま 2012/10/28(Sun) 23:55>

こたつさま、こんばんは〜
今朝から降ってた雨もゃっとあがりました。ひと雨ごとに肌寒くなり秋が深まっていきますね。
いつも、丁寧にご覧頂き、書き込みもありがとうございます。(*^-^*)

城主のたわごと10月、拝読させていただきました。
深まり行く秋に満開の桜を満喫させていただきました。
桜カラーも白味〜ピンク系と多彩でございますな〜
見事な白味の桜や〜と思ったら梨の花のようで・・・(^▽^;) 背丈の高い梨の木もあるんですね〜 こんなにも立派な梨の花、木を見たのは初めてです。アーモンドの花もですが梨の花も桜の花に極似してますね。

桜花は満開前は風が強くても花吹雪になりにくいですが満開を過ぎると風が吹く度に、美しい花吹雪を楽しめますね。桜花繚乱で咲き誇り、散る時は見事な花吹雪・・桜の花の潔さを感じます。

松戸市の♪むつみ音頭
>サーサみなさん、うれしじゃねぇか
麦やいもこの 畑が見えね
 土が黄金に おん成りまして
 掘ればザクザク 大判小判
 宝の山とは いい景色・・・ワッハッハのアッハッハ
景気と威勢がよくて元気マルモリになりますね。o(*^▽^*)o

今井の桜は全長約2キロ。細い河川敷に150本植えられているのですね。桜の津波のようですね・・・
こっちでは、宇治川と木津川の合流地点迄、約1.4kmの堤に約250本の桜並木(ソメイヨシノ:バラ科)が続く洛南随一の桜並木・背割堤(せわれつづみ)があり、それはそれは、見事な桜並木が続く桜のトンネルでございます。
写真では曇ってるように見えるのですが、道路の水溜りやワンちゃんの様子などから雨上がりでしょうか?
川面に降り注いだ花びらの花筏もいいもんですね。

手賀沼と下手賀沼を行き来する多くの白鳥さん
ええ感じです。(*^-^*)
また人の手からエサをもらうとは、随分と人なれしてますね。道路も長く通行止でしたか・・・電柱もいがんだままで震災の生き証人のようですね。
ほんとに震災、原発被災から一刻も早い復旧・復興を願います。

桜が葉桜になってきたら
鯉のぼりと芝桜も見事ですね。
さらに八重桜も美しいです!(^-^)

夜空の暗闇に浮かぶ光る雲・・
不気味な様相を呈していますね。地震の前兆に発光するとか言われる電磁波と関係があるのでしょうか・・・
それにしても震度5前夜というサブタイトルも凄いです。

柏高島屋
懐かしいです・・仕事関連で上京したときは柏駅前のプラザホテルを定宿にしてました。青山に出るのにアクセスが便利でしたから(*^-^*)
高島屋のデパ地下で出来合いの惣菜やワインを買いました。
なんでやろ・・わざわざ、柏に泊まって神戸コロッケや京風手まり寿司なんか買ったりしてました!(^^ゞ爆
さすがにワインは、丹波ワインはなくて勝沼や十勝ワインでしたけど(^▽^;)
柏高島屋と聞いて懐かしく思い出してしまいました。
ベルバラの豪華なドレスや衣装などタカヅカ歌劇を髣髴します。

平野分に忽然と現れる地域交流センター豊田城
立派な天守閣ですね・・・
広々とした空と山に広々とした平地に関東平野を思いっきり感じます!
私の周りは目を向ければ山、山、山に囲まれておりますもで
関東平野広さを痛感します。(^^ゞ
紅葉の季節に満開の桜を、楽しませていただきました!



<こたつ城主 2012/10/29(Mon) 18:22>

>Syoさま

こんにちは!
ハローウィンの飾り付けと、美味しい栗の季節になって来ましたね(笑)。紅葉も間近(^^)。

「城主のたわごと10月」ありがとうございます(^O^)!

>深まり行く秋に満開の桜を
>紅葉の季節に満開の桜を

秋に桜でも別にイイじゃ〜ん(^。^)、と思ってます(笑)。去年よりはだいぶ追い付いて来たんですが、次回はGWのミニ旅行をやるんで、又少し追い付き加減が微妙……いや、だいたい追い付きモードです!ヽ(`Д´)ノ(今のトコね:笑)。

桜と梨って、色はピンクと白で違うんですが、見た目スゴイ似てます!
花の白い山桜になると、写真を拡大してジーッと見ても、違いが全く判りません(>_<)。。
なので、あの大きな背の高い木は、山桜か梨か、私も未だに判らぬままなんです。その後の夏に実が成ってるのも見てない気がしますし(>_<)。。
でも梨畑でない所で見た事ある梨の木が、今度載せた写真ほどの大きさではないものの、明らかに梨園の低さでは無かった覚えがあります。
あ〜アーモンドも花が似てるんですか(^^ゞ。じゃ、案外アーモンドかしら?!(笑)
みんな、せめて、もう少し季節をズラして咲いてくれればいいのに〜( -。-) =3

今年の桜は長く楽しめました。桜吹雪は特に空が青い時で、見応えがありました。
桜は寒いと強風でもあまり散らないのに、ポカポカ陽気だと、あっと言う間に葉が出ますよね(^_^;)。。いつの間に散ったのか、花びらも花吹雪せずに無くなる気がします(笑)。

「むつみ音頭」は、桜祭りの時に通った事が何度かあったと思いますし、学校とかでは教えてるのかもしれませんが、実は直に聞いた事がありません(^_^;)。
何だかエライ気楽そうな歌でしょ?(笑) 一度聞いてみたいと私も思いました!
大判小判がザクザクなんて昔風の歌詞の中に、「知らない同志がいても唄へば踊れば一つになれる」なんて新興住宅地っぽいフレーズが混じって、よく考えたな〜と感心します!

桜並木は、メイン通りの街路樹としても用いられますが、川沿いの道や土手に並ぶ桜は、よく川に浸かるほど枝が垂れこめている風景を見ますね(^^ゞ。
今井の桜のように、いかにも山里の風景になると、開発の波が押し寄せる首都圏やその近郊でも貴重な風情となりつつありますが、東京でも、川の廻りを歩行者専用道に作ってる桜並木を時々見ます。枝が地面や川スレスレまで届いてる桜は、人通りの多い道路では前を塞いでしまうので、人の近寄れない川が最適なのでしょうね(^^)。
はい、この日は少し雨模様でした。こういう時の桜も、少し色が濃く感じられて美しいです。
ワンちゃんは桜景色を喜んだのか、泥んこ遊びに夢中だったのか、大層ウカレてる様子で可愛かったです(#^O^#)。



<こたつ城主 2012/10/29(Mon) 18:23>

>Syoさま、2(続き)

手賀沼と下手賀沼を行き来する白鳥さんは、この頃しょっちゅう餌を貰う風景を確認します(^^ゞ。
あ、今貰いそうだな〜って間じゅうカメラ構えてるワケに行かないので、なかなかシャッターチャンスが取れないんですが、あれはそんなに珍しい光景じゃなく、「白鳥さ〜ん!」と呼ぶと、あの広い湖を、せっせっせっせっと泳いで(水上を滑って)やって来ます(笑)。 意外と人間の言葉を理解してる感じすらしますよ(^_^;)。亭主はよく相談に乗って貰ってます(爆)。

あそこの道路と言い、電柱と言い、震災の後はなかなか復帰しませんでした(>_<)。。
毎回来るたび「ここ通れないままだね」とか「もう通行禁止のままにしとくのかもね」なんて言ってたので、通れた時は嬉しかったです! ちょうど一年ぐらいでしたかね〜後になれば大した時間じゃなくなると思いますが、何となく長く感じました(^_^A)。

鯉のぼりと芝桜に八重桜と、ソメイヨシノほど盛大な華やかではないですが、いよいよ後戻りしようもなく春になったな〜(^O^)と、嬉しい気分になりますね♪

夜の発光雲は、今回はわりとドンピシャなタイミングで撮れました(^_^A)。
ただ、方向が今イチ(≧▽≦)……でした(笑)。
電離層との関係は……どうなんでしょ。一時期は言われましたが、その後あまり聞かないですよね。少なくなって来たので、統計も取りにくいという事もあるでしょうが……。

柏高島屋は……ええええーっ(*o*)、Syo様はお仕事で柏なんかに泊まられる事がおありなんですねー! 青山?……あ〜表参道ですかね! 千代田線?!(超ローカルな話題:笑) ……なるほど、あんな大きいデパート何のためにあるよ?と実は思ってましたが(爆)、そっか、お泊りの方には便利でしょうね〜確かに何でもありますもん(笑)。そうそう、遠隔地の惣菜や酒、上層階のレストラン街など、沖縄料理にベトナム料理にハワイ料理、豆腐専門に野菜料理専門、そこまで凝った専門店って、すぐ潰れないか?と心配しました(爆)。

>わざわざ、柏に泊まって神戸コロッケや京風手まり寿司なんか買ったり
いいですよ〜。じゃ柏や松戸に他に何があんのか、ってなモンですやん(^。^)(爆)。

>柏高島屋と聞いて懐かしく思い出してしまいました。
>ベルバラの豪華なドレスや衣装などタカヅカ歌劇を髣髴します。
そっかー。意外だけど良かったぁ。何がツボにハマるかわかりませんね(^^ゞ。そうそう、ベルばらでしたね話は(笑)。いやいや〜これも意外な展開だったのですわ!!(≧▽≦)

豊田城は、この「たわごと」でも、そろそろ3〜4回になりますか(^^ゞ。
茨城は、埼玉・東京・神奈川に出る程には渋滞に遭わずに済むので、何しろ渋滞対策に悩ましいGWには、ついそっちに行ってしまいます(^_^;)。。
はい、各地で意味不明扱いを受けつつ、この城"郡"(豊田城の周辺は、他にもアチコチに城郭風の建物が点在してるんです(^_^;))が見えて来ると、私も、関東平野の広大さをハッキリと実感します(#^.^#)。
山に囲まれた地域の方の方が日本は多いと思いますが、今は関東地方でも、平地には必ず背の高い建物が建ってしまいますから、これほどドーン!と開けっ広げに広い大地が拓けつつ、爽快に車を飛ばせるのは、この地域を走る醍醐味と言えるかもしれません(^o^)!
 
     

     
  「城主のたわごと」2012-11(下妻編2)


<こたつ城主 2012/11/25(Sun) 23:51>

題名::「城主のたわごと」2012年11月

↑更新しました。宜しくお願いします(≧▽≦)

※ 過去更新状況
10/20「城主のたわごと」2012年10月
他、「今週のご挨拶とお知らせ」「議事録」など〜詳しくは「更新歴」を



<Syoさま 2012/12/11(Tue) 19:19>

こたつ城主さま、お寒うございます。お元気ですか?
トップページも紅葉から元に戻りましたね・・って12月半ばですね(^▽^;)
こちらは例年以上に寒く雪が降りましたよ。

<2012年・城主のたわごと11月>拝見しました。
「親鸞」と「浄土宗」「浄土真宗」は親近感があります。
親鸞さんは、京都伏見日野の出身ですから日野一族ですね。

多賀谷城(下妻城)の模型が天下(豊臣)軍・石田三成に水攻めにされても落ちなかった『のぼうの城』の武州・忍城を彷彿させるようなロケーションですね。
東西が沼、南が湿地、北に土塁や濠で7重の防備を施している、という作りの水城が素晴らしい!こちらでしたら淀城になるかな・・

しかし、各展示品が保管されてる戸棚だらけの倉庫室の一隅に、明治〜昭和初期の女囚牢が置かれていたのは、もっと凄い。(*_*)

お書きのように浄土真宗は、浄土系宗派の中で一向一揆を起こし信長に徹底抗戦しましたね。
石山本願寺と言われて今の大阪城あたりにあったようで
信長さん包囲網の共犯とはいい表現です。(^▽^;)

>真宗や時宗が浄土宗から別れたのは、互いに喧嘩をしたからでも、思想信条の違いでもなく、浄土宗が他宗派や後鳥羽上皇などから迫害を受けて、
各地に散らばっていた事も要因するように思われる。

こたつさんがお書きのように後鳥羽上皇の怒りに触れて親鸞も法然も流されましたね。
後鳥羽上皇の女官の松虫と鈴虫が法然上人や開山両上人から念仏の教えを拝聴し感銘、仏門に入りたいと願うようになり、後鳥羽上皇が熊野詣の留守中、
夜中秘かに京都小御所を抜け出して鹿ヶ谷草庵を訪ね剃髪、出家。
この事を知った後鳥羽上皇は激怒し、念仏の教えを説く僧侶を斬首など弾圧。(+_+)
更に法然上人を讃岐国(香川県高松市)に、親鸞聖人を越後国(新潟県上越市)に流罪に処したのが建永(承元)の法難ですね。
鹿ケ谷に紅葉でも知られる住蓮山安楽寺の縁起として今に伝わっています。
しかし、遠く茨城にも親鸞の足跡がしっかりと残っているのですね。親鸞だけでなく聖徳太子まで・・・

しかし、聖徳太子立像というのは珍しいのではないでしょうか・・
お書きのように太子像はあまり見かけませんから。
私は太子が生まれたと伝える奈良の飛鳥の橘寺で太子像を見たくらいです。珍しいものを見せてもらいました!

>法然の浄土宗の祖は、中国の善導という事になっているものの、法然より前にも、浄土信仰は平安国教たる天台宗・・日本における浄土仏教の祖は、
源信でいいのではないか

なるほど、凄く説得力があります。
天台は叡山・延暦寺 日本仏教界の母山と言われていますが、当時は、法然さんたちもひどく弾圧されて何度も灰燼に帰されたりもしています。

そうでした親鸞さんは妻子持ちでしたね。(^▽^;)
今の大谷家が末裔で東本願寺は大谷本願寺でもあります。
余談ですが、私的に東本願寺第24世 法主・大谷光暢夫人・大谷智子(さとこ)裏方とご縁があったのですが、昭和天皇の香淳皇后の妹さまでした。
徳川家光から拝領したという東本願寺の別邸・渉成園(枳殻邸:きこくてい)に当時は住まいされていたのでお邪魔させていただき、
親鸞さんのことなど色々教えていただきましたが、こたつさんの今回のレポも大したもので感服いたします。

しかし、法然さんに妻帯による破戒を相談していたのですか 
さすがにその事は、知りませんでした!(^^ゞ
宗教の師として弟子入りしたと思ってました。(>▽<;;
法然と親鸞の勉強させていただきました。

さて、私めは最近は京都一周トレイル(伏見稲荷を出発点に東山・比叡山を経て大原・鞍馬へ。さらに、西賀茂から高雄・清滝を経て嵐山・苔寺に至るもので、
歴史や文化も楽しめる全長約70kmのトレイル)で京都の周りの山歩きをしており伏見稲荷から始まる東山コース(東山三十六峰:全長約24km)終点の比叡山で終わりました。(*´ο`*)=3ホッ
次の北山東部コース(大比叡(比叡山最高峰)・比叡山延暦寺(根本中堂・阿弥陀堂)〜鞍馬寺・貴船神社:全長約18km)の始点は、東山コースの終点でもある比叡山山頂からで
北山連峰ではクマさんとの遭遇にも要注意すけど(^^ゞ爆

今年も早いもので年の瀬も迫って参りました。
今年は、例年以上に寒い12月となっており早くも京都の山々は白く積雪し街にも初雪が降りました。
こたつさまご夫妻もクリスマスや年の瀬など穏やかな師走を過ごされ、くれぐれも風邪など召されませぬように・・・



<こたつ城主 2012/12/12(Wed) 20:51>

>Syoさま

寒くなって来ました(*o*)。関西は雪だったようですね。お見舞い申し上げます。
今年は散りが早い気がしましたが、ここ数年は紅葉が12月まで長引いてます(笑)。街はハロウィン飾りで、どうにかオレンジ色に染まるものの、11月でも緑が多く、秋を無理やり9〜11月とせず、10〜12月でイイ気がします(^_^;)。。

本当に年の瀬が迫るのは早いですね(>_<)!
今年こそは、少しでも早めにこなそうと、カレンダーと注連飾りをもう買って来ました!
いつもは年末に慌ててあれもこれもやって慌ただしいので(笑)。

「城主のたわごと11月」ありがとうございます(^O^)!
はい、親鸞の出た日野氏は、まだ親鸞の頃は名のある家という程でもありませんでしたが、後の南北朝は日野俊基などが政界に顕れ、室町期は日野富子など歴代の将軍夫人を輩出しました。
大河ドラマ『花の乱』では、富子が育った「椿の荘」が、「日野家の御料所」という設定で、山城国にあるような感じがしました。
ただロケ地は京ではなく、岩手県の遠野の曲り屋集落が使われてましたが……(^^ゞ。

「多賀谷城」も、昔は、最後の「砂沼」のような湖面があちこちに臨めた、広大な水域があったんだろうな〜と想像するのですが、今は周りじゅう宅地化、都市化してます(^_^;)。 ただ、防備を北だけ強く固めている点を見ても、東西南の水辺や湿地は、浅瀬とでも言うか、水軍を寄せるような地形ではなかったのでしょう。

女囚牢は……何とも言えない空間・雰囲気でした(^^;)。。博物館の受付の方が「是非見て行って下さい」と薦めて下さった時、「今では全国的にも珍しいそうですよ。ああした物を残そうという発想があまり無い内に、他所のは無くなったそうです」と仰ってました。

一向一揆は、ちょうど信長や家康の天下統一の線上に顕れるので、信長などを主役とするドラマでは、「敵方」の勢力として描かれがちですが、だいたいその時代になると、もはや他の戦国大名同志の勢力争いと、そう大きな違いがあるようにも見えませんよね(^_^;)。。
石山本願寺も、大阪城ほど巨大でないまでも、なかなかの戦闘要塞だったと思います。

後鳥羽院の女官の名は、松虫と鈴虫でしたか。そういえば最近そちらでも鹿ヶ谷のレポを拝見しましたが、鹿ヶ谷陰謀事件で要人らが集まった山荘のあった(と伝わるが、山奥すぎるとSyo様からご指摘のあった:笑)あの鹿ヶ谷と同じ場でしょうか(^^ゞ。

親鸞の足跡と言うと、京・越後・常陸の三ヶ所と思われ、生涯の内の20年が常陸で費やされますので、関東においても、伝承や布教にまつわる史跡は大事に守って行く必要があるんだな〜、と私も思いました(^^ゞ。



<こたつ城主 2012/12/12(Wed) 20:52>

>Syoさま、2(つづき)

はい。聖徳太子立像は珍しいのだそうです(^^ゞ。レポにも書いた通り、全国的にも珍しく、茨城県内でも、16歳の太子の姿を表現した「孝養像」が多い中、衣冠束帯を着けた「摂政太子像」が特に珍しいそうです。
像自体は14世紀末頃までしか遡れないようですが、こうした像がもたらされた背景など色々想像する内に、慈円の事が思い浮かんだので今回は書いてみました。親鸞の初期の師であり、摂政関白家の出(九条兼実の同母弟)という事もありまして……(^^ゞ。

>私は太子が生まれたと伝える奈良の飛鳥の橘寺で太子像を
>見たくらいです。珍しいものを見せてもらいました!

ありがとうございます(^^)。もしかしたら、畿内から齎された物か、畿内にも多く在ったのが、度重なる火災などで失われた事などあるなら、それなり貴重かもしれませんね!

法然も親鸞も、当時の貴族たちも、源信の『往生要集』には大きな影響を受けてると思います。もっと前を遡ると、円仁が称名を齎してますが、いずれにせよ天台宗ですね(^^ゞ。

が、実は法然に至るより前にも、いわゆる寺門派が比叡山を出て、三井寺(園城寺)に籠り、山門派(延暦寺)との間で、何度も放火合戦などの争乱が繰り返してました(^^;)。。
さらに、皇室の皇子や貴族の末弟などが、天台座主の座に就いたりで、俗世のお供衆を連れ込んだりで、比叡山もドンドン世俗化していったのですね(^^;;)。

そんな場所で、とても落ち着いて修行なんか出来ない、と……(^^;;;)。。
鎌倉仏教がドンドン外に出て行った背景には、こんな事があったと言われています。
なので新宗を起こす「建て前」というのは、宗教上はともかく、歴史的にはわりとサックリと描かれる所があると思います(笑)。

ただ親鸞は、何かと誹謗の元ともなった善導の「観経疏」なども熱心に研究して補強を行ない、「新宗叩き」に対処しうる教団の基礎を築いたのだと思います。
終わり良ければ全て良し(^^)v

妻帯にまつわる悩みに法然が明快な答えをくれた、という点は、非常に大きいと思います。
つい今しがた話した寺門派の祖、円珍などは、女犯僧に対して大変厳しい視点を持ってた事がわかります。
その一方で、このほども書きましたが、興福寺の奏状に「八宗の中にも破戒者がいる」と認められている通り、妻帯僧侶は、実際には珍しいという程ではなかったようです(^_^;)。

なので、法然も気前よく認めたのではないかと思うんですが、それが後鳥羽上皇の後宮の一件で、目立って良くない破戒行為に引き上げられた……という事はあったと思います。
法然の門下で最初からマークされてた人物の中に、親鸞は必ずしも入ってないように思えるので、まぁ運が悪いという事ですねぇ(^_^;)。。
 
     



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